山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

ほしだ園地(生き物の生命)

2013年01月20日 | 山野走

Sp002

◆撮影:2013年1月1日、交野山頂にて

(初日)

201319日(水) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[コースタイム]

[私市駅]65200→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→71316[ピトンの小屋]72000(さえずりの路)73358[やまびこ広場]73800(まつかぜの路) 75706[飯盛霊園・境界鞍部]80000(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→84421[私市駅]

◆所要時間:1時間5221

<生き物の生命>

磐船街道入口(大阪府側)に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でマイナス1℃とあった、因みに帰路ではプラス2℃とあった。

“さえずりの路” を歩いて上るとき、足下に敷き積もる落葉より連想が始まった。「葉っぱは落葉し朽ちて土に戻り生物の再生に寄与するよな」と思った。それ以降、人の生命も含めて様々な生き物の生命にかかわる事象の連想が始まった。

そのなかで僕の脳裏に蘇った一つの記憶は、昨年のいつの日にかこの“さえずりの路”で出合った“ヤマドリ”であった。その“ヤマドリ”から、携帯に写る“横たわる四羽のキジ”の写真を想いだした。それは、昨年の12月上旬、故障した機械の修理に設備屋のNさんが来てくださったのだが、修理が終わるまでの一時間余りの間、僕は彼の話し相手になった。暖房の無い外気と殆ど変らない寒い室温を、少しでも高めようと電気ストーブを自宅から持ち出し、また、機械と機械の隙間が僅かしかないゆえ、その隙間にどうやって這入り込み作業をするのかと心配するばかりであったが、またそのために僕にもし手伝えることがあればとNさんの傍らに立ち続けたのだが、彼は故障個所を直接見ることなくもなく、反対側から手を伸ばし器用にねじまわしなどの道具を操った。

彼との会話のなかで分かったこと、それは彼の趣味が狩猟であるということであった。そして修理が終了したときに彼は携帯に写る一枚の写真を見せてくれた。其処には腰を下ろした彼の前に四羽のキジが横たわり並んでいた。「趣味は鉄砲」「狩猟の対象はキジ」「狩猟解禁は冬の三ヶ月間」「次の連休に富山まで出掛ける」と彼は言った。そのときに僕が、「今年、ほしだ園地でヤマドリを見たんですよ」と返すと、一呼吸おいて彼が続けた。「この近辺にもヤマドリが居るんやな」「それは生駒山系が鳥獣保護区やからかな」と。次に僕の脳裏に蘇ったのは、これまた昨年の比良山系の麓に住む人の「鹿が増えてしまって困っている」という話であった。

ところで、日本の人口は今後減少することは間違いの無い事実であるのだが、しかし世界的にはまだ加速度的に増え続けるのだ。そのときに、地球に住むすべての人々に食糧は行き渡るのだろうか。

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くろんど池より交野山へ(腰痛は身体の冷えが最大原因)

2013年01月19日 | 山野走

Sp024

◆撮影:2013年1月1日、交野山にて

201316日(日) 

『山野走』

<くろんど池より交野山へ>

[コースタイム]

[京阪電鉄・私市駅]73200→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→80450[黒添池]81200→[八橋]→84339[交野市野外活動センター(ぼうじの里)]→90316[交野山]91000→[白旗池]→[国見山・直下]→94814JR津田駅]

◆所要時間:2時間1614

<腰痛は身体の冷えが最大原因>

「昔のタイムで走ろうと思うこと自体無理やん」という数日前の上さんの言葉を思い出していた。三年前辺りから、身体力の衰えを実感する事態が度々生じるゆえ、上さんの言葉に僕も納得なのだが、しかし、鍛えれば体力は向上するに違いないという思考も我が脳裏の片隅に存在するのも事実だ。「怪我をすると完治しない」「維持することを優先する」「無理をしない」などと云う山の会のMOくんの言葉も重ねて思い出していた。

