自身の等身大パネルと一緒に撮影した写真をSNSにアップした事を紹介した記事。
この記事も先日同様、本当に記事のタイトル通りの内容の写真で、記事のタイトル以上の情報はなし。(もう少しでドラマが始まるという時のメディア対応の一環・・・)
等身大パネルは勿論各種補正も行われているはずなのだが、それと並んでも遜色ない様子に、無補正という賛辞が使われている。
自身の等身大パネルと一緒に撮影した写真をSNSにアップした事を紹介した記事。
この記事も先日同様、本当に記事のタイトル通りの内容の写真で、記事のタイトル以上の情報はなし。(もう少しでドラマが始まるという時のメディア対応の一環・・・)
等身大パネルは勿論各種補正も行われているはずなのだが、それと並んでも遜色ない様子に、無補正という賛辞が使われている。
同じ病院で勤務する医学部の同級生たちのあれこれを追った「賢い医師生活」のスピンオフとして作られた、レジデント1年生の4人を追った「いつかは賢いレジデント生活」。
本院で勤務する「賢い医師生活」メンバー達の特別出演が毎回芸能ニュースになっていたが、盛り上げる為のそのニュースが必要ないと思える程、本編が面白くパワフルなドラマだった。
何より、「賢い医師生活」が、40歳代の中盤のメンバー達がプレイングマネジャーとして八面六臂の活躍をするのが痛快だったのに比べ、「いつかは賢いレジデント生活」はまだ海の物とも山の物とも分からないレジデント1年生4人が、同じ産婦人科に勤務するというだけで、切磋琢磨し、協力して新人生活を乗り越えなければならないのだ。
医師という職業以前に社会人生活1年生という話だけでも面白いのに、4人のキャラクター設定が秀逸だ。一人は借金の為に勤務し「辞めてやる」が口癖、別の一人は仕事以外の興味は彼と何度も別れてはくっつくというプライベートを隠しもしない、更に今まですべて1位で通過してきて医師になった一人、そしてアイドル生活を卒業してから猛勉強で医師になった一人。なんの共通点もない4人が否応なく協力しなければ乗り切れないレジデント生活を送るのだ。
彼らを指導する教授達は、「賢い医師生活」の医師たちと同級生という設定。4人を指導しながら自分達も医療行為の前線に立って指揮をする。バリバリのプレイングマネジャーとしての彼らのスタンスもじっくり観察することが出来る。
リアルな仕事ドラマだった。
空港のラウンジでくつろいでいる写真をSNSにアップした事を紹介した記事。
本当に記事のタイトル通りの内容の写真。写真からはそれ以上の情報はなし。
想像するなら、撮影中だったドラマの仕事が落ち着いたのだろう・・・という事位か。
恋人を殺され、傷心のスミンをカン・ハリチームのに近づくように仕向けたのも、「悪は悪で征伐する」というアイデアを授けたのも現大統領。スミンの親代わりだった彼が高潔な敗者から血塗られた勝利者になったのは、自分の意のままに動かせる大統領が必要だったロビイストジェフリーの計画の一部だったのだ。
あちこちに金をばらまき、権力を与え、自分の息のかかった人間をあちこちに配置して韓国全体を自分の思い通りになる巨大カルテルに作り上げようとしていたジェフリー。彼の企みに気づいたスミンの恋人のジャーナリストを亡き者にした彼。
大統領は、自分が手出しできない立場故、すべてを秘密にして、スミンが自分の目の届く場所でジェフリーの悪事を一つずつ暴いていけるようにお膳立てをしていたのだ。
なんと結局カン・ハリ達も大統領の計画の中で踊らされていた事が判明。
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ロビイストジェフリーに老獪さがあれば、もっとドロドロとした雰囲気が出るのだろうが、それではこのドラマの雰囲気に合わないので、ビジネスとして着々の計画を遂行している感じを出しているのだろう。カン・ハリもジェフリーの存在に気づき、鉄槌を下す計画を考えていたものの、これが詐欺でなくストレートな暗殺だったとは。自分の得意分野で戦おうとしていないと所を見ると、この時点ではまだ機が熟していなかっただろう。
