創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・公明党をブッた斬る-27

2018-01-26 08:51:39 | Weblog

創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉 ¥1,000
    ------(P168)---(以下、本文)-------

状況しだいで、中道という名の往きつ戻りつの変節
 衆議院に進出した公明党は、三十二人の候補を立て二十五人当選であった。もちろん、そのベースはそっくり創価学会票だ。衆議院においては、従来の政党地図に第三勢力として登場。
 このとき自民党は得票率五〇%を割り、保守退潮の危機感を抱いた。
 この年の東京都知事選で、公明党は自民党の呼びかけを蹴り、独自候補を立てた。保守、革新のいずれにも寄らず、フリーハンドなのである。
 ところが、四十三年に公明党は、原子力空母佐世保入港に反対、一大集会を組織、民社党を“第二自民党”と攻撃、安保条約の段階的解消を発表する。原子力空母入港反対も、民社“第二自民党”論も、安保の段階的解消も、国民の自民党批判、憲法改正・日米安保強化反対という革新上げ潮ムードに乗ったものである。安保の段陪的解消論といっても、即時廃棄は非現実的であるが、将来は「当然解消されるべきもの」と、及び腰で常識論をもちだしたというところだ。
 そこへ、四十四年から四十五年にかけて、言論・出版妨害事件が起きる。世論のフクロ叩きにあった創価学会・公明党は、池田大作の“お詫び講演”で、政教分離を公約する羽目に至ったのである。公明党はその後、第八回党大会で政教分離を決定、新綱領を採択して党規、組織を改正した。新綱領の第一に、今度は国民政党への転換が示された。
 言論・出版妨害事件に関し、敢えて重複を承知でいうなら、事件の直接的ヒキガネとなった『創価学会を斬る』の出版妨害に、自民党幹事長(当時)・田中角栄が介入したことで、創価学会・公明党の反自民、革新寄りがいかにみせかけであったかが、白日の下に明らかにされた。
 それ以後の公明党の動きをみると、自民党支配勢力と公明党の水面下の連繋は切れることなく続いていた。それは、佐藤内閣(田中幹事長)から田中内閣、そして自民党カゲの支配者として“闇将軍”と呼ばれた田中角栄全盛時代を通じて、ほぼ一貫していた。
 田中全盛期と公明党の野党第二党安定期は、ビタリと符節を合しているのである。まさに「カクの傘」に安全保障されたケッタイな野党ということだ。
  しかもその間、公明党は保守、革新、中道革新と往きつ戻りつし、めまぐるしい。そのめまぐるしさを、年表ふうに記してみよう。

昭和47・12・10 田中内閣の下、総選挙。公明、前回より十八議席減。当選二十九。第四党転落。
昭和48・01・28  公明党第十回中央委、安保即時廃棄表明。
       05・15 小選挙区制反対、社共両党と共闘を組む。
           09・04  第十一回党大会で安保即時廃棄、中道革新連合政権構想決定。
           09・18 共産党と「憲法論争」始まる。
昭和49・06・06 参院選で社公選挙協力きめる。
       11・26 田中角栄退陣。
       12・28 「創共協定」調印。
昭和50・07・27 「創共十年協定」発表。
       07・28 「秋谷(創価学会副会長・当時)見解」発表。協定空洞化。
       09・21 総評と定期協議会設置に合意。
       10・14 第十三回党大会で、安保即時廃棄から合意廃棄へ。
昭和51・10・19 同盟と「政策懇談会」
       11・11 総選挙で公民協力合意。
       11・26 竹入発言、自民党と対決する保守とは提携。
       11・28 総選挙で社公協力合意。
       12・05 総選挙、公明五十五議席、第三党に。自民単独過半数を割る。
昭和52・06・11 参院選で社公協力合意。
       06・13 参院選で社公協力合意。
       08・20 第二十六回中央委員会、竹入「中道革新ブ口ックの形成」提案。
       10・16 釧路市長選で自公民連合、革新市長に勝つ。
昭和53・01・11 第十五回党大会、安保.自衛隊是認の挨拶(竹入)
       08・16 正木政審会長、有事立法賛成の「党見解」発表。
       09・06 矢野書記長、自民的有事立法に反対発表。
昭和54・04・08 東京、大阪首長選挙、保守・中道連合が革新に勝つ。
       09・11  総選挙で公民協力合意。
       09・15  矢野、富塚総評事務局長、選挙協力で合意。
       10・07 総選挙、公明党五十七人当選。
       12・06 公民両党「中道連合政権構想」合意。
 
