私の映画玉手箱(番外編)なんということは無い日常日記

なんということは無い日常の備忘録とあわせ、好きな映画、韓国ドラマ、そして
ソン・スンホンの事等を暢気に書いていく予定。

ガラスの華

2005-05-31 21:40:55 | 韓国字幕つきドラマ感想
週末になんとなく熱に浮かされながら観たガラスの華だが、せっかく8話まで観たのだからこのまま挫折しないで最後まで見ようと思う。そのためには視聴日記がいいだろうと、懲りずにブログでも視聴日記をつけてみることにする。まずは8話までの総括を。

日本ロケが話題となったドラマで新しさが売りかと思いきや、8話まで一気に観てみると、なんとなくあの@冬ソナと設定が似ている。ただ視聴日記をつけるだけでは芸がないだろう。あることないことなんとなく比較して観てみるのも雰囲気が変わっていいかもしれない。

冬ソナは大人になったユジン(チェ・ジウ)とサンヒョク(パク・ヨンハ)の前に、高校生の時死んだはずのチュンサン(ペ・ヨンジュン)がミニョンとなって二人の前に現れるが、ガラスの華もジスとギテの前に川で溺れて死んだはずのドンジュが、日本人山本祐一となって現れる。記憶喪失の重い軽いの違いこそあるが、二人が昔の事を思い出せないのも一緒だ。ジスがギテから経済的援助を受け、周りも結婚間近と思っている状況は、高校卒業後10年も付き合った後、婚約しようとしているユジンとサンヒョクそのままだ。
ユジンはミニョンが現れたことによって、ジスはドンジュが現れたことによって心が揺れ、そして昔の心を思い出すとともに、現在のミニョン、ドンジュに好意を抱く。
昔からのしかし新しいライバル出現に心配するサンヒョクは、ハンガーストライキというびっくりする甘え方でユジンを自分の物にしようとし、ギテはチンピラ相手に怪我をし、その手当てをジスにねだる。
更にドンジュ、ミニョンともに母親の重すぎる愛情を一心に背負っている。

更に冬ソナのマフラーに匹敵する小道具は、ちょっと力不足だが、イ・ドンゴン演じるドンジュの絞める幅広のネクタイだろうか。

「ヨン様の出演していないドラマと冬ソナを比較するなんて論外」とペ・ヨンジュンファンの人に意見されそうだが、こんな風に比較して観るのも一興と許してもらえたらと思う。
それにこんな風にちょっと変わった見方でもしないと、このドラマを観続けることが出来ないような気がするのだ。主演のイ・ドンゴンの頑張りを期待し、見続けられたらいいと思っているのだが・・・

ガラスの華

貴ノ花

2005-05-30 22:00:29 | なんということはない日常
千秋楽は殆ど輪島と北の湖の対戦だった頃でも、一番人気は横綱の二人でなく、貴ノ花だったと思う。
8勝7敗でやっと勝ち越しという時も多かったし、2ケタ勝てば御の字というような苦戦が続いていたはずだが、場内の応援の声は一番大きかったはずだ。
両親の影響もあったのだろう。先日武蔵丸が引退するまでは相撲のチェックは欠かしたことが無かった。小学生の頃は相撲が終わった翌日のスター千一夜を欠かさず観、優勝力士のインタビューもチェックすることも忘れなかった。
学生だった頃は、5時過ぎの中入り後の勝負から最後の弓取り式までキチンと観、弓を落とした時は足の指をつかって拾うことも知っていたし、勤め始めてからは大相撲ダイジェストで中入り後の勝負を確認していたりしたから、かなりの相撲好きだったように思う。

沢山の力士を見てきたが、やはり大きな力士の中で痩せた体躯が印象的だった貴ノ花と、ハワイからやってきた高見山は子ども心にも印象的だった。
そして貴ノ花の二人の息子、貴乃花、若乃花の二人が活躍している時でも、私の中の@タカノハナといえば、二人の親方、貴ノ花だった。それだけ印象深かったのだろう。

今はハワイ出身の力士の姿もなく、貴ノ花のような小兵の力士の姿もなく、私が相撲観戦を楽しんでいた頃とはすっかり様子が変わってしまっているようだ。私自身もテレビで相撲観戦することもなくなってしまっている。そんな時にこのニュースを耳にし、本当に寂しい気持ちになった。
ご冥福をお祈りします。