大晦日にこのルートにやって来たときに走り続けることができなかったゆえ、今日はゆっくりでも構わないから兎に角走り続けようと考えた。コトコトコトコトと小走りで、懸命に腕を振り続けた結果今日は、道程の9割以上を走ったのではないだろうか。その結果にある意味では満足したのだが、しかし物足りなさが我が心底に同居していたのも間違いが無い。

“黒添池”への道で感じ始めた左脚大腿四頭筋内側の筋肉の張りは、いつの間にか消え、その後快調に駆け続けた。身体が温まった“黒添池”畔で、下着とヤッケの二枚になり、以降JR津田駅よりバスに乗って帰宅するまでの間もその姿で過ごした。走っている間には何ら問題が生じることはなかったのだが、帰路のバス中で汗で濡れた下着が冷たくなり始めたのには至極閉口した。

僕が身につけているスコットランド製オーロンの下着は、30年近くも前に購入したものゆえ、品質が劣化してしまっているのだろうか。また、先日より使用し始めたモンベルのヤッケ(シンサエード)も、これまた30年近く昔に購入したものゆえ、シンサエードが本来持っている性能が消滅してしまっているのだろうか。その青色のヤッケは色落ちが生じ、極僅かではあるが他の衣類を青く染めてしまっていた。

ところで昨年は一年間に三度酷い腰痛に陥ってしまった。なかでも7月上旬より始まった腰痛は、走ることが可能となるまでにほぼ三ヶ月を要したのだ。また、酷い腰痛に陥る機会が増えるのは冬の季節に多い。それゆえ、腰痛に陥る機会がどのような条件のときかと考えるとき、“身体の冷え”が最大原因のように思える。

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ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山頂(途中走っていたんですわ)

2013年01月13日 | 山野走

Sii032

◆撮影:2011年2月11日、ほしだ園地(やまびこ広場)にて

201314日(金) 

『山野走』

<ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山頂>

[コースタイム]

[京阪・私市駅]82000→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→84049[ピトンの小屋]84700(さえずりの路)90057[やまびこ広場]91000(まつかぜの路) 92955[飯盛霊園・境界鞍部]93300→(飯盛霊園内)→[戎公園バス亭]→95635[ビオトープ田原の里山・車止め]→00000[堂尾池]00000(小池)91939[むろいけ園地入口]→(湿生花園) →[むろいけ園地出口]0000000000[阪奈道路]→(産業廃棄物処理場)→(カントリークラブ横)→114532[生駒山頂遊園地入口]

◆所要時間:3時間2532

<途中走っていたんですわ>

駆ける速度はゆっくりではあったが、また、上り階段や上り坂では歩いてしまう場面も度々あったのだが、身体は至極快調であった。それは、最後まで、膝と腰にまったく違和感が生じなかったことと、前回の時のように、前ボタンが留められないほどに手がかじかんでしまったり身体が急激に冷え切ってしまうことがなかったからだろう。それは昨年12月下旬より着用し始めた冬山用下着(スコットランド製)と、これまた30年近く昔に購入したモンベルのヤッケ(シンサエード)のお蔭だろう思った。

飯盛霊園へ這入った直ぐの処で、前から来た高年男性(65歳)に声を掛けられ、その奈良在住の方と立ち話をするときに、僕の後ろからやって来た男性が我々の横を通り過ぎて行った。30歳台後半だろうと思われるその男性を“戎公園バス亭”付近で追い抜くが、“生駒山頂遊園地”の門扉を潜ったのはほぼ同時であった。

終始、彼を意識して走った山野走であったと言っても過言ではない。それは、“戎公園バス亭”で追い抜いて以降、走っても走っても彼の姿が僕の後方に常に見え隠れしていたからである。僕の走る速度が遅くて、彼の歩く速度が至極速いゆえ、彼との距離が開かないのだろう。僕が歩き始めるとそのときに距離が縮まってしまうのだろうと考えたが、しかしやはり不思議であった。“阪奈道路”陸橋を過ぎてから、生駒山腹に掛かるまでの間懸命に走った結果、もうこれで彼に追い付かれることはないだろうと考えたが、生駒山腹を行く緩やかな勾配のアスファルト管理道から離れ、山頂へと続く急勾配の道へと這入ったときに、彼の姿が僕の直ぐ後ろにあったのには驚かされた。