 ざっとみただけでも、公明党が保守、革新、中道と揺れ動く時は、党勢の消長、保革の力関係、社会情勢の動向とパラレルだ。保守、革新、中道を往きつ戻りつは、いかにして第三勢力として割り込み、キャスティングポートを握るかの日和見のみである。
       ---------(172P)-------つづく--  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

創価・公明党をブッた斬る-26

2018-01-25 09:18:20 | Weblog

創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉 ¥1,000
    ------(P164)---(以下、本文)-------

 変転きわまりないジグザグ路線
◆ 公明党の中道主義はまやかしだ
 私が公明党の中道主義はまやかしだというのは、次の理由からである。
 公明党は、資本主義と社会主義、唯心思想と唯物思想、こうした対立を止揚した高次元の生命哲学に基ずく中道主義政治なるものを掲げる。この中道主義を唱えながら、常に第三勢力的位置を占めようとするため、革新的ポーズを装う。これが創価学会・公明党の政治姿勢をいっそう曖昧なものにしている。
 池田大作は、時に共産党ばりに「保守か革新かといえば、革新の中の革新」とまでいう。しかし、一般的にいって、現在の宗教は世界的にも保守的な位置にある。公明党の場合も、例外ではない。日蓮正宗とはいえ、宗教の教義を根底におく以上、体質的にはどうしても保守的と断定してさし支えなかろう。特に共産党とは、究極的には、まず絶対に相容れない。なるほど、創価学会・公明党が現状打破的スローガンを掲げ、保守政党の自民党を批判攻撃する時、一見、革新的にみえる。とはいえ、その政治行動はしばしば右顧左眄、実態は捉え難いものとなる。仔細に点検すれば、保守か革新か--ではなく、一つは日蓮の「遺命」であり、他は社会大衆の要望とを見合わせながら不断に浮動する社会層が創価学会の基盤となつている、当然の対応であるともいえる。
 したがって、公明党の説くところ(「公明党の歩み」)の「中道政治で平和と繁栄の新社会」を建設する、「大衆福祉で豊かな生活」を実現する、「戦争のない平和な世界」をつくりあげる等々のビジョンは、そのにぎにぎしさにもかかわらず、大した意味も現実味もない政策しか打ち出せないということでもある。
 当面は、第三勢力=中道主義ということで洞ケ峠をきめこんでいるだけのことなのである。
 仏法民主主義、人間性を尊重する真実の民主主義は、日蓮正宗創価学会の王仏冥合の暗喩としか思われない。これを創価学会流でいけば、「個人の幸福と社会の繁栄を一致させ、真の大衆福祉を実現する」ためには、全国民の創価学会員化が不可欠の条件になる。
 創価学会のいう謗法とは、邪教の徒が日蓮正宗をののしったり、日蓮正宗の信仰を妨げることである。謗法の徒というのは、日蓮正宗・創価学会以外の人間をさしていうのであるから、世間一般の人間が病気が治らず死ぬのはバチが当たったというわけだ。お題目をあげて信心したにもかかわらず死んだ時は、功徳があつたのだと強弁する。その点、この宗教ほどご都合主義の詭弁を使えるものはない。例えば、こんなふうだ。

「問 御本尊にお願いしたけれども、重病の子供が死んだ。なぜ死んだのか。
答 私にひとりの気違いの子供があったとする。狂人になったのは子供自身であるが、この子をわが子としなければならないのは、私の宿習である。そこでだれが信心しなければならないか。子供ではない。私が泣いて御本尊に願って願いきったとき……その子供は死ぬか、または、なおるか、どちらかである。その子(死んだ子供)はもう生まれてきているよ。そこで君が考えなければならないことは、このありがたいことを、功徳と思わずにナゼ死んだのかと思えば、大謗法で、罰は君がうけるんだよ」(小平芳平「創価学会」〈利益と罰について〉)