元貴ノ花の二子山親方死去 角界のプリンス (共同通信) - goo ニュース

ガラスの華

2005-05-29 16:21:03 | 韓国字幕つきドラマ感想
先週からの喉の腫れと微熱のせいで、週末は結局ごろごろと過ごしてしまったのだが、そのおかげで録画してあった韓国ドラマ@ガラスの華を8話まで一気に観てしまった。
子どもの頃の事故で離れ離れになった三人組が、成長してそれとは知らずに再会し、昔の事を知った後に更に苦しむという韓国ドラマだ。美しく成長したジス(キム・ハヌル)を日本人として育ったドンジュ(イ・ドンゴン)そしてギテ(キム・ソンス)がお互い初恋の人と大事に思う。昔の事に気づかず日本で再会したジスとドンジュはお互い好意を持つが、ジスの隣には、15年間ジスの事だけを思っていたギテがいたという設定だ。
ギテは「僕にはジスしかいない。何があってもジスを諦めない。ジスのいない未来はない。」と「ギテの事を大事な友人としか思っていない」というジスの言葉に耳を傾けない。
チンピラと喧嘩をし荒れるギテは、傷の手当をジスにせがみ、膝枕をしてもらいながらジスに甘える。
かたやドンジュも「後悔はしたくないんだ」と誘いを拒むジスのことなど気にかけず「明日あの場所で会おう」「今度会う時持ってきて」と無理やり自分の時計押し付け会わざるを得ない状況にしたりしている。
そんなジスも「初雪が降ったときに会うのは友達じゃなくて恋人じゃなくちゃ」とドンジュに言っておきながら、青いバラを持って雪が降る中、南山の公園で待つドンジュの許に「あなたはただの友達じゃなくて、特別な友達だから」などと言って駆けつけたりするのだ。

첫눈이 오면 공원어서 만나요.(チョンヌニ オミョン コウォンネソ マンナヨ)
(初雪が降ったら公園で会いましょう)
NHKラジオのハングル講座の면を使った~すれば~すると等の仮定の表現の例文にこんな洒落た言い回しがあった。
ソン・スンホン(宋承憲)の映画 あいつは格好よかったにも「初雪が振ったら公園で会いましょう」などという台詞があったし、どうやら韓国では初雪は恋人たちにとって幸せなキーワードらしい。
そんな幸せな場に「特別な友達だから」と思わせぶりな言葉でジスが来たら、ドンジュも諦める訳はない。まぁギテが諦めれば三人丸く収まるような気がするが、そんな簡単に終わる訳はなく、これから泥沼はまだまだ続きそうだ。

熱があったせいで、ビデオ屋まで出かけるのも躊躇してしまった。スターウォーズを観るのは来週末になりそうだ。

ガラスの華

スター・ウォーズ「エピソード3」シスの復讐

2005-05-27 21:23:50 | なんということはない日常
スター・ウォーズ「エピソード3」シスの復讐の予告編を新宿プラザ劇場で観た。
中学生の夏休み、満員で席が無い中、買ったばかりのパンフレットを通路に敷き、同じ劇場でハリソン・フォード、マーク・ハミル、キャリー・フィッシャーの三人の出演したスター・ウォーズを観ながら「6部作なんて出来るわけないよね。」と友人と話したことを懐かしく思い出した。
あの当時は日米同時公開などという言葉もなく、スター・ウォーズもアメリカ公開から遅れること1年経ってからの公開だったはずだ。
同行した友人がすっかりハン・ソロ(ハリソン・フォード)ファンになり、彼が端役出演している@アメリカン・グラフィティをどうしても観たいと騒いでいたことも、ビデオが無い時代の懐かしい思い出だ。フォースに(理力)という字幕が付いていたような気がするが、今発売されているDVDにも同じような字幕が付いているのだろうか?

アメリカ公開からわずか一ヶ月で日本で見られるなど、あの頃は誰も想像出来なかったと思う。
ビデオも無いから、繰り返しみたければ映画館に足を運ぶしかないのだが、好きな友人は何度も劇場に行っていたと思う。夏休み明けの教室には、あのダースベーダーの「スゥースゥー」という声だが息だか分からない音をまねする友人も沢山居た。
あれから30年近く経って本当に6部作まで作られるとは、ファンがいてこそこの日を迎えられたのだろうが、子どもの頃の夢を大人になってまで持ち続けたジョージ・ルーカスの熱意には敬意を払いたい。そしてその熱意がこれだけの巨大なマーケットとして成り立つということを目の当たりにするのは、スター・ウォーズフリークでなくても、なんとも不思議な感じだ。