駐車場より“生駒山頂遊園地”へと続く長い階段を懸命に上り、門扉を潜った処で僕は直ぐ左後ろに居た彼に話し掛けた。「飯盛霊園から一緒でしたね」「歩くのが速いですね」と。すると、「道が分からないので、離されないように途中走っていたんですわ」との答えが返った。僕は納得であった。彼はこれから高安山へ向かうと言った。生駒山上遊園地内をケーブル乗り場へと向かうとき小雪が舞い始めた。

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くろんど池より交野山へ(山野走が先決)

2013年01月06日 | 山野走

Asa009

◆撮影:2007年1月1日、交野山頂にて

(暁光)

20121231日(月) 

『山野走』

<くろんど池より交野山へ>

[コースタイム]

[京阪電鉄・私市駅]73000→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→80228[黒添池]→[八橋]→[交野市野外活動センター(ぼうじの里)]→90425[交野山]90800→[白旗池]→[国見山・直下]→95546JR津田駅]

<山野走が先決>

年末、仕事に忙殺され“山野走”を楽しむ時間的な余裕を見つけることができなかったが、今日から休みゆえ、やり終えねばならない仕事から解放され、また“走り納め”という意味合いもあり、私市へとやって来た。「店の帳面もしたい」「お墓の清掃にも行きたい」「洗車もしたい」「横になったままのMお母さんの身体の揉みほぐしにも行きたい」などという様々な思いが脳裏を掠めたが、先ずは“山野走”を楽しむことが先決だと考えた。

7時前の西の空にはまあるい月がぼんやりと浮かんでいる。夜が明けるに連れ、至極淡い絹雲や絹積雲が天空にあって、月がぼんやりと浮かぶ理由が判明する。交野山頂に立ったとき、絹積雲はいつしか消滅し青空が拡がっていた。また青空中に積雲が数多発生し心地好さそうに其処彼処に浮遊していたが、冷たくて厳しい北風が終始吹き続けた。なかでも、“交野市野外活動センター”手前の狭い開墾地中を通る細い道に差し掛かかったときに、烈風が作り出す「ゴー、ゴー」という唸るような凄まじい音が耳に届いた。それは強風が高圧電線にあたって奏でる音だろうか、それとも鉄塔にあたって生じる音なのだろうか。また、その烈風が大気中の塵埃を運び去ってしまったのであろう、交野山頂からの視界は明瞭であった。大阪市内のビル群は勿論のこと、京都の山、北摂の山、六甲の峰などを、これ程に明確に望むことができたのは久し振りのことであったのかもしれない。

殊に膝が痛んだわけではない、腰も然り。ところが、交野山頂へと続く上り坂に差し掛かった処より歩き始めたのだが、その後歩いてしまうことが多くなる。最後、国見山直下の薄暗い杉林の入口よりJR津田駅へと続く下り道は、速度は兎も角、懸命に腕を振り続けた。

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ほしだ園地(冬山用下着の効果は絶大)

2013年01月05日 | 山野走

Asa008

◆撮影:2007年1月1日、交野山頂にて

(暁光)

20121224日(月) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[コースタイム]

[私市駅]64200→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→70333[ピトンの小屋]70700(さえずりの路)72136[やまびこ広場]72700(まつかぜの路) 74826[飯盛霊園・境界鞍部]75200(まつかぜの路) →[やまびこ広場]→(つつじの小路)→80605[展望スポット]81000→(つつじの小路)→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→84332[私市駅]