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カン・ハリは、満を持してどんな鉄槌を準備しているのか・・・
2001年、中国北部の大同(ダートン)から始まる映画は、2006年の長江古都、奉節(フォンジェ)、2022年の珠海(チューハイ)と時間と都市を変えて進み、最後に再び大同(ダートン)に戻る。
監督ジャ・ジャンクーが、自分が撮った映画を素材にして、約20年の間中国がそして恋人だった二人が歩んだ時間が描かれる。同じ俳優を使って映画を撮り続けてきた彼だからこそ出来る離れ業だが、時代が違えば俳優の役柄も違う。その時、彼らがその土地で何を思うかは風景や佇まいで想像させるように語られる。見ている私たちは、時間の流れと人生を考えざるを得なくなる。
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私が一番びっくりしたのは2001年の大同(ダートン)の風景だった。北京オリンピック開催が決まった事に沸き立つ街の様子が描かれるが、強い風が吹く街の道はぬかるみ、街角には公衆電話ボックスがあり、手持ち無沙汰な様子で街角にいる人々の手にはタバコが必須だ。確かにそこは2001年ではあるのに、その町の様子には、自分が幼かった1960年代の後半の日本に近しいものがあった。
しかし5年後、女性が自分の元を去った男性を探しに行った古都、奉節(フォンジェ)。建設中の三峡ダムの為に水没する街から立ち去る沢山の人の姿や工事中の様子、女性の服装からは5年以上の流れを感じさせる。言葉はなくとも、映像からは時代の雰囲気がストレートに伝わってくる。
そして2022年の珠海(チューハイ)。たった20年しか経っていないのに、まったく違う街の風景に圧倒される。そして男性の人生に流れた20年という月日の重さを目の当たりして言葉が出ない。
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2015年、マカオのコロアンビレッジから見た中国本土の珠海(チューハイ)の様子。マカオ側は地元の人が夕涼みに訪れるような静かな場所だったが、対岸には暗闇に浮かび上がる電飾で飾られたホテルが見えた。
身勝手な監禁事件は、犯人の逆恨みによって珍島犬ことチン・ホゲの事件にもなり彼の刑事人生に大きな影を投げかけるのだ。長い間心の傷になっていたヒョンソとのやり取り。ヒョンソを助けるためにチン・ホゲの捨て身の活躍。
犯人を捕まえたいあまり、犯人に同化するような状況になるという不思議な状況。チン・ホゲの場合は父親の権力志向もあり、身近には逃げ場がない状況だ。
そんな中、彼の事を良く知っている職場の人間が彼の助けになるというドラマ的な温かい展開。しかし、彼が自分の中で事件にけりを付けようとも、彼が事件の中で関わって来た人間たちはそれを許さないという、厳しい展開がパート2に続いていく様子。
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警察と消防が協力して解決に尽力しなければならない事例がどれだけ多いのかを実感するドラマだった。
勿論、作りこみ過ぎでは?と思う事も無きにしも非ずだったが、それでも現在特有の話題と今も昔も変わる事のない人生の機微が複雑に絡み合い、事件が起こったり、事件解決に繋がったり・・・
事件解決に執念を燃やす姿はそれぞれが足りない所を補い合い、更に協力する姿は、やっぱり見ごたえがあった。
近所のスーパーの果物コーナーで見かけた大きな看板。『オーストラリア産ブドウは今がアツい!!』
