ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

言った者勝ち

2016-12-17 07:45:30 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「言った者勝ち」12月13日
 連載企画『トランプという嵐』に、国際政治学者西崎文子氏へのインタビューが掲載されていました。その中で西崎氏は、トランプ氏の登場によって、我が国でも『事実の軽視』という現象が広まっていくと指摘しています。
 『トランプ氏が選挙戦での候補者討論会などで事実誤認に基づく発言を繰り返したことは現地メディアによるファクトチェックで明らかにされている~(略)~何が正しいかというよりも、自分の主義牛刀に合致するかどうかが優先され、事実であるかどうかが軽視されています』と語っているのです。
 つまり、慎重に調べ、その結果自分の考えにとって不利なことであっても事実は事実として認め、その上でなお自説の有効性について語り人を説得していくという、本来的な意味での議論が成立していないということです。
 私も同じ危惧を抱いています。学校教育における議論では特に顕著です。今や都市伝説化していますが、徒競走でみんなで手をつないでゴールインするような悪平等主義という批判が国会の場でも行われたことがありました。歴史的な事象の意味を考えさせることなく年号や人物の名前を暗記させるだけの歴史教育、などという定番の批判は今も「識者」と言われる人のコラムなどに見られます。また、管理が強まり教員は職員会議で意見も言えないという指摘と相変わらず職員会議による議決が最終的な決定となり校長の経営権が損なわれているという相反する指摘が共に認められているといい奇妙な状況もあります。
 さらに、優れた校長、教員の下ではいじめは起きない、教員と子供の間に信頼感があれば体罰も効果的な指導法になりうる、道徳教育が充実すればいじめは起こらないといった実態を無視した思い込みも、ある意味「事実の軽視」といえるかもしれません。
 授業や指導に直接関わらないことでも、民間人校長や学校選択制、企業経験者の教員優先採用、中高一貫校制度といった教育改革についても、民間人校長の不祥事頻発、学校による男女数の偏りなど様々な弊害が指摘されていても、効果はあったと強弁する改革派首長の言動などにも、この「事実の軽視」、自分に都合のよいことだけをフレームアップする手法をみることができます。
 しかも我が国においては、メディア等によるファクトチェックが有効に機能しないばかりではなく、メディア自身が自説の展開に都合よく「事実の軽視」をする場合も少なくありません。学校教育に関するファクトチェックを行う敢然中立な第三者機関の設置が考えられてもよいのではないでしょうか。

 

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