ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

差別か否か、は学校種で違うはず

2016-03-30 07:55:56 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「差別?、それとも」3月23日
 『岡山短大 視覚障害理由 授業はずす 准教授、地位確認求め提訴』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、『ゼミの授業中に飲食していた学生に気づかなかったことや、無断で教室を出る学生を見つけられなかったことなどを理由』に短大側が准教授に対して『来年度から授業と卒業研究の担当を外れ、学科事務に移るよう命じた』ということだそうです。
 この措置に対し、准教授は『指導の質に支障はなかった』『差別が横行する教育現場は学生に示しがつかない』と話しており、短大側は『視覚障害を理由に差別はしておらず、提訴は驚いている。我々は教育の質を担保すると約束している学生の立場に立っている』と述べているそうです。
 どうなんでしょう。私は過去にこのブログで、全盲の小学校教員や今何かと話題の乙武氏の小学校講師について、疑問を呈してきました。私の中に差別意識が皆無であるというつもりはありません。おそらく何らかの差別意識はあることでしょう。しかし、長年人権教員を担当してきたこともあり、障害者差別についても人並み以上の知識と経験は持っているつもりですし、自分の中の無意識下の差別意識を制御する能力も身に着けているつもりです。
 その上で、小学校教育において、子供の安全に配慮し対応できる能力を欠くのは教員として勤務し責任を果たすことは難しいこと、他の教員の補助者としての配置等についてもそのことで生じる組織全体の負担増が長期的に学校を疲弊させること、新たな補助者の配置には長い年月にわたっての財政負担が生じることを市民や保護者が納得するかという問題があること、などを指摘してきました。
  その立場からすると、「授業」中に学生が飲食していたり、教室を出て行ったりする状況は、指導の質が確保できているとは言い難いと判断せざるを得ません。ただ、今回、私が迷っているのは、短大と小中学校の違いです。記事には授業とありますが、短大で行われているのは「講義」でしょう。義務教育である小中学校では、授業を受けない子供を放置することは出来ませんが、短大では、あくまでも学生自身の責任とみなすことも可能です。サボればテストの結果が悪く、単位を落とし留年するということになるだけです。抜け出したり飲食したりしたくなるほど講義の内容がつまらないというのであれば、それは傷害とは関係のない能力評価という視点で適否を判断すればよいだけのことです。
 教育の場に差別があってはならないという主張も正しいですが、学生に教育の質を保証するという考えもまた正しいのです。今回の裁判の結果は分かりませんが、単なる勝ち負けではなく、学校種や担当教科、担当校務等による違いについても、一定の見解を示すような判決を期待したいものです。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 本当のことを言えば許す… | トップ | 一片の通知では済まない »

コメントを投稿

我が国の教育行政と学校の抱える問題」カテゴリの最新記事