今の時期ひく風邪は夏風邪だろうか。疲れたりするとすぐ喉が腫れ、微熱が何日も続きがちなのだが、今回も週末の休みの前に喉が腫れてしまった。
微熱が1週間程続くのも嫌だが、声がまるでダースベーダーのようになるのが一番辛い。
仕事中も声が出ないことに変わりはなく、電話の相手は「すーっー すーっー○○会社でございます。すーっーすぅー・・・」にかなりびっくりしていた。週末はゆっくりスター・ウォーズのビデオでも見ながら休もうと思う。エピソードⅢの予習にも丁度いいかも知れない。

スター・ウォーズ・ジャパン

秋の童話

2005-05-26 21:29:31 | ソン・スンホン(宋承憲)
初めてテレビでソン・スンホン(宋承憲)主演の秋の童話を観たのは、三年前の今頃、2002年の5月だった。
病院で取り違えられ兄妹として育った男女の恋愛物語にも関わらず、兄を演じるソン・スンホン(宋承憲)の余りの眉毛の濃さに「こんなにシリアスなドラマなのに、なんでこの人眉毛をこんなに濃く描いているんだろう?」と真剣に思ったものだ。
眉毛の濃さに慣れた後も、登場人物達の流す涙の数にびっくりしながらドラマを楽しんだため、結局自分自身は最後まで一筋も涙を流さずに終わってしまった。

そんな色々な意味でカルチャーショックを受けた秋の童話をきっかけに、この3年間程ソン・スンホン(宋承憲)の出演するドラマ、映画そして韓国四天王と命名された俳優たちの出演する沢山の作品を、韓流ブームの波にしっかり乗って楽しんできた。
そんな事を考えると韓国ドラマ好きと思われて当然だと思う。(実際嫌いではない)しかし自分の中では韓国ドラマや映画が好きというより、ソン・スンホン(宋承憲)ファンになったから、韓国語を覚えたい、そのためには好きな映画やドラマで言葉を覚えるのが一石二鳥ではないか。そんな事を思いながらドラマを楽しんだりしているというのが正直な感じだ。
勿論楽しむ機会が増えれば愛着も湧く。何かというと交通事故や病気、出生の秘密といった定番のドラマ設定に、ちょっとぐらい辻褄が合わなくても、まぁいいやと思う心の余裕も生まれる。三年間そんな感じで行きつ戻りつしながら、ドラマや映画を楽しんできたつもりだ。これからもきっとそんな暢気な雰囲気で楽しむことになると思う。

韓国ドラマについて書かれている本も沢山読んだりした。
そんな中で@ピビンバの国の女性たちという大変元気の良い本にめぐり合った。
勢い余ってかなり勇み足の箇所も多い。ちなみにドラマを観ないで秋の童話のことを書いている件は本当にびっくりした。私の観た結末と違うあらすじが書いてあり、その間違ったあらすじをもとに更に次の話へと繋がっていくのだ。これを著者に正したら「そんなこと、たかがドラマのあらすじじゃない。ケンチャナ」といわれるのがオチだろうか。
それについて文句をいってもいいかもしれないが、それをもってしてもなお余りある元気の良い文章には心引かれるものがある。書店に山積みになっている韓国ドラマ本を何冊も読むより、この本のお役立ち解説を読んだほうが面白い。
しかしドラマを観ないでドラマ解説を書いているぐらいだから、是非話半分で楽しむことをお薦めする。


ピビンバの国の女性たち

講談社

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ザ・インタープリター

2005-05-25 21:36:17 | 映画鑑賞
先週末から公開されているニコール・キッドマンとショーン・ペンが共演している映画。ザ・インタープリターを私は一種の恋愛映画として楽しんだ。

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だれる場面がなく、どこまでも緊張感の続くサスペンス映画で、ラブシーンらしきものは殆どない。それにも関わらず恋愛映画としても楽しめる作品になっているのが凄い。直接的な感情を溢れさせる場面がなくとも、最初は相手の事など理解しようともしなかった二人が、それぞれが失ったものを相手に示すことによって自分を理解して貰おうし、そして相手のことも理解しあおうとする。自分の感情を表す時の態度が大人であればあるほど、二人の感じる喪失感の大きさが感じられるし、感情を制御できず、一瞬みせる心の揺れが余計に切なさを感じさせる。
自分の感情を垂れ流しにするだけの恋愛映画より、よほど二人の心の動きが切なく感じられる。
これがサスペンス映画でありながら、恋愛映画としても楽しむことが出来る理由だろう。
ただ,、恋愛映画を予想していくと期待はずれかもしれない。あくまでもサスペンスとして楽しみながらも、二人のわずかな心の動きを楽しむのがいいだろう。