 このコジツケと脅迫をもってして、なお人間尊重といえるのか。恐れ入る他はなかろう。それが、政党として「大衆福祉で豊かな生活」「戦争のない平和な世界」を説くのだ。こんな人間性尊重の民主主義もあることを銘記するだけでケッコウ、という他ない。それとも、学会流功徳と公明党の仏法民主主義は別の次元だというのだろうか。そうではないらしい。
 そして、またまた新しい指標がつくられ、「資本家であろうが労働者であろうが、人間性という共通の広場に立って、保守と革新、東と西という現在の対立を克服し、信頼と調和による新しき社会を建設」(「公明新聞」四十二年元旦号。赤字著者)するという。人間性といっても、何といってもよろしい。原点はみえみえ、後は甘っちょろい言葉をつくれば、それで用は足りる。

◆ 中道主義、中道政治も具体性を欠き陳腐そのもの
 公明党の中道主義、中道政治は、池田の中道主義イデオロギーそのままである。公明新聞に発表した中道主義、中道政治より前に、池田講演(四十一年十一月、学会青年部総会)が主張していた。
 作家の松本清張との対談の中で、池田は中道主義について述べている。

「戦前は、極左か極右にかたよつており、真の中道はなかった。西洋には極左、極右の他に中道派があった。戦後は保守、革新の葛藤をみるにつけ、へーゲルの弁証法ではないけれど、時代は中道を欲していることは否定できない。とくにわれわれの中道主義は、民衆から盛り上ったものである。仏法の中道主義という哲学を裏付けにしたものだ。したがって抽象的な軽薄な中道とは全然ちがう」(「文藝春秋」四十三年二月号)

 ここまでみてきても、中道主義、中道政治は言葉として語られるだけで、これといった具体的イメージすら浮かんでこない。資本主義でもない、社会主義でもない第三の道として出てきた創価学会・公明党の中道主義だが、矛盾対立を止揚して高次元の別のものをつくる、という弁証法的発想にしても、今さらのように陳腐極まるとしか、いいようがない。
 公明党は、こういう中道主義、中道政治を唱えるが、遂にそのなんたるかを明らかにしない。仏法の中道主義哲学が裏づけになる、というにとどまる。つまり、公明党の中道は資本主義か社会主義かの中間などではない(彼らは民社党をそのあたりに位置づけている)が、さりとて、弁証法的に止揚されて髙次元に立つものでもない。政治的、政策的無定見性に基ずく、それなりのフリーハンド、無手勝流の立場を、自ら称して中道と呼ぶようである。
 まやかしというには、いささか子供だましのトリック論理なのだが、これが公明党結成以来、日本の政治に常に混迷と屈折と停滞をもたらしてきたといえなくもなかろう。
       ---------(168P)-------つづく--

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

創価・公明党をブッた斬る-25

2018-01-24 07:13:31 | Weblog

創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉 ¥1,000
    ------(P160)---(以下、本文)-------

第三勢力を狙う“革新”もどき
 地方議会、参議院までは、政党色のない分野(池田発言)だから、政党活動ではないといってきた創価学会が、衆議院進出を決めて公明党なる政党を誕生させたのである。学会の政治活動別働隊が公明党であることは、前記、池田の演説が十分に語っている。
 ところで、学会のいう、政党色があってはならない分野における公政連の基本政策をみると、核兵器反対、憲法改悪反対、公明選挙・政界浄化、参議院の自主性確立が挙げられている。ここにみる限り、公政連の基本政策は明らかに革新寄りだ。
 一方、公明党が結党宣言とともに発表した綱領は、公政連の基本政策に比べ美文調に流れ、政党の綱領としては、ナニをやろうとするのかの訴える力に欠けていた。このことは何に由来するのか。それは、公政連結成時と公明党結成時における、それぞれの時代的背景、彼らを取り卷く環境の甚だしい違いだと、私はみる。
 三十五年は、新安保条約で日本中が揺れた年である。国会に押し寄せる安保反対のデモと狂騒の中、時の首相・岸信介は、自衛隊出動を本気で考えたといわれる。新安保条約は自民党によって強行採決、岸内閣から池田内閣へと代わった。韓国では、学生を先頭に四月“革命”の波が、李承晩大統領を辞任に追い込んだ。日比谷公会堂における演説中、社会党委員長・浅沼稲次郎が右翼少年のテロで倒れる(十月)。新安保条約の後、翌三十六年、三十七年も、内外ともに政治的に緊迫が続いており、一方、池田内閣は所得倍増、“高度経済成長”のバラ色の夢を約束する。
 このような背景を置いて、公政連の基本政策をみると--
「一、核兵器反対 いかなる理由を問わず核兵器の製造、実験、使用に反対する……この反対運動はいかなる主義、主張にも偏せず世界平和、人類の幸福のため断固行なうものである。
 二、憲法改悪反対 主権在民を基本的な精神とし、戦争の放棄を規定する『日本国憲法』を擁護し……」--とある。

