ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

ルーズ、無責任、共感の欠如

2013-06-28 08:02:35 | Weblog
「見習うべき?」6月23日
 西田進一郎氏が、『おおらかな米国人』という標題でコラムを書かれていました。西田氏は、米国の空港での経験を記しています。『一度滑走路に出た航空機が「機体整備」のため搭乗口に引き返した。機内外で待つこと4時間半。欠航のアナウンスが流れた。航空会社の社員はたった1人。問い合わせ先を記した紙を配り、「かかりにくいと思いますが」と言うだけ。相談カウンターの100人超の列は短くなる気配がない。新たな航空券の手配、欠航便に積まれた荷物、関係先への連絡―。いらいらが募った』とのことです。当然でしょう。
 ところがこの後の西野氏が抱く感慨は、『周りを見回すと、みんな苦笑いしながら列に座り込み、前後になった客同士が食べ物を交換しながら談笑している。米国人の老婦人に「我慢強いですね」と言うと、おばあさんは「これが普通よ」と大笑い。米国生活を始めて約3カ月。「もっとおおらかにならないと」と反省する出来事は多い』というものでした。
 西野氏はいらいらした日本人の自分に対して「×」、平然としている米国人に「○」を与えているのです。それを敷衍していえば、日本の文化や社会のあり方、人々の意識にマイナス評価を下し、米国の文化や社会、人々の意識に肯定的評価をしているということです。同感できません。
 やや身贔屓に言わせてもらえば、西野氏が経験したエピソードからは、「米国社会」はおおらかなのではなくルーズであるという印象を受けます。また、「米国人」には、欠航により困難な状況にさらされる人への想像力が欠けているようにも思えます。さらに、「つながりにくい」ことを認識しながらそれ以上の対策をとろうとしないのは不親切や無責任だと感じてしまいますし、よくある欠航という事態についての「危機管理」意識の不足も感じます。
 一方で、急いで関係者に連絡しなければ、と焦る西野氏に対しては、職務に忠実で責任感の強い社会人として共感を覚えます。先に「身贔屓」と書いたように私の受けとめ方には「偏り」があるかもしれません。しかし、その点を割り引いても、「米国人のおおらかさ」という肯定的評価は行き過ぎのように思います。せいぜい、「郷にいらば郷に従え」という教訓が浮かぶ程度でしょう。
 グローバル社会というのは、なんでもかんでも外国の真似をすればよいということではありません。むしろ、異文化との触れ合いの中で異文化を理解しつつも我が国の文化の良さを見直し、守り、積極的に発信していく姿勢こそが真の国際人だと思います。
 こうした基本を押さえないまま進められる国際化への対応は、我が国を歪めていってしまうのではという懸念を捨て切れません。とにかく英語を、そのためには小学校からという最近の動きは、無批判の米国礼賛と同じ根をもつような気がして仕方ないのですが。
 
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