過去をなくし国連で通訳(インタープリター)をする女性、妻を事故でなくしたシークレットサービス。如何考えても接点などなさそうな二人が事件によって少しずつ近づいていく様子が、サスペンスとは思えないほど綺麗に撮影されているNYの様子と一緒に進んでいく。
最後のシーンなどは一番好きなNYのシーンになりそうだし、ニコール・キッドマンの出演作品の中でも一番好きな作品になりそうである。
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勿論この映画は国連を舞台にしたサスペンスで、それについても色々思うことはあったのだが、上手くまとめられずこんな感想になってしまった。

勤務先が永田町という場所がらのせいだろう。ここ二三日毎朝のように右翼の街宣車がやってきて演説をしている。
マイクを通して聴こえる割れた音では内容もよく分からないが、おそらく中国の副首相が小泉総理との会談をキャンセルして帰国したことについてに違いない。
中国の言おうとすることも分からないではないが、黙って帰るのはやはりどうかと思う。
そうかといって「話せば分かる」という小泉総理の言葉にも、何の誠意が感じられないのも確かだ。
残念ながら身の回り1メートル以内にある問題を解決するのに忙しく、政治の事について深く考えることもないが、一つ思うことは、トップに立つものは常に批判の波にさらされて当然ということだ。(批判という言葉だと語弊があるだろうか。)勿論良い行動には素直に賛同することも必要だが、今良いと思われる行動でも、何年後何十年後にどの様な影響を及ぼすのか、更に良いと思われることでも、もっと良い選択肢はなかったのかと常に見直されることが必要な気がする。
国のトップに立つものはそれだけの権力を持っているのだ。力が大きければ大きいほど間違った方向進めば方向転換をすることが難しくなる。
間違った方向に進むことを止めるには、どんな行動も常に冷静な眼で見直されることが一番のような気がする。そしてトップに立つものは常にその批判と見直しの声に、真摯に耳を傾ける必要があると、ニコール・キッドマンの美しすぎる横顔を眺めながらぼんやり考えた。

今はこんな風に書いているが、きっと一ヶ月もしたら「ザ・インタープリター?ああニコール・キッドマンが主演の恋愛サスペンス映画でしょう」などと言ってしまいそうだ。
それほどこの大人の恋は印象的だったのだ。そうならないように、人の批判をする前に、まず自分の記憶力について冷静に考える必要がありそうだ。

女性専用車両

2005-05-24 20:46:08 | なんということはない日常
私は時間が合わないので利用したことがないが、毎朝乗ってくる会社の同僚は「香水の匂いでくらくらしそうになるし、小学生には悪いけれどランドセルも結構邪魔だし・・・女子高生の集団は手鏡を出したりお菓子を出したり忙しいし、おまけにうるさいし・・・。男の人が乗ったら別の意味でくらくらするかもしれませんね。そんなにいいもんじゃありませんよ。」と言っている。

痴漢に悩んでいる人にとっては本当に朗報だとは思うが、女性専用車両ができたからといって痴漢が無くなるわけではないし、逆差別のような気もするし、更に女性専用車両では通勤に不便な人も多いはずだ。女性専用車両があるのに、普通の車両に乗るのはかえって男性に対して迷惑になるのか?などと考え出すときりがない。

職場でのセクハラも、今は男性から女性に対するものだけがセクハラと考えられている。
(これは次回の法改正で逆のパターンもセクハラとなるそうだが)
セクハラは非常に微妙な問題で、結局のところ被害にあった本人が不快感を持てば、それはすべてセクハラとみなされるのだという。(私の理解が足りないかもしれないが、セクハラに関するセミナーを聞いた限りではそれが全てのように私は理解した。こんな簡単に言い切ってしまうのは語弊があるかもしれないが・・・)
「今日の洋服夏らしくていいですね」一字一句違わずに声をかけられたとしても、好ましく思っているAさんからの言葉は普通の会話としてとられ、Bさんからの一言はセクハラと考えられてしまうこともあるのだ。
会社でも「今日のワンピース素敵だね」と声をかけていた男性を見かけた別の女性が、「ああいうセクハラまがいの言動は慎んだほうがいい」と言った男性に対してメールで注意した、という話を聞いたことがある。
言われた本人は服装を誉められ喜んだかもしれないのに、言葉だけが一人歩きして何の関係も無いところで要らぬ物議を起こしているとしか思えない。

今日「有給休暇を取って温泉に行ってきました」という男性の同僚からお土産のお菓子を貰ったが、「誰と行ったんですか?」などと質問するのは逆セクハラ?かなどと変に考えてしまい、結局黙ってお菓子を貰っただけになってしまった。

考えれば考える程、他人とどんな風に距離感を取ったらいいのかわからなくなってくる。


マイ・リトル・ブライド

2005-05-23 22:01:19 | 韓国ドラマ・映画
私も何本か楽しんだ韓流シネマ・フェスティバルは今週の金曜日の@マイ・リトル・ブライドで終了だ。

去年のGWに韓国へ行った際ミョンドンの映画館でこの映画を観た時は、まさかこんなに早くこの映画が日本で公開されるとは思いもしなかった。

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明洞で観たコメディ@オリン シンプ (幼い新婦)
心に残る映画や何か考えさせる映画ばかりでは肩が凝る。2時間だけでも楽しく過ごせればもう充分!

