ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

全ての仕事に表もあれば裏もある

2024-08-11 08:30:11 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「無理がある」8月3日
 人生相談欄に、26歳女性からの『人生設計ない自分に焦り』という相談が寄せられていました。『同棲のための引っ越しと転職を同時に進めています(略)人生を大きく動かすかもしれない決断なのに(略)しっかりとした人生設計がない自分に少し焦りを感じています』という内容です。
 回答者の作家高橋源一郎氏は、『わたし、生まれてこの方、何かを熟慮して決めた経験がない(略)どこへ進学するか。熟慮のしようがありません。だってどの学校も行ったことがないのだから。どんな職業を選ぶのか。熟慮のしようがありません。働いた経験がないから選びようがありません。以下同様です。やったことがないのに、みんなどうやって熟慮しているのでしょう。逆に不思議です』です。
 拍手したい思いです。高橋氏のお考えには違和感を覚えることが多かった私ですが、今回の回答には全く同感です。経験がないのに熟慮を迫り、決断を促す、これは苦痛以外の何物でもありません。それなのに、結果が思わしくなくても、「お前が自分で決めたんだから」とその責任を押し付けられる、たまったものではありません。
 しかし、この「たまったものではない」を強引に進めているのが、今流行りの「キャリア教育」であり、職業体験ではないでしょうか。中学生や高校生といえば、世間のことは何も分かっていないに等しい子供です。そんな彼らに、人生設計を描かせることにどんな教育的意味があるのか疑問です。
 また、職業や働くことの意味が分からないからこそ、職業体験が必要だという人がいるかもしれませんが、一日数時間、2週間程度の体験で、分かったつもりになる方が罪深いことなのではないでしょうか。私の母がGHに入所していたとき、近所の中学生が体験で来所していました。入所者にお茶を出し、掃除をして、帰っていきました。
 深夜に一人だけ残り、部屋を出てしまう入居者を優しく戻し、急に様態が悪化した入居者に対応しつつ、医師の判断を求め、家族に連絡する、不安と緊張で、そして寝ることができない疲労でフラフラの職員の辛さが理解できるはずがないのです。
 キャリア教育や職業体験に費やす時間を基礎学力の定着に、関係機関と調整や対応に教員が費やす時間と労力の授業の質的向上に、そう考えてしまうのは古い学校像、教員像に囚われている私だけなのでしょうか。

 

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