ヒマローグ

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戻るには遅すぎる

2021-10-26 07:39:48 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「逆回転」10月20日
 批評家浜崎洋介氏が、『「世間」の再構築に向けて』という表題でコラムを書かれていました。その中で浜崎氏は、小中高生の不登校や自殺が増加し続けていることを取り上げ、その背景について『安定的「世間」の崩壊である-この場合、「世間」とは、家庭・職場・学校など狭い共同体のことを指している』と述べられていました。
 そして、『過剰な改革主義の悪循環-日本的共同体の切り崩し-と手を切り、安定的で見通しの効く「世間」の再構築から始めるしかない。人は能力によってではなく、人との交わりから活力を生み出す動物だという常識に立ち戻るべきだ』と主張なさっているのです。
 正直なところ、用語の理解が難しく浜崎氏のおっしゃりたいことがきちんと把握できているか自信はないのですが、なんとなく分かったような気はします。新自由主義と改革主義が共同体を崩壊させているというのですから、その基底を成す考え方、能力主義や成果主義の行き過ぎを正すことによって、「世間」が安定し、そこで暮らす子供の心も安定を取り戻し、不登校や自殺も減っていくはずだということでしょう。
 職場と家庭のことは置いておきます。学校において、能力主義や成果主義の行き過ぎとはどのようなことであるのか考えてみたいと思います。我が国では、学校教育においては建前、あるいは綺麗事、または理想というものが力をもってきました。子供の幸せのためにとか、全ての子供に無限の可能性があるとかいう言説に象徴される考え方です。実際には、名門校に合格だとかテストの点数だとか成績の順位だとかに一喜一憂しているくせに、表向きには綺麗事を口にする人が多いのです。特に、教育学者や教育行政に関わる人、教員などに。
 ですから、学校における能力主義や成果主義の導入は、直接子供に対してではなく、教員に向けられました。業績評価の導入や全国一斉学力テスト、学校選択制などです。地域の教育力や保護者の経済力などを無視して、学力テストの結果が悪ければ、それは教員の能力と努力が足りないためだとして、校長の管理能力を査定し給与や人事で差をつける、学力テストの結果を公表し選ばれない学校の校長や教員の評定を下げるという仕組みを導入することで、間接的に子供も能力主義、成果主義の論理に引きずり込んだのです。
 浜崎氏の考え方に従えば、こうしたやり方を変えていけば、学校という「世間」が人とのつながりを大切にする共同体に立ち返り、不登校や自殺も減ってくるということになります。魅力的な考え方ではありますが、実現することはないと思います。少なくとも社会が変わらずに学校だけが変わるということはあり得ません。我が国の社会は、能力主義・成果主義からつながり重視の戻ることができるのか、自助を重視する限りそれは不可能、流れを逆回転させることはできないのではないでしょうか。

 

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