隣同士に住む大学生キム・レウォンと女子高生ムン・グニョンが祖父同士の約束で結婚することになってしまうというコメディ
お互いに恋人(大学生キム・レウォンにはには女の先輩が、高校生のムン・グニョンには同じ高校の野球部の先輩)がいるが、
ムン・グニョンのおじいちゃんはそんなことに構ってはいられないのだ。どんどんどんどん話はすすみ、(両親は止めているんだが、止めていないんだが判らないし)結局結婚式を挙げ、トントン拍子で結婚生活が始まってしまうのだ。
高校生が結婚してどうすると思うのだが、高校の校長はおじいちゃんの後輩だから問題ないとかいっており、(多分そう言っていたと思う)
もう話の展開からして無理が山盛りなのだが、楽しいので許そう。

この映画の一番のポイントは、なんといってもムン・グニョンとキム・レウォンが並んだ時に夜の匂いを感じさせるものが一つもないことだろう。
これは演技の良し悪しにも関係なく、歳が若い、顔が可愛いといったことにも左右されないと思う。
最近は中学生くらいでも妙に色っぽい子はいるし、色気は顔の美醜に関係ないことは誰でも判る話だ。話の展開に無理があるのだから、そんな匂いがちょっとでもしたら、居心地が悪くてもう観ていられない。それが暢気に笑って2時間過ごせるのは、すべてキャスティングのお陰といっても過言でないはず。

韓国映画やドラマを観始めて一番最初に感じたことは@韓国俳優は動いてこそということだった。
写真ではどうかと思う俳優も、一度動き始めると本当にしっくりとその場面に収まることが多いのだ。主演のキム・レウォンも写真ではちょっと首を傾げるショットがあるのだが、動く姿はもう好青年そのものだ。そして時折見せる笑顔が(いつもでなくこの時折がポイントだ)なんとも観ている者に安心感を感じさせるのだろう。この映画に危うい感じは必要ない。この主演二人の安心感がこの映画を気持ちのいいものにしているのだ。

*********
学校を卒業し勤め始めた頃は「信じられない」が口癖だった。
今では何があっても動じないようになったと思うが、それでも想定外の出来事が起こるとかなり疲れる。
そんな時は、何が起こるかどんな結末か見る前から分かっている、楽しい映画を観るに限る。
韓国で観た時は言葉が分からなくてもかなり楽しめた。
しかしこの映画、旅先で楽しむにはよかったが、仕事帰りに観るにはちょっと幼すぎるのが難点だ。日本語字幕で内容を再確認はしたいが、映画館に足を運ぶのは照れてしまう。
何しろ韓国版「奥様は18歳」なのだから。

マイ・リトル・ブライド

屋根部屋のネコ

2005-05-22 15:44:00 | 韓国ドラマ・映画
病気もないし、出生の秘密もない。勿論交通事故もないしと、設定だけを考えたらおそよ韓国ドラマらしくない屋根部屋のネコをここ2週間ほど楽しんでいる。昼間録画したものを寝る前に楽しんでいるのだが、就職浪人のジョンウン(演じるはチョン・ダビン)の屋上の部屋に、賭博で作った借金のせいでサラ金に追われるギョンミン(キム・レウォン)が転がり込んできて、仕方なしに同居を始めるという暢気なコメディだ。賭博を愛し、法律を勉強する大学生ギョンミンを演じるキム・レウォンは、大柄ではあるが普通の好青年といった雰囲気だし、ジョンウンを演じるチョン・ダビンも本当にごくごく普通の感じだ。しかし普通さを廃し、夢を見させようとする韓国ドラマの中では、なんということのない普通さも珍しく思える。更に韓国ドラマにしては珍しく2回めという早い段階で、二人が一緒に朝を迎えてしまうという場面もあるが、その後は一向に進展せず。という本当に暢気なドラマなのだ。
「二人はただの友達」と言いながらも、お互いの男女の影は気になるし、誕生日にはケーキを買い、ジョンウンのニンニクの皮むきのバイトにはギョンミンも付き合ってあげる。そして近所のスーパーに仲良く買い物に行き、ギョンミンの贅沢をいさめたりするジョンウンの姿もかいがいしい。(ギョンミンは特売の肉が食べたいがために、韓国アジュンマとやりあったりするのである。)お金がなくて一緒に住んでいるだけなら買い物など一緒に行ってあげることなどないのに、この辺りのことが暢気に描かれていたり、ジョンウンの女友達の意地悪もたわいもないことの連続なので、必要以上にイライラすることもない。寝る前にぴったりのドラマだ。

