ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

それでも一部だが

2024-08-04 08:34:33 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「時代?小中?」7月26日
 月1の連載企画、『ロスジェネ往復書簡』は、『吹き荒れた暴力に戦争の影』という表題でした。作家雨宮処凛氏は、ご自身の中学生時代を振り返り、『ヤンキーへの先生の「弾圧」はすさまじいものでした。とにかく暴力で支配する。新しい学年になるたびに、必ず1人のヤンキーをみんなの前でボコボコにし、「最初に1人血祭りに上げておけばおとなしくなるからな」と平然と言い放つ先生までいました』と書かれています。
 雨宮氏は昭和50年の早生まれ、昭和62年に小学校入学、平成5年に中学校入学という年齢です。私が、若手から中堅の教員時代に当たります。私は6年生を担任することが多く、中学校の教員とも小中連絡会等で顔を合わす機会がありました。また、平成6年には指導主事となり、指導訪問や研修会、指導室訪問等で中学校の教員との接触が日常化しましたし、中学校籍の指導主事とも共に仕事をするようにもなっていました。
 つまり、雨宮氏が「吹き荒れた暴力」と呼ぶ時代の学校についてよく知る立場にあった人間です。雨宮氏は北海道、私は東京という違いがあるのかもしれませんが、私は自分自身の教員体験として「暴力」が横行する学校というイメージはありません。
 しかし、指導主事として教委に勤務するようになってからは、中学校の「力による抑え込み」体質を感じることはありました。同年齢の指導主事からは、「最初にガツンと一発やっておけ」と先輩から言われ、その後も「もうやったか?まだなのか、早くやれ」と催促されたという話を聴かされたことがありました。某中学校の研究発表会で、他校からの参観者が見ている前で、生徒を殴った教員もいました(すぐ校長に話し授業をする教員を交代させました)。
 その後も、生活指導主任の教員が生徒を殴り、その事情聴取で「体罰が悪いことは知っています。でもきれいごとでは収まらないんです。私がやらなければ誰かがやったはずです。だとしたら、主任である自分がやるしかないんです」という趣旨の弁明を聞かされたこともありました。管下13校の中学校の生活指導主任は全員が30代の男性で、校長を始め教員の多くが生徒を力で抑え込める教員が生活指導の中核を担う、という意識をもっているようでした。
 しかし、小学校では状況が違いました。生活指導主任の半数近くは女性教員でしたし、体罰事案はありましたが、指導力不足の教員が言うことを聞かない子供にイライラして手を挙げるという形がほとんどで、瘤やあざができたり、腫れたり出血したりというようなケースは皆無でした。
 小中の違いは、子供の体力や問題行動の質の違いによって、力による制圧は不要という状況による差だと思います。雨宮氏は、『暴力を味方につけていた先生たちは、一方で、反戦教育に熱心でした。「戦争反対」と言いながら子どもたちを暴力と軍隊的な規律で管理』する矛盾を指摘なさっています(北教組は活発な活動で有名だった)が、私の経験では、反戦教育に熱心なのは圧倒的に小学校の教員だったのです。中学校の教員は、「小学校は問題行動といっても、不登校ぐらいだから、反戦教育なんてやっている暇があるけど、我々は、暴走族、パー券、婦女暴行、飲酒喫煙、深刻な事件への対応でそんな暇はない」というのが本音だったのです。
 世代や時代で学校教育を語る、もちろん無意味だとは言いませんが、地域性や校種による違いを考慮しないと、特殊事例で全体を語ることになりかねません。私は5区の生活指導担当指導主事会のキャップとして、200校の中学校の事例を踏まえています。それでも少ない、ごく一部だと言われれば反論できませんが。

 

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