世界に一つだけの姥花日記

貴方は貴方らしく私は私らしく、世界にただ一つだけのきれいな花を一生懸命咲かせましょう。
シニア主婦の平凡な日記です。

偶然が分けた生死~幸運な両親

2022年08月06日 | 家族

今日は77回目の原爆の日!8月6日午前8時15分、広島に原爆が落とされました。

一瞬にして数十万人の命が奪われ、今なお被爆の影響で病に苦しんでいらっしゃる方々がいます。

身近では私の両親(1996年他界)も夫の父(1987年他界)も実姉、夫も被爆者です。

夫は入市被爆者です。入市被爆者とは、原爆が投下された直後に爆心地近くに入り、

残留していた放射性の影響をうけたであろう者のことです。

夫の父は行方不明の妹(夫にとっては叔母)を探すために夫を背負い入市し、被爆しました。

彼は現在被爆者手帳を取得しており、何かと医療費の面で国の補助を受けています。

が、被爆者手帳を交付していただいたのは私と結婚してからでした。

入市被爆者として認定を受けるには煩わしい条件があり、亡くなった父がいろいろと手を尽くし、

その条件をクリアー、戦後20数年たって被爆者として認定を受けました。

家族を持ち、立派に独り立ちをしていた夫に、義父の言ったその時の言葉が今でも忘れられません。

「親としてできる最後の仕事だ」と。入市していたことを知る証人を探し当てるのに苦労したと。

私の両親も夫の両親も、被爆の影響かどうかは定かではありませんが、早世でした。

が、幸い夫も実姉も今のところ元気に過ごしています。感謝です。

私はと言えば翌年の8月に生まれ、辛うじて胎内被曝をも免れることができました。

もう2~3か月早く母のお腹に宿っていたら、胎児ゆえに大きな影響を受けていたかもしれません。

いえ、産まれていなかったかも?

 

昨年秋、義兄の7回忌を迎えるにあたり、よい機会と孫娘たちを広島に同行しました。

そして今年3月には中学を卒業した孫息子も夫と共に広島を訪れました。

平和の大切さを知ってもらうためにも、孫たちを広島に連れていくことが私の長年の願いでした。

それが実現でき本当に良かったです。

 

以前記した父母のその日の体験記事があります。お時間のある時にお読みいただければと思います。

↓クリックしてみてください。

原爆の日に寄せて

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする