ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

将棋とラグビーと星新一

2024-08-05 08:11:43 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「遠近」7月27日
 『時代を超え、ヒントくれる』という見出しの記事が掲載されました。文芸評論家三宅香帆氏に本の魅力を聞いた記事です。その中に、三宅氏の次のような言葉がありました。
 『多くの子が抱えていたのが「どんな本を読めばいいのか」という悩みだった。対象図書に迷ったら、自分から「遠い」テーマの作品を選ぶことを助言する。例えば、体育嫌いだったら、スポーツ小説、理系嫌いなら理系の入門書(略)好きなことより、あえて苦手なことを選んだ方が、今までと違った考えや成長が得られやすい』。
 三宅氏は、読む本の選択について語られていますが、私は、子供への影響ということで言うならば、教員にも当てはまるのではないか、と考えてしまったのです。つまり、子供から「遠い」教員が、多様な気づきや成長を与えることができるのではないか、ということです。
 もちろん、学級には多様な子供がいます。理系が好きな子供もいれば、文系が好きな子供もいる。スポーツが好きで得意な子供もいれば、運動音痴で体育大嫌いという子供もいます。そして、教員側も、多様な得意と苦手、好きと嫌いをもっているわけですから、自然と「遠近」ができている状態ということになります。
 体を動かすことが好きで、休み時間には「今日は天気がいいから、みんなでドッチボールだ」とボールをもって校庭に飛び出ていく教員は、スポーツ好きな子供とは「近」、逆の子供には「遠」です。そのままで終わらせるのではなく、「遠」の子供も巻き込むことができる教員を目指さなければいけないということです。
 また、体を動かすこと大好き教員は、ときには静かに小説を読み耽ることにも挑戦して自分を変える試みをしてみる必要があるということです。教員は子供を指導し「変える」のが仕事ですが、そのためにまず自分を様々な位置に置くことが必要だということです。スポーツ好きの子供から遠い位置に、次は大人しい読書好きの子供から遠くに、また、アイドルや芸能の話題好きの子供から遠くに立つこともあれば、鐡道オタクの子供から遠いところに、という具合です。
 結局、裏返して言えば、いろいろな子供の近くに、ということになり、教員は多様な子供を理解し共感できるために、自らも多様な興味関心をもつことが望ましいという平凡な結論になってしまいます。
 しかし、教員は大人です。子供のような柔軟性は失われています。いろいろなことに興味をもち、実際に体験してみるというような姿勢を保ち続けるのは容易なことではありません。結果として、ある形に凝り固まった教員は、自分と距離が近い子供と狭いタコ壺に入って楽しくやっているだけで「私は子供との人間関係を築けている」と自己満足してしまっているというケースが少なくないのです。多くのその他の子供から冷たい目で見られていることに気づかずに。
 私はそんな教員でした。将棋やラグビーや星新一の話をして、子供も楽しいと思っていたバカ者だったのです。恥ずかしい。

 

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