「中毒症状」3月4日
『新時代の中国 校内録画し常時監視 「まるで監獄だ」生徒反発』という見出しの特集記事が掲載されました。見出しだけでも分かるように、中国の学校で監視カメラによる管理が進行しているという記事です。私はこのブログで、我が国でも保育園で映像による「お知らせ」が人気であるということから、校内に監視カメラ網が張り巡らされる近未来を予想し、危惧の念を表明しました。ですから、同じ主張を繰り返そうとは思いません。ただ、記事の中に気になる記述があったので、その点について触れたいと思います。
それは、監視カメラをが設置されている学校の教頭の話です。『かつて保護者は教師を信頼していたが、今は「カメラ」を信じる』『教室は公共の場であり、プライバシーはない』『日本も監視の効果を味わったら、使わずにはいられなくなる』です。また、教育シンクタンク「21世紀教育研究所」副院長熊丙奇氏の『四六時中監視された子どもらは「良い子」を演じて内面を隠す』も気になります。
学校への監視カメラ設置によって、教員への信頼感低下、良い子を演じるという指摘は、私もしてきました。当然予想されることですが、実際に監視カメラ先進国中国の実践から証明されたということです。今回新たに考えさせられたことの一つは、教室は公共の場という考え方についてです。道路も駅も広場も公共の場です。だからこそ監視カメラの設置に抵抗が少ないのです。ですから、教室も公共の場ということになれば、監視カメラの設置が肯定されるのです。
しかし、本当に教室は公共の場なのでしょうか。教員が子どもを指導する場=公共の場とするのであれば、カウンセリングルームも公共の場となります。さすがにそれはおかしいと考える人が多いと思います。でも、それではどこに公共と非公共の線を引くかということになれば、明確な基準はなく、限りなく公共が拡大されていく危険性があります。
それ以上に重要な指摘は、監視カメラの中毒性です。教頭が言うように、一度その便利さを味わったら、止めることは難しいということです。体罰、いじめ、盗難、喫煙、ケンカ、カンニング等々、学校内で起こる事件は多様です。その対応で苦労することは、証拠がないということです。関係者や周囲の者に話を聞いても、はっきりとした証言が得られることは希ですし、無理に証言を得ようとするとその行為自体が新たな問題を生じ非難されるということが珍しくありません。
私も教員としていじめや盗難などの問題に対応し、真実を知ることができず立ち往生したことがあります。教委に勤務してからは、体罰やわいせつ行為などの事例で、事実確認の難しさに直面しました。実際、整列させようとして子どもの手を引っ張ったというような「軽微な体罰」事案でも、その聞き取り調査と報告書の作成には数十時間を費やしたものでした。体罰をした教員自身が体罰を認めていたにもかかわらず、です。そんなとき、監視カメラという強い味方があったら、「よし!」と叫んでいたことでしょう。証拠映像を提示するだけで証明は終わり、数分の作業で済みます。
つまり、ほんのわずかでも、試行という形でも、監視カメラの導入を始めれば、その後は全ての学校に、校内の全てに、通学路にも、と拡大していく可能性が高いのです。そうした状況を望ましいと考える方はどのくらいいるのでしょうか。私にはとんでもない世界の出現としか思えないのですが。
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