今朝近所のスーパーにいったのだが、ドラマの中と同じようにタイムサービスの特売品コーナーは人だかりが出来ており、大人につぶされそうになる子どもが泣いていたり、人の波をかき分けて商品を並べようとする店の人がいたりと大変な騒ぎになっていた。
タイムサービスの商品を買ってくるように母親に言われていたのだが、人が凄くて売り場までも辿りつけず、「卵は全部終了しました」という店内放送を虚しく聞くことになってしまった。結局1パック130円程の卵は開店から10分ほどで売り切れになってしまったようである。

韓国ドラマを観ていると「私が世界で一番強い!自分が法だ!」という韓国アジュンマのパワーに圧倒されるが、今日の特売品売り場の様子を見ていると、日本の主婦も負けていないと思う。
そんな風にちょっと茶化したくなるが、それでも大人にもみくちゃにされていた卵売り場の赤ちゃんはちょっと可哀想だった。特売品の前には子どもをつれずにいったほうが安全だと思うのは余計なお世話だろうか。

「悲しき恋歌に捧げた」愛

2005-05-21 20:17:58 | たまに読んだ本
「悲しき恋歌に捧げた」愛は、土曜日の午後韓流アワーとしてフジテレビで放送されている「悲しき恋歌」の企画プロデューサー@キム・グァンスが、ソン・スンホン(宋承憲)の入隊問題で難航したドラマ制作の話を中心に自分の芸能界でのキャリア、これからの芸能界での活動についてまとめている本だ。
ソン・スンホン(宋承憲)との交流、チョ・ソンモの話も興味深いが、最後に書かれている”韓国エンターテイメント「韓流」について”という短い文章の中で、現在の韓流ブームを、80年代の半ばの韓国での香港ブームと比較して考えようとし、更に芸能界で仕事をしてきた人らしく「文化というのは分析や評価のようなものでは理解できない何かがあるから面白い」と率直に語っているのがとても印象的だった。韓国ドラマに関しては「想像的な現実」を作り上げ、その中で男女の主人公が愛の結実に近づくための試練を乗り越え、自分たちの愛の中に肯定的な解決を見つけさせる。それによって観ている側に「代理満足」を与える。大袈裟な言葉を使う言葉の遊びによって生まれる日常生活とは違った醍醐味。ドラマをドラマらしくつくる韓国ドラマの特徴をこんな風にまとめている。

今本屋の店頭には、厭きれる位沢山の韓国ドラマ本(ムックというのだろうか)が並べられていているが、内容はどれも似たり寄ったりなので、たまに立ち読みをするだけだ。この本も、話題性のあるソン・スンホン(宋承憲)の入隊問題で揺れたドラマ制作の裏話を中心にした企画本でしかないかもしれない。
それでもチョ・ソンモをプロデュースすることになったいきさつや、他の歌手のマネージメントの話などは、巷に溢れるドラマのあらすじを追っただけのムック本とは一味違ったものになっていると思う。

香港映画好きとしては、80年代に韓国で人気があったチュ・ユンバル、ユ・トクファの件ににんまりしてしまった。
チュ・ユンバルは周潤發(チョウ・ユンファ)、ユ・トクファは劉徳華(アンディ・ラウ)のことなのだから。

「悲しき恋歌」に捧げた愛

英知出版

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サマータイム

2005-05-19 21:57:35 | なんということはない日常
サマータイム法案が又国会に提出されそうだと新聞で読む。
「時計を一時間早く進めて涼しいうちに仕事をし、一時間早く切り上げ余った時間を余暇に使おう。」ということらしい。
一時間早く仕事を始めたからといって、一時間早く帰れる保障などどこにもない。仕事の時間が長くなるのが関の山だ。
それに、一時間早く起きたら一時間早く寝るというのが道理というものではないだろうか。
余暇などと暢気なことを言っていたら、今でも少ない睡眠時間が更に短くなってしまう。

