10月17日の8:45頃M5.4(たぶん)のエーゲ海を震源とする地震がありました。その後も余震が続き12:45には別の震源地で、もう少し大きいM5.9がありました。日本の地震の感覚から行くと恐がるほどの揺れではなかったのですが、トルコの建設中のビルの鉄骨の数を見た方ならおわかりでしょうが、トルコのビルって・・・不安なのです。しかもうちは5階なので下よりもよく揺れたようです。その日の9時を過ぎた頃から、通りには家に恐くていられない人達がいっぱい、その話し声でウワンウワンしていました。学校は2日間の休校がすぐに決定。午後から用があったので外へ出てみましたが、みーーーーんな外にいます。公園もいっぱい、そこでさやインゲンのすじとりをするおばあちゃん、アパートの入口に椅子を持ってきて座る人、携帯用ベッドを広げて横になっている人、車に当面の必需品を詰め込んで脱出準備の人、表を歩く人も手には毛布を入れた袋を持った人がたくさんいました。我が家のあるところは岩盤の上でイズミルではもっとも頑丈と言われています。ここで何かあったら、どこにいてもダメだろうと言うことでうちは家の中で少し不安な夜を過ごしましたが、寒かった月曜日の夜、家の中に恐くて入れず表で夜明かしした人がたくさんいたそうです。昨日までで余震が200回を越し(身体で感じるのはわずかですが)、今も時々揺れています。これを機会に私も非常持ち出し用品や水の確保を少しだけしました。パキスタンでは想像以上の被害に胸が痛みます。普通の生活が出来る幸せをこの数日、改めて感じています。偶然なのか地震の影響なのか、月曜日からインターネットへの接続が出来なくなりご心配をおかけしました。コメントをくださった皆様ありがとうございました!
あのエレベーターの所の崖が崩れたかと・・・・
あれが崩れれば、イズミルはダメなんですか・・・・う~ん、
その後、日本で揺れ、米国にはまた、最大のハリケーンが発生して、
いよいよ「The day after tomorrow」であります。
各々方、心して生きましょうぞ、ほんまに、
トルコ人て地震に対してはパニック状態に陥ってしまいますよね。オットも98年の大地震のときはイスタンブルにいながら、ご近所みんなでしばらく外で過ごしたそうです。
この国の建築過程をみていると、そうなるのも無理ないんだけど・・・。でも、なにかが狂ってる・・・。
ちょうど弟とチャット中で、もしこれで連絡が途切れたら被災したと思って!ととっさに伝えました…
ちょっとした揺れでも、本当に怖いです。実家が神戸で大震災にあったし、トルコも地震国…。私、事情により現在9階に住んでいますが、本当は地べたに住みたいです。特にトルコだと。
カッパドキアは地震がないとみんな断言してる。
でも夏が終わる頃震度1位あった。でも気付いたのは私くらいと思う。
yukacanさん、akikoさん高いところに住んでるんですね。そら怖いわ。
まだ揺れが続いてるんですね。早くおさまること祈ってます。
イズミルはどこもかしこもびっしり住宅等が密集しているので、万が一の時テントや仮設住宅を建てる広い場所がフアル(キュルトゥルパーク)くらいしかないのだそうです。お願いだからこれ以上揺れないで!
zeynepさん
トルコ人すぐにパニックになるし、また多くの人が知ったかぶりで「1時間後にはもっと大きいのが来る」なんて言ってそのパニックをあおるんですよね。こういう時、cahil(無知)!と叫びたくなります。
akikoさん
「私、事情により現在9階に住んでいますが、本当は地べたに住みたいです」何だか切実な訴えで思わず微笑んでしまったのですが、私もどこか田舎の一軒家に住みたいです。やっぱり住宅密集地は恐い。でもちょっと興味があったのが9階にお住まいになる「事情」と言うのは何なんですか?スミマセンmerakliで・・・。
musmulaさん
ありがとう。カッパドキアは地震がないのかあ。夫は一応ユルギュップ出身ということなんで、musmulaさんの姑さん、舅さんの住まいのエヴカにでも引っ越そうか、と話しておりました。
私、床に座っていたので、すぐにわかりました。
大した事情ではないのですが、前の家が雨漏りが酷くなって急遽引越しを迫られたのです。時期は冬で空物件も本当になく、一週間探しに探してやっと見つけた家が今の所です。建物も古く、内装も自分達でペンキ塗りをしました。
私軽い高所恐怖症なので、いまだにベランダから下を覗いたりしませんが、景色は気に入っています。あと家賃も。
今では他に引っ越したくても家賃が高騰しすぎてて無理です。という、たしたことない諸事情なんですが、切羽詰っていなければ、私は高層階には住めませんでした
一番安全なのは、地べたにテント、だなんて思ってる人間です