来年の干支は寅だ。つれあいにつれられて買い物につきあわされてきづいたこと。
毛糸や紙細工など、手作りで来年の干支を作るコーナーがある。
わたしのつれあいは寅年、年齢をバラして叱られるかなあ?トラはウシと喧嘩をしても勝つ!だから、ウシ年の私よりも体は小さいが自分が絶対強いと思っている。葛飾柴又のトラさんにだって負けない気でいる。タシカにケンカは強い。しかも、年をとるたびに強くなる。
きのうも私が「あれー、もう忘れたの?」と言ったら、「すぐ、イヤミを言う。それがジジイの悪い癖だ。イヤミ爺め!どうしてそんなイヤミを言うようになったのか…」と、こうなると勢いが止まらない。
しかし、ここで黙ってはいられない。私は反撃する。「その言い方はヤクザの世界じゃあないか。人の物言いに難癖をつけ、イジメ、とっちめるのは!」。きのうは互角の戦いだった。おとなしい穏やかなウシだって牙をもつ凶暴なトラにも立ち向かうノダ!
「昭和の町」が大分県豊後高田市にある。昭和30年代の街並みが続く商店街。そして、
この町をいまボンネットバスが走っている。(先週土曜日17日訪問)
ボンネットバスは戦前から昭和30年代まで全国を走っていた。エンジンが運転席の前にあり、特有の姿は昭和を知る人間には懐かしい。
「バスもドライバーさんも昭和生まれですが、ワタシは平成ですよ!」バスガイドさんの西さんの案内にボンネットバスのお客さんは大爆笑…
このバスが7500マンエン、いすずの工場で修復を受け、この街にお嫁入りしてきたことを、愉快に紹介してくれる。西さんはボランティアで活躍中だって!
ボンネットバスは無料で町を一周、バスを降りたお客さんは「駄菓子屋の夢博物館」や「昭和の絵本美術館」、本物の町並みの中へ。
国宝の富貴寺や国重文の仏像が伝わる仏の里、国東。その一角を占める豊後高田市は、町全体を「昭和の町」博物館に見事にヘンシーンさせた。
数年前に訪れたときに比べると、びっくりするくらい充実し、にぎわいがある。県外のナンバーを付けた貸切バスが5台もいた。
田園空間博物館指定の田染荘も同じ豊後高田市。千年ロマンを育てようと住民のみなさんが懸命な様子が伺えた。
国宝、富貴寺(平安後期)。宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本阿弥陀堂といわれている。
きょうは“そば日和”だ。秋晴れ、からりとした空気、ソバを食うのに一番いい。
真冬でもソバを食べたい私だが、こんな日はソバがとりわけ旨い。仕事場近くのお馴染みの店へ。入ろうとするとお店の中には順番待ちのお客さんたち。しばらく待とうとお店を出た。
お店の前のプランターで稲穂が頭を垂れているではないか!
ちょうど10株、苗が植えられた梅雨のころ、私は、「さあ、稲穂をつけるまで育つかな?」と思って眺めたことを思い出す。
見事な稲穂ではないか!お米は何粒に増えただろう?
先日、聞いたばかりのお米の話。
一粒のお米が実るとおよそ2,000~3,000粒になる。
2年後には、400万粒、
3年後には80憶粒、
4年後には16兆粒になるという。
これほど豊かな稔りをもたらす植物はほかにないという!
おそばやさんの大将は、私と同郷で私より少し先輩、若くして福岡へ来て、いま大賑わいのお店を経営。この稲はきっと大将が大事に育てたんだろう。稲が穂を垂れる季節、稲はもう水が要らない。プランターの水は落とされている。農家の手入れそのままに、育てられたのだろう。
私はいつも“ザル大”を注文する。ツユの味が私にちょうど良い、ソバの硬さも歯ごたえがあっていい。盛りが多いので、大食漢の私もこれを食べると満腹。週に最低1回は通う。
「まさや」さん、薬院2丁目、南薬院バス停を北へ200m。逓信病院前を通るとまもなく四つ角に「まさや」の看板。