もう平成になって17年も経つが、母親はついこの間まで「昭和だと今は○○年だから」等と一度昭和に換算してから人の年齢などを確認していた。体内時計がすっかり昭和になっていて、西暦や新しい元号ではどうもしっくりこなかったらしい。そんな母親にサマータイムが導入されたらどうする?と尋ねると「いい加減にして頂戴。1時間も時間を進めたらもう11時じゃないの」とかなり本気で怒っていた。

サマータイムが導入されたら、毎日毎日「今の本当の時間はと?」と時計の針を1時間ずつ戻すことをし続けるだろう。体内時計がやっと慣れた頃には、季節は時計を本来の時間に戻す時期になってしまうだろう。寝不足になり、更に毎日時間の換算をしなくてはいけないなんて、母親の言うとおり確かに良いことなどあるはずがない。本当にいい加減にしてほしい。

チョウ・ユンファ

2005-05-18 21:17:21 | 香港(香港映画&中華明星)
朝日新聞の夕刊に、映画の制作本数が落ち込み人材不足を心配する映画監督と香港政府が、今年の2月に協力して作った専門学校の記事が「めざせ、ジャッキー 香港スタントマン学校」との見出しで掲載されていた。

確かに去年の秋香港へ行った時も、映画館ではハリウッド映画が幅を利かせていたし、街のDVDショップには、知らなければ中華系かと思ってしまう韓国映画のソフトも数多く出回っていた。
そうは言ってもまだまだ面白い映画も沢山あるのだ。先日DVDで観たイー・トンシン監督の@旺角黒夜(oen night in mongkok)も良かったし、成龍(ジャッキー・チェン)が久しぶりに出演した香港映画@香港国際警察も、今までのジャッキーのコメディ路線とは一線を画した作りに感動する作品だった。
韓国ドラマ、韓国映画と最近は騒いでいるが、好きな香港映画の事を決して忘れたわけではない。
新しい場所で遊んでいても、戻る場所があるという安心感があるとでもいうのだろうか。
最近はチャン・ドンゴンが中国映画に出演したり、旺角黒夜に出演していたセシリア・チャンが韓国映画に出演したりと、なんとなく昔の彼と今の彼が仲良くしてくれて嬉しいといった雰囲気だ。主人公が死んだのに続編がキチンと作られる香港映画も、何かというと病気になったり、交通事故が起こったりする韓国映画も、どちらもご都合主義だがそんなところが大好きなのだ。
調子がいいかもしれないが、どちらのいいところもゆっくり楽しみたいと思う。

今日5月18日は香港俳優チョウ・ユンファの50歳の誕生日だ。
最近はあまり思い出すことも無かったが、何かのきっかけで昔の恋人を思い出し感傷に浸るというのはこんな感じをいうのだろうか。トレンチコートの裾を翻し振り向きざまに二丁拳銃を撃つユンファの姿を、男たちの挽歌の中で見なければ香港映画をこんなに好きになることもなかったろう。
両親に「小林旭の映画の二番煎じ」などと酷評されながらも、飽きずにビデオを見ていた頃を思い出した。
今日ぐらいはいつもの韓国ドラマでなく、ユンファの映画を観てみようと思う。

見えない?

2005-05-17 21:34:08 | なんということはない日常
夕食を食べながら観ていた@踊るさんま御殿で、お笑い二人組のアンガールズが「僕たち背が低い人が見えなくて」と言っているのを聞きドキッとしてしまった。
柔道の谷亮子選手がテレビに出演しているのを見て、「小柄だな」と他人事のように思っているのだが、実は私も谷選手と同じ148センチ程しかない。
最近「きもかわいい」(気持ち悪いけれど可愛いという意味らしい。結局好きなのか嫌いなのかはっきりしない)という妙な形容詞で評されることが多いアンガールズは二人とも180センチ以上あり、小柄なマネージャーが側にいるとかえって気が付かないことがあるのだという。

満員電車の中では、背の高い男性に囲まれないように立ち位置を注意はしてみるものの、ふと気づくと四方八方を囲まれ埋もれてしまうこともたびたびだ。満員電車は諦めているが、最近は道を歩いていてもどうも歩きにくいことが多いような気がする。
小柄なせいで道まで歩きづらいのかと思っていたのだが、人の流れをみていると、理由はどうやら他にもありそうだ。
若いカップルなどを観察してみると良く分かるのだが、男性は自分の彼女はかばっても、すれ違う相手のことなど気にしない人が多いのだ。ちっともよけようとしていないのである。
更に雨の日などすれ違う時ちょっと傘を斜めにずらせばお互いに楽なのに、直進してくる傘の多いことにびっくりする。それでなくても背が低いので、他人と傘の位置を合わせようと手を伸ばしていることが多いので、雨の日の通勤は大変なのだ。その中で傘が直進してくるのだから、結構びっくりする。そんな中で人の流れを崩さず人の波に乗りながら上手く歩くのは、中々至難の業なのだ。
確かに見えないところでちょろちょろ動くのは、邪魔かもしれないが、小柄な者は小柄なりに気を遣っているのだ。
アンガールズの二人も30センチ程下で何が起こっているか、ちょっとだけ目線をさげて貰えればと思う・・・