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一人暮らしになってから、誰も止める人がいないので、果物は気になると購入し、「食事は果物で済ます」という日もあったりと、結構気ままに楽しんでいた。ただ、シャインマスカット、ナガノパープルは美味しいが一人で食べるにはちょっと贅沢だという思いがあった。
このオーストラリア産の「皮ごと食べられる種なしぶどう」はとにかく手頃なお値段。緑・赤のミックスタイプでごく普通の大きさのパックが299円程だ。
以前から、売られていたので購入していたのだが、こんなに販売に力を入れているのを見たのは初めてだった。
国産の高級ブドウはハレの日に楽しみ、このお手頃な「皮ごと食べられる種なしぶどう」は普段気ままに口にしたいなと思う。
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赤いぶどうはクリムゾン、緑色のぶどうはトンプソンというらしい。
韓国ドラマには九つの尻尾を持つ@クミホを題材にした物が本当に沢山ある。
私の中では「死神を題材にしたドラマとクミホを題材にしたドラマがこんなにも沢山あるのはなんでだろう」と常々不思議に思い、それは今でも私の中ではちょっとした謎になっている。
特にクミホを題材にしたドラマは、ややミステリアスな雰囲気に寄せたものと、かなりコミカルな方向に寄せた物とざっくり二通りに区分されると思うのだが、このドラマはミステリアスな雰囲気を最大限排除し、どこまでも明るく楽しいドラマに徹したストーリーだ。
999年間の間、人間になる為に人の精気を集めてきたのに、あと1年という所で大事な玉を偶然であった女子大生ダムに飲み込まれてしまうという失態を犯してしまう。人間になりたいクミホのシン・ウヨはなんとか玉を安全に彼女から取り戻すために彼女との同居を選択。
この苦渋の選択と彼女との同居にまつわるあれこれのドタバタをかなり軽めに描いたコミカルなドラマ。クミホを演じるチャン・ギヨンの佇まいと落ち着いた声がなければ、余りにも軽すぎるドラマになっていただろうが、彼の存在が絶妙なバランスでドラマを落ち着かせていると思う。おどろおどろしい所はなく、かと言ってガツガツと人間になりたいでもなく、長く生きれば生きる程寂しさを感じる九尾狐の生活から抜け出したいというシンプルな感情が伝わってくる九尾狐であるシン・ウヨの思い。
最初は1000年も年上の九尾狐を警戒するも、あっという間にシン・ウヨになじみ、ニュートラルに彼に接する女子大生のダム。演じるイ・ヘリもリラックスした雰囲気でいわゆる妖怪との同居とは思えない脱力系の同居だ。
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九尾狐は中国に伝わる伝説上の瑞獣。中国から韓国、そして日本にもその九尾狐伝説は伝わっているとの事で、南総里見八犬伝にも九尾狐が出て来ているそうだ。(子どもの頃、人形劇の八犬伝を毎日楽しみに見ていたが、九尾狐が出て来ていたんだろうか・・)瑞獣は吉兆を表すもので、日本や中国ではそのように伝わっていたようだが、どうやら朝鮮半島に伝わった際、1,000人の肝を食べる事で人間になれるというような話に枝分かれしたようだ。
そのミステリアスな雰囲気がドラマや映画のモチーフにピッタリとされ、時にミステリアスに時にコミカルに映像化されたんだろう。このドラマはチャン・ギヨンの雰囲気も独特で結構癖になるストーリー展開だと思う。
6月20日金曜日に公開される秘顔-ひがん の公式サイト
サイトは紫色を中心にした作り。
確かに映画を色で表現するとしたら、紫は最適かもしれない。
映画『秘顔-ひがん-』本予告【6月20日(金)全国公開】
サブタイトルの『紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃』からもメラメラと燃え盛る嫉妬の炎を連想させる。
