ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

同じ枠の中で

2013-06-29 07:47:36 | Weblog
「理解不能」6月24日
 自民党教育再生実行本部本部長で衆院議員の遠藤利明氏がインタビューに答えていました。その中にどうしても理解できない発言があるのです。それは、「学制の弾力化」についての発言です。現行の6・3・3制を、5・4・3制や4・4・4制などがあってもよいというシステムに変えるということらしいのですが、「学制の弾力化」を進める理由として遠藤氏があげているのが、『戦前は「飛び級」があるなど弾力性があったが、戦後、米国の制度を取り入れて一律「6・3・3」制になった。子供の能力、成長スピード、興味・関心が違うのに、全て同じペースで進めていくのはかえって不平等ではないか』ということなのです。
 正直なところ、全く理解不能です。検討されている弾力化は、いずれも小中高で12年間というのは変わりません。その区切り方を変えることが、どうして成長スピードの違いに対応することになるのでしょうか。その点についていうならば、先に維新の会の橋下党首が提唱した「落第制」導入の方が適しています。また、遠藤氏が触れ、私もこのブログの中で橋下氏の「落第制」導入に関わって提唱した「飛び級」制を導入した方が効果があるはずです。
 また、興味・関心の違いに対応するのであれば、小中高の修養年数を変えることではなく、小中高にコース制、選択制を導入するという結論になるはずです。例えば、国社数理英を必修とし、音楽、図工・美術、家庭・技術、体育は選択制にする、あるいは先の4教科の合計授業時間数という枠だけを決めておき、その中で時間配分を決められるなどの制度が考えられます。
 さらに、能力差への対応というのであれば、小中においても、高等学校のような選抜試験を実施し、同じ能力の子供が集まって授業を受けるというシステムが浮かびます。いずれも、大きな反発が予想されそうですが、他国に例のない制度ではありませんし、実現可能な制度です。少なくとも、遠藤氏の説明からすれば一貫性のある改革となるはずです。
 遠藤氏はインタビューの最後に、『きめ細かい指導ができるということですか』と訊かれ、『もう少し時間をかけて丁寧に学習した方がいい子がいても、授業は一斉にすーっと進んでしまう。逆にもっと早くスピードを上げて学習できる子がいても、画一的に授業を進めてしまう。子供の学習スピードや能力に合わせた多様な形が必要です』と答えています。遠藤氏は明確に意識してはいないようですが、ここで言われている「多様」は、あくまでも1時間1時間の授業のあり方です。現行制度下でもある程度工夫の余地があることですし、小学校を5年間や4年間にすることで可能になることではありません。それにもかかわらず、学校の修養年限の問題として語られていることに違和感を禁じ得ません。分からないのは私だけなのでしょうか。

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