 三年後、公明党の綱領ではどうか。--
「一、二十世紀の繁栄は、皮肉にも、核兵器、ミサイルなど、悪魔的殺戮兵器をうみだし、人類は、繁栄か威亡か、二者択一の瀬戸ぎわに立たされるにいたった……わが公明党は、王仏冥合の大理念を高く掲げて、地球民族主義にのっとり、人類の危機を救い、世界に恒久平和の礎を築くことを誓うものである。
 二、いま世界は、資本主義、社会主義の両体制にわかれ、たがいに欠陥と矛盾を露呈しながら、その克服の道を求めて暗中模索をつづけている……わが公明党は、豊かなる人間性を基調とする人間性社会主義によって、個人の幸福と社会の繁栄が一致する、大衆福祉の実現を確約するものである。
 三、新しい政党は、現代社会のあらゆる階層のいっさいの民衆を包含しうる、大衆政党でなければならない。わが公明党は、国民大衆のなかに仏法民主主義、すなわち人間性尊重を基調とした真実の民主主義の基^をつくり……言論、思想、信仰の自由など基本的人権を尊重……われわれは、大衆とともに語り、大衆のために戦い、大衆の中に死んでいくことを誓うものである……」

 公明党のこの綱領は、公政連時代の基本要項と照応するものである。作文的であり、美文調にすぎて具体性のないのは当然だとしても、高度経済成長時代の入口に立った日本が、公明党網領にそれなりの色あいを投げかけているのも無視できまい。東京オリンピック開催の年であり、“もはや戦後ではない”と経済白書が謳ったのは、この時期なのである。高度経済成長の波は明らかに創価学会にも及んでいた。大石寺正本堂建立を池田大作はブチあげ、建立供養金三五五億余円を貢ぐのは、その翌年(四十年)である。
 綱領は、核兵器の脅威、人類を破滅から救うのは「王仏冥合、地球民族主義」により、資本主義か社会主義かの対立克服の途は「人間性社会主義」だとしている。
 公明党は、結成当初において、「地球民族主義」と「人間性社会主義」を標榜することを通じて、一種の第三勢力を目指していた。いわゆる“革新性”は、第三勢力としての党勢拡張のため、その色を、時に強く、時に後退させる。保護色であり、また同時に警戒色でもある。後に出てくる「中道主義」とは、そのまやかし的複合とみなければなるまい。
       ---------(163P)-------つづく--

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

創価・公明党をブッた斬る-24

2018-01-23 08:16:11 | Weblog

創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉 ¥1,000
    ------(P155)---(以下、本文)-------

 政教一致“行進曲”で政界進出
◆ そもそもスタートは政治折伏の野望
 既に述べたように、戸田-創価学会が政治へ進出を宣言したのは、二十九年のことである。
 広宣流布の成る日は、「ある理由により後二十五年以内と確信」したといっている。ある理由とはなんであるか語っていないので知る由もないが、ともかく戸田は確信したワケである。その確信に基ずき、彼が宣言したのは--
「……国立戒壇建立の御教書は衆議院に於て過半数を以て発せられるものである故これが獲得の為にも正法弘通の活動は今後新生面が展開されなければなるまい。昭和二十九年度はその準備の年として邪教との法戦の徹底化、民衆に対する折伏の徹底化が計られる期間であろう」(「大白蓮華」二十九年一月号)
 衆議院における過半数獲得のために正法弘通の活動は新生面を展開するとは、即ち政界進出のことを指す。ハッキリといいきっているのである。「大白蓮華」のこの一文は、折伏行進への号令ではなく、やはり政治宣言なのだ。