<冬山用下着の効果は絶大>

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でマイナス3℃、そして帰路ではマイナス1℃とあった。しかし寒気に震えることもなく、ほぼ一ヶ月振りの山野走を楽しむことが可能となったのは、20年以上も昔に使用した冬山用下着(オーロン)を上下身に着けたことに理由があった。

1128日に頭をもたげた腰痛を始め、頸椎痛、胃炎、頭痛、風邪引き、胸の痛みなどに加えて、12月上旬より到来した厳しい冷気に気負けし、走ることが出来ない精神状態に陥っていた。10日に掛かり付けの医者に行き、一向に治癒する気配が無い風邪引きを看てもらう。帰宅後頂戴した抗生物質を服用すると、その夜より明確に効果が現れた。また、気管支炎だろうと自身で診断していた胸の痛みについては、「肋間神経の痛み」「運動をする人はよく掛かる」「暫くで治る」と云う診断が下った。「医者に行き、風邪がこんなに簡単に改善するのなら、もっと早く行けばよかった」と後悔すること頻りであった。

我が家中で感染性胃腸炎が猛威を振るった。14日夕刻より嘔吐と下痢が我が家を襲った。先ずは、J太郎が体調を崩し、J子がJ太郎とK子を伴って我が家に泊った。次は上さんで、16日には食事が喉を通らない状態に陥ってしまう。次はK子で、16日夕食時に食べた物を突然戻した。その夜中、仕事より戻ったJ子も嘔吐し、結果として、僕と、自宅で独り暮らす娘婿だけが感染性胃腸炎から免れた。我が家から感染性胃腸炎が完全に姿を消したのは21日になってからだ。20日が過ぎるころより僕の腰痛は改善し始めていて、山野走を楽しむことを目的に私市に行きたいと思っていたが、感染性胃腸炎が我が家を完全に通り過ぎるまで自重するのが賢明だと観念した。

今朝、僕の身体を襲う寒気に我が精神は耐えられるだろうかと不安に思っていたが、冬山用下着の効果は絶大であった。ピトンの小屋に着くころには手袋なかの両手指先の毛細血管に温かい血液が届いていたし、走っている間、腰や膝は至極快調で違和感を覚えることはなかった。併しだ、走り終え京阪電車交野線に乗るとき、両膝と腰にかなりの疲労を感じていたのも事実だ。

森中の木々の殆どが裸になって、普段見ることが出来ない景観が次から次へと眼前に出現する。また、敷き積もった落葉の上を、僕の足で心地好い旋律を奏でながら駆けるのも大変気持ちが好いものだが、今の僕の足取りでは「サックサックサックサック」と云う心地好い旋律を奏でるという訳にはいかない。

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黒添池より交野山へ(疲労困憊)

2012年12月29日 | 山野走

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◆撮影:2007年1月1日、交野山頂にて

(暁光)

20121128日(水) 

『山野走』

<黒添池より交野山へ>

【コースタイム】

[京阪電鉄・私市駅]60300→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→63731[黒添池]64600→[八橋]→[交野市野外活動センター(ぼうじの里)]→74125[交野山]74500→[白旗池]→[国見山・直下]→82814JR津田駅]

<疲労困憊>

昨年11月に私市森中を早朝に走り始めて以降、“ほしだ園地”で複数回出会っていて、唯一立ち止まり言葉を交わしたこともある昭和24年生まれの男性と、今朝、交野山までもう少しという上り坂で出会ったのは真に奇遇であった。彼にも僕同様、「こんな処で出会うとは考えだにしなかった」と云う、破顔一笑の表情があった。“ほしだ園地”をホームグラウンドとして歩くことに常日頃より慣れ親しみ、時には信州方面まで出掛けられるのだろうと、僕は勝手に考えていた。ところが見事に外れることになる。「信州方面に若いときには行った」「電車賃が要るから今は行かない」「住いは星田」と彼は話した。「“かいかけの道”を歩いて」などと、交野山方面の散策路の名称も知っておられ、“ほしだ園地”ばかりでなく、星田より歩いて交野山方面までも来られているようだ。

