私の映画玉手箱(番外編)なんということは無い日常日記

なんということは無い日常の備忘録とあわせ、好きな映画、韓国ドラマ、そして
ソン・スンホンの事等を暢気に書いていく予定。

正解はあるのか?

2010-08-24 21:32:57 | なんということはない日常
梨元勝さん死去 がん告知に「患者悲観させる」慎重論も(産経新聞) - goo ニュース

父と私が「母ががん末期」だと医師から聞かされたのは去年の11月の中旬だった。
母が検査入院してから2週間ほどしてからのことだ。

「末期がんで余命6ヶ月です。お母さんには余命のことは伝えずに末期がんであることを伝えます」という医師の説明に父と絶句。
もちろん病状の説明も受けたが、基本的には「患者に末期がんであることを伝えるために、家族の了承がほしい」というスタンスの説明だった。
「本人に末期がんであることを伝えないことは出来るのか?」と一応質問してみたが、医師の選択肢の中にそれはなかった。
緩和治療しかできない末期の状況では、正直に伝えるしかないということだったらしい。
急に末期と言われ、抗がん剤、手術、放射線治療など前向きな治療ができないと言われた方はみなさんどんな反応をされるんですか?と医師に質問すると、みなさんキチンとその状況を受け入れてくださいます。と言われる。
そういわれ、なんと答えていいか分からず、父と黙っていると、
急にこんな話をしてもびっくりされるだけでしょう。ここで答えを出さなくていいので、来週もう一度病院にいらしてください。
と医師は言った。
病状の説明ももちろんあったが、医師からの2度の説明は、結局末期であることを本人に伝えるために家族の了承を取るための説明だった。
結局、母に病名を伝えるしかなかった。

2月末頃から週末の夜になると涙を流すようになった。
平日は父と二人なのだが、週末には家に娘の私がいる。
「お前に甘えて泣きたくなるんだろう」と父は言葉すくなに母の状況を説明してくれた。
「これからどうなるんだろう。。。。お父さんは冷たい」といいながら食卓の椅子に腰かけて涙を流していた。
一緒に泣いてあげればよかったのだろうか?
何か慰めの言葉を言えばよかったのだろうか?
結局私はどちらもできず、ただ黙って母が涙するのを横で見ていることしかできなかった。

どんどん体力が落ちていってしまったので、あっという間に自分で身の回りの世話ができなくなったのだが、GW頃はベットの中から衣替えの指示などを私にしていた。
「冬のコートはクリーニングに出して。。。着なくなった洋服は少し処分しようね」
さらに銀行口座はこうなっているとか、新聞の購読やお米屋さんの注文など、日常のこまごましたことをかすれた声で説明してくれた。
自分からはがんという病名を最後まで口にすることはなく、「こんなになっちゃって・・・」とだけ時々短くため息をつきながら話していた。
誰かに会いたいということも言わず、自分の病気のことを兄弟にも知らせることもなく、母は行ってしまった。

病名を知らせなかったら、母は涙ぐむことはなかったのだろうか。病名を知らせなかったら。。。。。もっと違う風に母は最期の6ヶ月間を過ごしたのだろうか。
母に確認することもできず、答えは分からないままだ。

***
原発不明がん