 その二年後、第四回参議院選で創価学会は六人の侯補者を立て、三人を当選させるのだが、選挙直後、今度は「大白蓮華」の連載記事で、こう書くのである。
 「このたびの参議院選挙戦では、大いに社会の注目をひいた。宗教団体であるわが学会人から、政治家を出すのかということについて、内外ともに、いろいろの議論が出ている。たとえば日蓮正宗を国教にするとか、また何十年後には、衆参両院の議席を学会人で占めるとか、または創価学会が日本の政治をとるとかいう、あらゆる妄説が唱えられている現状である……」
 要するに、世間の注目を惹いたことで得意になっているだけのこと。その二年前の「大白蓮華」では、国立戒壇建立の御教書を出させるため、衆議院の過半数を構成すべく、正法弘通の活動を展開するといったのに、それを指摘されると、今度は、「妄説」だという。当り前の批判が、どうして「妄説」になるのか。自らは、途中経過として二年前の「衆議院過半数説」の否定はしていない。こうした、すぐにばれるウソやハッタリを連発して煙にまくのが戸田弁説の極意なのだろうが、それにしても、ひどいものである。やはり、かなり強度の精神異常と診断しないわけにはいかない。
 さらに、もう一つさかのぼれば、戸田の第二代会長就任挨拶(二十六年)の中の一節がある。
「天皇に御本尊様を持たせ、一日も早く、御教書を出せば、広宣流布ができると思っている人があるが、まったくバカげた考え方で、今日の広宣流布は、ひとりひとりが邪教と取り組んで、国中の一人一人を折伏し、みんなに御本尊を持たせることだ。こうすることによって、はじめて国立の戒壇ができるのである」
 まさしく、往きつ戻りつ、ホンネ隠しの一例である。このような戸田の筆法(弁法か)を受け継ぐ池田大作の跪弁は、三十四年参院選直後の主張にも明らかである。この時、創価学会は参議院議席を三人から九人にふやしている。
「……学会は議員を国会におくって、国会内に小会派をつくるのではないかと懸念しているむきもあるようだが……」(「聖教新聞」三十四年六月二十日)といいながら、「ただ学会から推薦されて立った議員たちが、将来時代の要求として大衆の要望としてそのようなものをつくらざるを得ない場合にはやむをえないことであり、大衆の要望にこたえていかなければならないと思う」と続ける。
 ここでは、再び戸田の「妄説」云々は、「大衆」の名において「妄説」ではないことにすり替えられる。「日蓮の遺命」と「大衆の要望」、共に漠々たる大義名分が巧みに使い分けられていることにも、ご注意あれ。

 三十六年、公政連(公明政治連盟)結成、三十九年、公明党結成となるのだが、この変化は戸田城聖が「妄説」といったことが「現実」になるプロセスだったのだ。つまり戸田が、あたかも世間に創価学会の政治進出を云々する「妄説」があるといったのは、あくまでホンネ隠しだったということで、悪質なヤミ屋的論理操作である。