今朝は放射冷却現象で大阪ではこの秋以降の最低気温を記録したそうだ。“くろんど池” 池面には、水面より水蒸気が立ち昇る明確な自然現象があった。また、この月曜日の降雨を伴う嵐が落葉を促したのだろう、足下には茶褐色の葉っぱだけではなく、緑や黄色の葉っぱも新たに敷き積もっている処も数多あり、その華やかな色彩を見ているだけでも厭きることはなかった。なかでも“八橋”辺りの路面に敷き積もる落羽松の細い赤茶の葉っぱの色彩は格別であった。

我が体調は芳しくなかった。JR津田駅に辿り着いたときには疲労困憊の状態で、その上、帰路のバス中で車酔いに陥ってしまい自宅に戻ったときには最悪の体調であった。何故これ程までに疲労してしまったのかと考え、直ぐに思いついたのは、胸の痛みであった。私市駅をスタートし直ぐに痛み始めた左胸上部、突然冷たい空気が肺の中に侵入した所為かと考えたが、その痛みは最後まで消えることはなかった。

次に思いついたのは腰の状態悪化であった。一時かなり改善したように思っていたが、普段の生活の中であってもここのところ違和感が増幅していた。それが今朝、走るときの姿勢に某かの影響を与え、不味い姿勢で走っていたのかもしれない。今日の最大の疲労原因はこの腰の不安定さと、寒かったことにあったのかもしれない。

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ほしだ園地より、むろいけ園地経由で生駒山頂へ

2012年12月22日 | 山野走

B205

◆撮影:2005年11月27日、ほしだ園地にて

(ソヨゴ)

20121123日(土) 

『山野走』

<ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山頂>

【コースタイム】

[京阪・私市駅]63300→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→65534[ピトンの小屋]70000(さえずりの路)71444[やまびこ広場]72000(まつかぜの路) 74137[飯盛霊園・境界鞍部]74500→(飯盛霊園内)→[戎バス亭]→80338[k]→81802[堂尾池]82400(小池)83839[むろいけ園地入口]→(湿生花園) →[むろいけ園地出口]8530090710[阪奈道路]→(産業廃棄物処分場)→(カントリークラブ横)→101820[生駒山頂遊園地入口]

<冷気に包まれる生駒山頂>

森中を走るとき、普段僕が見につけているティーシャツやパンツは、いずれも極一般的な綿製品の衣類だ。それらの綿製品の衣類は汗で濡れると冷たくなってしまう。それが原因だろうと思っているのだが、現在僕は風邪を引いている。風邪の兆候が出て既に半月以上が経っているのだが一向に治る気配はない。

今日の生駒山行きは後半歩いてしまうのは間違いがなかった。それゆえ、「冷え」対策として速乾・吸湿の半袖ティーシャツとパンツを見につけ、上着を普段より一枚多くリュックサックに忍ばせてやって来た。生駒山頂への急登を歩き始めると半袖ティーシャツ一枚の我が身体は案の定急激に冷え始め、遊園地のゲートを潜るや否やレストランに飛び込むこととなった。

先ず善哉を頂戴した。かじかむ両手を善哉が入った器にくっ付け温めるが効果が無い。次にホットココアを注文し手指を温め続けた。半袖ティーシャツ上に長袖シャツを羽織ろうとするが、袖口のボタンは勿論のこと前ボタンも上手く留めることができない。手袋をしていたにもかかわらずそれぐらいに手指がかじかんでいた。さて、今朝の生駒山頂は、何度まで気温が下がったのだろうか。ケーブルカー乗り場に向かうとき、いつも着用しているジャンパーも含めて4枚も着込んでいるにもかかわらず、骨身に沁みる冷気が我が肌に忍び込んだ。“やまびこ広場”でひと休みするとき、高積雲雲間に僅かに青空が覗いたが、空に青色を見たのはそのときだけであったように思う。