スカーレットレター

2005-05-16 21:27:15 | 映画鑑賞
風が強かったせいだろうか。寝つきがいいのが唯一のとりえのはずなのに、昨日の晩は夜中に何度も眼が覚めてしまった。
いや風のせいにしたいが理由は自分でもよく分かっている。
昼間見に行った韓国映画スカーレットレターのせいだ。
イ・ウンジュの遺作でもあるこの映画は、話そのものも重いテーマだし、最後の30分は、観るのも聞くのも辛い映像が続く作品だ。
いわゆるホラー映画を観ると怖くて寝付けないという人は多いだろう。私の場合は眠りに入るのは簡単だし、眼をつぶって映像が浮かんできても、怖いという思いはないのだが、それでもどこかに何か思うものがあったのだろう。いい喩ではないかもしれないが、毒気に当たるという感じだろうか。(眼は冴えてしまったが、私は観てよかったと思う。しかし内容が内容なだけに誰にでもお勧めする訳にはいかないのが残念だ。)

私には関係ないと思っていたが、やはり眠る前には余り真剣なものは観たり聞いたりしないほうが良いらしい。身体が眠っても精神は覚醒したままで、疲れが全然取れないらしいのだ。

昨日の教訓をいかし、今日からは寝る前には明るめのドラマでも観て眠ることにしようと思う。さしあたっては昼間録画しておいた韓国ドラマ@屋根部屋のネコがいいだろうか。
聞き取りの練習にと、韓国語で録音しているから眠りを誘うにはぴったりの気もするが、「何故屋上に部屋を作るんだ」等と気になって、かえって眠れなくなってしまうだろうか?


スカーレットレター

美しい夜、残酷な朝

2005-05-15 15:30:59 | 映画鑑賞
昨日からヴァージンTOHOシネマズ 六本木ヒルズで公開されている@美しい夜、残酷な朝は去年の9月香港へ行った際楽しんだ。三本を一緒に@三更Ⅱというタイトルで公開している劇場と、香港のフルーツ・チャンが監督した作品@餃子だけを上映している劇場と二通りあった。
一本で上映するだけのことはあり、フルーツ・チャンが監督をしている@餃子(英語タイトルはdumpling)はなかなか見ごたえがある。

名前でお客さんを呼べる各国の監督が撮影した作品を、一つの作品として上映するという、市場拡大を念頭に入れたオムニバス形式の映画(一作目はThreeとうタイトルで日本でも公開済み)の第二弾のはずなのに、日本ではすっかり韓国パートの主役イ・ビョンホンのことばかりクローズアップされていてちょっと残念だ。
勿論韓国のパートも面白いが香港のパートも面白いし、三池監督の日本のパートもサーカスの物悲しい感じが良く出ている作品だ。是非ビョンホンだけでなく他の2作品も楽しんで欲しいと思う。
特に香港のパートは、女性なら絶対興味がある題材だと思うのだが。

割愛(cut)

韓国とは思えないほど場違いな西洋風の家に住む映画監督。ある日家に帰ると見知らぬ男に監禁されてしまう。イ・ビョンホン演じる若くして映画監督として名を成した男と、来る日も来る日も監督の言い成りになりエキストラを演じる男。今まで自分が演技をつけていたエキストラの男から許しを請う態度がなっていないと駄目だしされるなど、立場が逆転することによっていたたまれない場面が続くのかとおもったが、必要以上にあざとい訳ではなく、割と拍子抜けだった。
エキストラの男の持つ恨(ハン)もそれほど強くは感じられず、どこか笑ってしまうような滑稽な雰囲気も残していたので、最後まで面白く観る。しかしそんな雰囲気を感じさせたせいか、最後の展開はややあっけないような感じだった。

ビョンホンの主演の作品を香港で観た時はこんな感想を持ったのだが、もし今回字幕付で観たら違うことを思うだろうか?そして今香港で観た時の事を思い出しているのだが、何が美しい夜で、何が残酷な朝だったか全然思い出せない。
何が美しく何が残酷だったかを感じるためにも、もう一度映画館へ足を運んだほうがいいだろうか?

2004年9月香港への旅