京都の土産につれあいに所望したものはパンフレット。私もおこぼれを頂戴したい。
妙心寺退蔵院からいただいたものに『こころのおみやげ』という小冊子があった。
「無事是貴人」は禅語だそうだ。
松山大耕副住職の講話の一説から。
「無事で何も起こらないことがよいことだと誤解されやすいのですが、本来は
欲のままにあれこれと自分の外側に求めることをしない悟った人が貴いのだという意味です。
言い方を変えれば、正解を求めて考えすぎるな、平常心が大切ということ。
あれがないこれがないと人と比べて欲を満たそうとすることのむなしさを説いているのかも
知れません。
もう一度自分の暮らしをじっくり見つめれば宝ものは見つかるはず・・・」
「欲しいものはすでに自分が持っている」禅宗からのこころのおみやげ、とある。
このようにして、つれあいの喜寿の修学旅行はつつがなく終了し、楽しい思い出が残った。
思えば、高校2年生の修学旅行でつれあいは体調を崩し、奈良の一日を停車した列車の中で
過ごした。
当時は、ほぼ満席の列車で一晩かかって、早朝、奈良に着いた。つれあいは発熱、東大寺も
法隆寺も見なかった。ようやく、翌日の京都は清水寺や平安神宮などを参詣したのだった。
いま博多から京都まで新幹線で2時間40分、59年前は熊本から関西まで半日がかかった。