“ビオトープ田原の里山”の“ドッぴ―広場”にウメバチソウが咲いていた。植栽をされているとのことであったが、この季節、開花する花に出合えるとは様子だにしなかったゆえ、至極嬉しい出合いであった。楓の紅葉の最盛期を過ぎてはいたが、足下に敷き積もるまだ散って間も無い落葉は華やかな色彩を失っていない。

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ほしだ園地(挨拶を交わす)

2012年12月16日 | 山野走

B191

◆撮影:2005年11月27日、ほしだ園地(ピトンの小屋付近)にて

(イロハカエデ)

20121121日(水) 

『山野走』

<ほしだ園地>

【コースタイム】

[私市駅]61800→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→63949[ピトンの小屋]64300(さえずりの路)65726[やまびこ広場]70000(まつかぜの路) 72004[飯盛霊園・境界鞍部]72300(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→80757[私市駅]

<挨拶を交わす>

今朝、“ほしだ園地”の森中で78名の方に出会う、平日で尚且つ寒いにもかかわらず多くの人に出会った。勿論のことすべての方が高年者だ。

僕は朝“ほしだ園地”や“くろんど園地”を駆けるとき、森中で出会う方には必ず挨拶をしようと思っている。今朝もすべての方々に「おはようございます」と声を掛けたのだが、一人の男性を除く7名の方から会釈なり返事があったし、僕が声を掛けるまでもなく、相手の方から先に挨拶をしてくださった場合もあった。返事が無かった一人の男性は、僕の方を見ることも無く黙って平然として僕の横を通り過ぎて行かれた。その返事が無かった方のそのときの心境は如何なるものだったのだろうかと考えるが結論は出ない。

併しだ、同じ“ほしだ園地”内であっても、日中の歩く人が多いとき、人と擦れ違ったときに自身が挨拶をするかと云えば、おそらく「いいえ」なのだろうと思う。例えば上高地において、上高地バスターミナルから明神へと続く人で溢れる夏の季節の道で、出会うすべての方々に挨拶をするかと云えばやはり「いいえ」なのだろう。さすれば、「挨拶をする場合」と「挨拶をしない場合」の違いが何にあるのかと考えるがやはり分からない。

“せせらぎの路”を、足下を注視し下るとき、前方より来られた方に先に声を掛けられた。昨年11月より“ほしだ園地”を走り始めて以降、その人とは何度か同園地内で出会っている。彼は頭から足先まで山野を歩くための装束を身につけ、リュックサックも背負っておられて、僕と同じ昭和24年生まれの人であった。春先のことであったと思うのだが、その男性とは二言三言ではあったが一度だけ言葉を交わす機会があった。

今朝、どちらからと云うこともなくそれぞれがほぼ同時に「久し振りですね」と云う言葉を発していた。彼の「夏の間お見かけしなかったですね」との問いに、「腰痛で789月と沈没していましたから」「11月からは完全復帰したのですが、会わなかったですね」と僕が答えると、「朝、まだ暗い内に歩いていましたから」と彼は答えた。磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス5℃とあった。

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ほしだ園地(くろんど園地とほしだ園地の差異)

2012年12月15日 | 山野走

B201

◆撮影:2005年11月27日、ほしだ園地にて

(星のブランコ)

20121119日(月) 

『山野走』

<ほしだ園地>

【コースタイム】

[私市駅]63600→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→65729[ピトンの小屋]70000(さえずりの路)71426[やまびこ広場]71700(まつかぜの路) 73811[飯盛霊園・境界鞍部]74100(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→82644[私市駅]

