「すごろく裏表」3月22日
専門編集委員玉木研二氏が、『すごろくは鏡』という表題でコラムを書かれていました。その中で玉木氏は、『特別企画展「双六でたどる戦中・戦後」は時代の色を鏡のように映しだす』と述べて様々な「すごろく」を紹介し、『1枚の絵すごろくを掲げ、凝縮された一時代の世界観や人生「あがり」の夢を考える学校の歴史授業はどうだろう。教科書から抜け落ちた、生気みなぎる教材である』と結んでいらっしゃいます。
歴史や社会科の授業について取り上げることの多い玉木氏らしい指摘です。私も社会科の歴史的内容の授業で、「すごろく」を使ったことを懐かしく思い出しました。とはいっても、玉木氏のように主教材をしての「すごろく」ではなく、学習内容を表現する手段としての歴史すごろくでした。
例えば、織田信長の天下統一について調べたり話し合ったりした後、その単元のまとめとして歴史すごろくを作るのです。何を「マス」とするかということで、その子供なりの個性が出ます。信行暗殺、美濃攻略、桶狭間の戦い、楽市楽座、安土築城、足利義昭追放、右大臣就任、武田征伐、比叡山焼き討ち、秀吉取り立て、光秀取り立て、本願寺和解など、どの歴史事象を取り上げるか、その「マス」を「○マス進む」「一度休む」「○マス戻る」など価値づけることでその子供が描く天下統一への道のりが示されるわけです。
いわば、玉木氏の「すごろく」が導入・調べ学習の段階であるのに対し、私の「すごろく」はまとめ・表現の段階にあるということになります。
今、「私の~」と書きましたが、小学校で社会科の授業を研究実践している教員の中では、極めてありふれた手法でした。教育問題に造詣の深い玉木氏には、こうした「すごろく」についてもご理解いただき、教員が様々な工夫をして、暗記教科ではない歴史の授業をしていることを広く伝えていただければと思います。
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