世界に一つだけの姥花日記

貴方は貴方らしく私は私らしく、世界にただ一つだけのきれいな花を一生懸命咲かせましょう。
シニア主婦の平凡な日記です。

思い出の地へ 向井潤吉アトリエ館

2024年04月27日 | 日常の生活

<夫から送られてきた携帯画像 皇居二の丸庭園>

昨日4月26日のこと。

先日夫が飲み会の帰路、皇居二の丸に立ち寄り、ツツジの携帯画像を送ってくれました。

満開をやや過ぎた感がありましたが、まだ間に合うと、お天気の良い昨日出かけたのですが・・・・。

向かう電車の中で開園時間などをチェックしていると、なんと金曜日は休園。

月曜日が休園であることは知っていましたが、金曜日も休園とは知りませんでした、残念

そこで今年のツツジ観賞は諦め、急遽行き先変更。以前から訪ねてみたいと思っていた思い出の地へGO。

それは夫の転勤で家族でドイツへ移住する前、4年間過ごした世田谷区弦巻の社宅。

以前 笠置シズ子さんのことに触れた時、少しそのことを書きました。覚えておいででしょうか。

笠置シズ子さん~思い出

 

その前に昭和の美術界を代表する洋画家 向井潤吉のアトリエ館が近くにあるので行ってみました。

当時住んでいた自宅を兼ねたアトリエを世田谷美術館の分館として、一般に開放しています。

閑静な住宅地にあり、とても美術館とは思えない佇まいで落ち着く空間でした。

茅葺民家をモチーフに、日本の原風景を描いたような油絵は、観るものの心にしっとり浸みわたります。

東北のある街で解体寸前だった土蔵を買い取り移築、アトリエ、画家蔵としたそうです。

内部は撮影禁止、お庭に面した一角だけ写真を撮らせていただきました。

詳しくはこちらのホームページをご覧ください。

向井潤吉アトリエ館

 

ここからは私の思い出の画像となります。ご興味のない方はスルーしてくださいませ。

こちらが元私たちの住んでいた社宅のあった場所。今は高級感あるマンションが建っています。

まず感じたのがこんなに道路広かったかな~。ほとんどの家々が立て替えられたのでしょう。

その際きっとセットバックがあり、後退させた土地分が道路になったものと思われます。

ほぼ半世紀前ですから、周囲の風景はすっかり変わっていました。

<笠置シズ子さんの住宅跡もマンション>

こちらはよく社宅の仲間と子供たちを連れて遊びに行った公園。当時より整備され広くなっていました。

<巨大ななんじゃもんじゃの木がありビックリ!>

次に行ってみたかったのが長女が1年間だけでした通園していた弦巻幼稚園。

夫がすでにいろいろ調べていたので、案内してもらいました。

14~5年前にすでに閉園、現在は常在寺という日蓮宗の墓地となっています。

道路を挟んで園舎と遊具のあった園庭(向かって左側)、原っぱに第二園庭(右側)。

Kちゃん、覚えているかな?長男は入園の手続きのみで結局入園せず渡独となりました。

全く景色は変っていましたが、とっても懐かしく、感慨深いものがありました。可愛かったな~Kちゃん

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4 コメント

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思い出の地を懐かしむ (nao♪)
2024-04-27 12:23:03
昔住まわれていた世田谷の社宅のすぐそばに笠置シズ子邸がある記事は以前読ませて頂きましたが・・・
当時の面影はなくマンションが立ち並ぶ地域になっていたのですね。
この歳になると昔住んでいた所が懐かしくなり、私も7年前に5歳から4~5年住んだ中目黒近辺を歩きました。
駅としては東横線の代官山が一番近かったのですが、住所はぎりぎり目黒区だったので
小学校は駒沢通りを10分歩いた中目黒小でした。
昔は小学校の裏に林がありましたが、70年ぶりに訪ねた思い出の地はもうオフィスとマンションばかりで
浦島太郎の心境でした。
花水木さんの子育てした思い出の地は散策できる向井潤吉のアトリエ館などがあり、
お子様たちの通われた懐かしい幼稚園や学校があり
何よりも花水木さん宅からはお近くで良かったですね。
私も結婚して10 年住み子育てしたのは三鷹台、夫の実家の割と近くだったので10 年前までは実家に行ったついでに
時々車で回ったりしたものでしたが何せ遠くて・・・
でももっと行ってみたい思い出の地は、その後夫の転勤で4年住んだ札幌かな~?
花水木さんもその後行かれたドイツには沢山の思い出があり再訪を願っておられるかと思います。
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Unknown (yuki)
2024-04-28 07:07:00
皇居の二の丸などは、遠くから見るだけで行ったことがありません。
世田谷美術館や畠山美術館は何度か訪れたことがあります。
姉も社宅で世田谷に住んでいました。(転勤族です)
世田谷のイメージは道路が狭く、迷路になっていて入り込むと迷子になってしまうくらいでした。
その割には、豪邸も多く有名人もお住いでしたね。
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naoさんへへ (花水木)
2024-04-28 23:15:03
こうして昔の懐かしい場所を訪れて、感慨に耽るなんて、つくづく自分が歳をとったのだな~と思いますよ。
もうずいぶん変わってしまっていて、昔の面影は殆どありません。
当時幼稚園は2年が殆どでしたよね。娘は最初の1年だけ日本の幼稚園、その後は長女も長男もドイツのキンダーガルテンに通いました。

そうそう、長女にこの写真を送ると、もちろんさっぱり分からずでした。
そしてドイツで住んでいたエリアをグーグルストリートビューで送ってきたのですが、
驚いたことにヨーロッパって、半世紀近く前と殆ど変わっていませんでした。
建物は奇麗になっていてもMAPはそのまま。日本は地図まで変わってしまいますものね。
地震や天災の多い日本、仕方ないのかもしれませんね。ちょっぴり考えさせられました。
返信する
yukiさんへ (花水木)
2024-04-28 23:26:27
懐かしい場所を訪れて感慨に耽るなんて、私,歳とった証拠ですね。
新婚当初は越谷、それから弦巻、西ドイツ、東京文京区春日、そして今の大田区のマンションです。
夫はそれ以降も九州佐賀、四国今治、大阪と東京から出たり入ったりの単身赴任。
転々としました。

私の住んでいた弦巻1丁目付近も素敵なお宅がたくさんありました。
でも今はマンションだらけ!あの頃の方が風情がありました。
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