<くろんど園地とほしだ園地の差異>

昨朝は“くろんど園地”、そして今朝は“ほしだ園地”と二日連続で私市の森中へやって来た。そして気づいたことがある、それは森中の静けさに差異があるということだ。

“くろんど園地”は“ほしだ園地”と比して極めて静かで、清閑な森中の雰囲気が楽しめる。聴こえるのは心地好い沢音の旋律と小鳥達の歌声、風のさやぎ、そしてもう少し以前なら虫の鳴き声もあるのだが、それら以外には如何なる音も存在しないのではないだろうか。それに比して“ほしだ園地”は、森中の何処に居ても自然音以外の某かの音が耳に届く。なかでも“かわぞいの路”では国道168号線を走る乗用車やトラック、そしてバイク等の車音が終始聞こえるし、“やまびこ広場”では国道163号線からの車音だろうと思うのだが、その音が微かに聞こえる。また京阪電車の列車音なのか、それとも学研都市線のそれなのかは分からないのだが、それらの列車音が時折耳に届く。今朝、“飯盛霊園・境界鞍部”でひと休みするとき、頭上に飛行機の爆音があった。空を見上げると朝陽により銀色に輝く機体が東に向かって走っている。飛行機の飛行ルートが丁度“ほしだ園地”の上空にあたっているのだろうか。

今朝、森中の色彩が一層華やかになった。トウカエデの葉っぱは散ってしまい、イロハモミジも最盛期は過ぎ去ってしまったが、森中の様々な葉っぱが黄や橙、そして紅、朱赤、茶褐色などと、華やかな様々な色彩に彩られている。なかでも時折林中に現れる艶やかな朱赤の低木はウルシの仲間なのだろうか。草紅葉も然り、走る足下の落葉の色彩も華やかになった。まさに「山粧う」季節に突入しているのだろう。

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス4℃とあったが、然程寒気を感じない。今朝私市駅舎をスタートするときからティーシャツ一枚であった。

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くろんど園地(ニシキギ)

2012年12月08日 | 山野走

Wa013

◆撮影:2006年11月5日、くろんど園地(すいれん池)にて

(ニシキギ)

20121118日(日) 

『山野走』

<くろんど園地>

【コースタイム】

[私市駅]63100→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→70234[くろんど池]70500(くろんど池コースの道)(さわわたりの路)(そよかぜの路)71731[展望台]72000→(管理道)→74056[キャンプ場]74400→(管理道)→(やまごえの路)75846[水舞台]8010080714[草原広場]80900→[すいれん池]→83112[私市駅]

<ニシキギ>

今が、ニシキギのもっとも美しい時期なのかもしれない。なかでも、展望台より少し下った処、右手路傍にあった人の丈よりも大きい複数本のニシキギは、華やかな朱赤の色彩を呈している。その見事な色彩を見るや否や僕は暫し立ち止まり、朱赤の葉っぱを思わず触っていた。また、キャンプ場の西端にもニシキギが数多植えられていて、その色彩は雑然とした天幕場に彩りを添えている。

僕がニシキギと云う樹木の名称を初めて知ったのは、黄葉の季節に“すいれん池”畔に立つ茶褐色に染まった落羽松の傍らで華やかな朱赤の色彩を放つ樹木に気づき「さてこの樹木の名称は?」と図鑑を開いた10年以上もの昔であったと記憶する。ところで、今朝僕は“すいれん池” 畔のニシキギを見ていない。また、落羽松の立ち姿でさえ、またその傍らのイロハカエデも僕は見ていない。今朝“すいれん池”畔を通り過ぎるとき懸命に走っていたのだろう。

6時前、出掛けようと屋外に出たとき雨が降っていた。出掛けるのを諦めて自室に戻り着替え始めるが、何ゆえか無性に私市に行きたくなった。「降り続くはずはない、もし降られても構へん」とリュックサックに傘を入れ駅へと歩むときには既に雨はなく、それ以降も降られることはなかった。

展望台で一休みするとき、東方の空を鉛色の雲が覆うが、その雲間より差し込む太陽の光芒に今日の好天を予感した。しかし生駒の頂は見えないし、勿論のこと葛城の峰も見えない。森中の楓の黄葉は最盛期を過ぎようとしていた。

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