◆ 公明党旗上げ、政教一体路線宣言
 政教一体路線で政治に進出してきた公政連、公明党であるが、参議院の小会派に属した段階の議員は、殆どみるべき政治活動をしてはいない。試みに、三十六年度の一年間、第三十八通常国会(三十五年十二月二十六日~三十六年六月八日)、第三十九臨時国会(三十六年九月二十五日~十月三十一日)の参議院における成立法案に対する学会選出議員の表决態度をみると、三十八、三十九両国会を通じ、成立法案二三八件につき、賛成は二三三件(九七・九%)である。反対は五件(一%)。また、三十九国会では全部に賛成している。
 第四十通常国会(三十六年十二月九日~三十七年五月七日)においては、内閣提出法案一六六件(うち継続六件)のうち二件に反対し、そのほか三十七年度予算案三件に反対している。予算案に反対したのは、これが初めてである。そして、この三国会を通じてみる時、第三十八、第三十九国会に比べ、第四十国会における法案反対は目立って増えているのである。即ち予算案(三件)、地方税法一部改正案、所得税法一部改正案ほか九件だ。
 社会党機関紙局発行・中央党学校編「創価学会・その問題点」(三十七年発行)では、「個々にわたって各委員会での審議状況を見ると、学会議員の発言は他の会は会派の議員にくらべて圧倒的に少ない。柏原、原島の両議員は、第三十八議会中全然発言していない。また、反対法案に対する態度も、反対の内容がまことにあいまいである点が指摘できる」と書いている。
 この時期、学会は参議院に九人の議員を送り込んだが、小会派・無所属クラブに所属しているにすぎなかった。とはいっても、先の第三十八、第三十九の両国会に比べ、反対法案が増えたのは、翌、三十八年参議院選挙を控えていたから、いささかなりとも野党色を打ち出す必要はあったのである。
 三十七年参院選挙において、公政連は九人当選、十五議席を獲得し参議院「公明会」を結成する。創価学会が大石寺に大客殿を完成させ、池田大作が法華講総講頭となるのが三十九年である。三百万人総登山(大石寺詣り)が始まり、政教一体にも加速がついた時期だ。五月三日、創価学会第二十七回本部総会で、衆議院進出决定を発表した。
 この日、会長・池田大作の演説で、そのことが明らかにされる。そのまま、戸田の政治進出路線の踏襲であった。
 「……公明政治連盟を一歩前進させたい。公明政治連盟をば、皆さん方の賛成があるならば、王仏冥合のために、また時代の要求、民衆の要望にこたえて、政党にするもよし、衆議院に出すもよし、このようにしたいと思いますけれども、いかがでございましょうか(大拍手)」(「聖教新聞」三十九年五月四日)
 「……政治部の使命について私は(「大白蓮華」の)巻頭言で『われらは政党ではない。すなわち創価学会は政党ではない。したがって衆議院にコマを進めるものでもない。あくまで参議院、地方議会、政党色あってはならない分野に議員を送るものである』という意味の一項目を書いておきました。したがって、本日をもって、創価学会の政治部は発展的解消といたしたいと思うのであります。……恩師戸田先生も時きたらば衆議院へも出よとのご遣訓があったのであります......」(同)
 創価学会の政治進出は「妄説」であると戸田、池田が口にしてきたのは、右の池田演説にその根拠が示されている。まこと、簡単極まる詭弁である。創価学会という政党はつくらないが、政治に進出する時は学会の政党をつくる--それだけのことだ。詭弁というほどのものでもないかも知れない。本来の政教一体路線を、ここではっきりと宣言したまでのことである。
       ---------(160P)-------つづく--

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

創価・公明党をブッた斬る-23

2018-01-22 08:24:36 | Weblog

創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉 ¥1,000
    ------(P151)---(以下、本文)-------

つぎはぎだらけの言葉の遊び
 戸田城聖が死んだ三十三年、池田大作は学会参謀室長、総務を兼ねていた。そして、翌三十四年六月の参議院選挙で創価学会は六人を当選させ、九議席となった。当時池田は学会の政治姿勢を、次のようにいっている。
「……戸田先生は『学会は新社会主義である』とおっしゃった。すなわち、あくまでも全国民の幸福を基準にして態度を決定し『個人の幸福』と『社会の繁栄』が一致する王仏冥合思想を根本にしたものである……」(「聖教新聞」三十四年六月二十日)
「……学会は資本主義でもなければ--資本主義でないということはないが--自民党思想でもなく社会党思想でもない。いま必要なのは第三文明です……最高の文化とは何か、第三文明です。……いまだかってない、全人類が根底から要求しているところの,新社会主義,こそ、王仏冥合の思想である」(「聖教新聞」三十四年七月十日)
 右の引用から、新社会主義、個人の幸福、社会の繁栄、王仏冥合、資本主義、自民党思想、社会党思想、第三文明……と拾い出してみれば、誰でも気がつくであろう。これらの言葉は総て、なんの脈路もない形で羅列されただけである。「新社会主義」がなにゆえ王仏冥合思想を根本とするのであるかはおくとしても、新社会主義の中身は、全く説明がない。個人の幸福と社会の繁栄の一致が王仏冥合だ、これ即ち新社会主義ということでは、曖昧模糊、なんともつかみがたい。