280年続いた清朝の時代の中で最盛期を築いた乾隆帝の時代、殺された姉の復讐の為に、権力欲と嫉妬の嵐が渦巻く紫禁城の後宮に飛び込んだ魏瓔珞(ウェイ・インルー)が最下層からグイグイとのし上がり、皇帝の寵愛を受けるまでになる70話の超大作。1日1話のペースで観るようにしていたのだが、それでも見終わるのに3か月近くかかってしまった。
恐れを知らない瓔珞(インルー)の、のし上がり方が凄い。刺繍工房で働きながらも皇后に目をかけられる。敬愛する皇后を守るためには乾隆帝の前でもひるむことなく自分のやりたい事を成し遂げようとする。皇帝の寵愛を受けてこそ紫禁城の中で生きていく事が出来る後宮たちの中で、時に大胆に時に狡猾に生き抜く瓔珞(インルー)。
とにかく皇帝の寵愛を受けようと後宮たちがあれこれ策略を練る様がとてつもなく面白く、とてつもなく恐ろしい。自分を守る為に後宮同士で派閥を作るかと思えば、自分が生き残る為に、玉突き式に敵を倒していく。皇帝の寵愛があれば生き残る事が出来るのだが、跡継ぎが産めなければその寵愛もいつまで続くか分からないので、毎日毎日、自己主張し、敵を倒し、敵を欺く。皇帝を頼れないとなると、後宮たち自らが手を汚してでも敵を亡き者にしていく。皇帝にとっても、優秀な跡継ぎを残す事が自分の生き残る道故、後宮たちの諍いを遠巻きに見るしか出来ないような状況が続く。
とにかく「やられる前にやる。やられたらやり返す」という精神が紫禁城の基本精神なのだ。
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中国で驚く程の人気を集めたこのドラマは、「贅沢が過ぎる。勤勉と倹約の美徳が見られない」と放送が中止になる騒ぎになったとの事だが、個人的には、究極の下剋上を成し遂げる為のあれこれの策略の中に不穏な空気を感じて放送中止にしたのだろうと勝手に推測。
後宮たちの居所であるそれぞれの宮の豪華な内装、目を見張るような刺繍が施された絹の衣装、細い眉に華やかな3連の耳飾りの一耳三鉗。見た目の贅沢だけで、放送中止にするとは思えない。
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私は主役の瓔珞(インルー)より、彼女が仕えた皇后富察氏の慈愛に満ちた様子に心癒されながらドラマを鑑賞。チン・ラン(秦嵐)演じる彼女が退場してしまった後は、かなり寂しかった。
子どもの教育にかける韓国の情熱のすさまじさは他のドラマでも色々描かれているが、このドラマが描くのは警察と消防がタッグを組んで解決する事件だ。飛び降り自殺を図ろうとしていた少女の事件がきっかけになり発覚するブランドバックのコピー商品に入れられた新生児の死体遺棄事件。
成績優秀な女子学生に何が起こったのかを解明しようとしていくなかで発覚するのは、成績優秀であればなんでも許されるという歪んだ価値観。親がそんな価値観を持っていれば子どもも同様の価値観で学校生活を送り、高額が教育費がかかる中で、恐ろしいまでの勉強格差社会が出来上がるのだ。
チン・ホゲや女性消防士のソン・ソルが次に向き合う事件は、チン・ホゲの心から消せない女子中学生の失踪事件。何年経っても彼女が生きている事を信じる彼の前に、逃げられないように足の親指を切られた彼女が発見されるのだ。彼女がストーカー被害を訴えていたにも関わらず、中学生相手にそんな事故があるわけがないと思い込んでいたチン・ホゲ。その隙が大きな事件を生む要因になってしまうのだ。
身勝手な犯人の行動で起こる長期にわたる監禁事件。半地下の部屋に閉じ込められるという設定に、あの映画のパラサイトの劣悪な環境を思い出さずにはいられない。大体監禁された女子中学生にはなんの落ち度もないのだ。ひどい話だ・・・この憤りをどこにぶつければいいのか・・・
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警察官として使命を全うする事を信条に行動する息子チン・ホゲと、息子とは全く正反対に現実主義で世の中を渡っていこうとする父親の最終対決もこのすぐあとに待ち構えている様子。