イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

JAPONYA'DA SONBAHAR(日本の秋)2・長野編

2012-12-13 17:03:27 | 日本里帰り

昨年の7月に家族5人でイズミルへ来てくれたCOSKUN一家は長野に住んでいます。美味しいパンの店を営んでいるCOSKUNのお休みの日を選んで出かけました。COSKUNと一緒に駅に迎えに来てくれたのは、幼稚園帰りの次男FURKAN(トルコ名あり!)君と、去年はまだハイハイしていたYALIN君。

小学1年生のGOKSEL君が家に帰ってくるのを待って向ったのは戸隠です。

お蕎麦で有名な戸隠は知っていましたが、まさか行くことが出来るとは思っていなかったのでなんだか夢を見ているようでした。雪が降ったばかりの杉の木立の中を歩きますが、一応防寒完備で出かけたもののとにかく冷たい!

奥社の方は雪が凍って歩くのは危険と言うこともあり途中でUターンでした。もう少し暖かい時期にぜひ再訪したいものです。次に訪れたのは戸隠ちびっ子忍者村!これまた寒くて日暮れごろと言うこともあり訪問者は私達のみ、めげずにノリノリで忍者装束に身を包み忍者修行に出かけます。

でも寒いのとおかしいのでいい写真が全然ありません。最後には水蜘蛛の術に失敗した夫、水に危うく落ちそうに・・・いや落ちたかな。寒い中パンツまでびしょぬれでした。でもなんだか楽しい~♪ 着替えをしてからその日の夕餉はちゃんこ鍋でした。

翌日は学校組以外で松代へ。松代は戦国時代、武田信玄と上杉謙信の川中島合戦に於いて、武田方の海津城が築城された場所です。その後は真田家の城下町として発展しました。今でも徒歩で歩ける範囲で武家屋敷や文武学校など古い街並みが美しく残されています。

真田宝物館では思いがけず鎧兜に身を包んだCOSKUNと夫。来年の年賀状にこの写真をご希望の方はご連絡下さい(?)。

また松代には象山地下壕があります。太平洋戦争末期、軍部が本土決戦最後の拠点として極秘のうちに「大本営、政府機関を松代に移すという計画の下に構築されました。碁盤の目のように掘りぬかれ延長は10キロにも及んでいるそうです。

全行程の75%の時点で終戦、工事は中止され、その後忘れ去られようとしていましたが、太平洋戦争の遺跡として存在を知ってもらおうと平成元年から公開されたそうです。

美味しい長野の栗ご飯に栗あんみつで満足した後は幼稚園にお迎え。善光寺にも大急ぎでお参りをして小学校帰りを待って・・・お別れの時間。楽しい時間はなんと速く過ぎることでしょう。これだけの写真を選ぶだけでも色々な場面が思い出されて1人笑いしたりほろっとしたり。

 この写真泣けるなあ・・・。

COSKUN家の皆さんへ、あたたかい思い出を一緒に作ってくれてどうもありがとう。私達は幸せものです。

 

 

兄ちゃんは大変!

   

☆現在のイズミル☆

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