 第三文明は最高の文化です、という時「文明」と「文化」は同じ次元で捉えられているようだし、さらにその「第三文明」はなにゆえ第三なのであるか--池田の説くところは経文のように調子だけよく、気持よく学会員の耳に届けばよいものらしい。
 経文だけなら、どうせ、わかってもわからなくてもよいのだが、創価学会・公明党の政策、主張は、イデオロギー的対立に反応し、あれでもなければこれでもない式に、いよいよ悪質な欺瞞、つまりは愚民だましのテクニックだけが増幅されるので、フォローしていくだけでもうんざりしてしまう。単なる挙げ足とりなど、私には全く興味がない。
 
 全人類が求めている「新社会主義」と、創価学会のいう「世界一仏教」とは別なものなのか。宗教としては「世界一仏教」、つまりは日蓮正宗による世界統一を目指すものだが、人類救済のための手段としての政治は別だというようにも聞こえる。公明党は、外交理念として「地球民族主義」をもちだしていた。これが具体的政策となると、日米安保体制の段階的解消、等距離完全中立、日中国交正常化、アジア、太平洋不可侵・不干渉の国際環境樹立等々、あまり国民の中から反対が起こりそうもない、もつともなことばかりを並べたてることになる。
 とはいえ、その日米安保体制段階的解消は、その後、どうなった--即時廃棄を叫んだり、再び軌道修正をするなど、唖然とさせられる無定見ぶりだ。日中国交正常化についても、始発ではあっても発車直前のバスに飛び乗ったに過ぎない。

 「地球民族主義」とは、どういうシロモノなのだろうか。池田大作の『政治と宗教』の中で説くところによれば、こうだ。
 「日蓮大聖人の仏法は、一閻浮提(全世界)の仏法である。わずか日本一国だけを対象とし、問題としているのではない。宗教には国境もなければ民族の相違もない。生命論のうえからも、平等である。日蓮大聖人の大慈悲からすれば、人類は混然一体となって、ともどもに繁栄すべきことを、最大の眼目とされているからである。(中略)いかなる哲学書も、社会主義や民主主義の理論体系も、みな人類の幸福をめざしていないものはないであろうが、しかし、すベて観念論にすぎず明確な実践理論は示しえないのである。ここに、力強い真実の理論体系、実践理念をあたえているものは、東洋仏法の色心不二の大生命哲学を説く、日蓮大聖人の大仏法以外にはないことを知るべきである。しかして、日蓮大聖人の仏法を根本とするならば、かならずや世界連邦の実現も可能となることを訴えるものである」

 社会主義や民主主義は総て観念論であり、実践理論は示していないが、真実の理論体系、実践理念を与えるものは日蓮の大仏法だというので、これぞまさしく観念論の最たるものであろう。社会主義、民主主義を超えた理論体系、実践理念を日蓮の大仏法によって示したものは何もない。地球民族主義が新しい理念であるかの如く説くが、笹川良一の「世界は一家、人類はみな兄弟」と何ら変わるところがない。例によつて、突如、「地球」と「民族主義」を貼り合わせただけのことである。
 宗教には国境もなければ民族の相違もないというが、それこそ地球上にはいろんな宗教が、それぞれ唯一絶対のものと信じて存在している。夫子自身、日蓮の仏法を唯一絶対の位置に置き、他は総て邪教としている。その自家撞着をタナにあげ、世界を一宗に帰依させようという論理である。その前に、苛烈な宗教戦争をも辞せずという决意でもあるのか、その実践方法をむしろ聞きたいところだ。
       ---------(154P)-------つづく--

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする