創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・公明党をブッた斬る-31

2018-01-30 09:22:21 | Weblog

創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉 ¥1,000
    ------(P190)---(以下、本文)-------

清潔が売り物の公明党議員も今や権力者気どり
 当初において、公明党は清潔な政党で売り込んだ。一般にわれわれの社会では、宗教人というのはナニ教であれ、ウソをついたり、ワイロをとったり、色恋沙汰に溺れたり……といったことには縁がない、禁欲的で、クソまじめな人種とみる固定観念がある。創価学会は嫌いだという人間でも、汚職はやらないだろうから……と、公明党を評していた。なるほど、創価学会から地方議会、参議院、衆議院へと送り出された議員たちは、いずれも職業政治家の垢がついていなかったのは事実であろう。同時にまた、政党として歴史が浅く、既成政党のプロと違い、腐敗の誘惑もなかった。
 その点では、まず清潔な党というイメージは、たしかにあった。しかし、若かりし公明党も立党以来二十一年になる。衆議院進出からでも既に十八年だ。歳月を経たから、そのまま腐敗するわけでもないだろう。少なくとも、公明党は他の野党なみに、金権汚職の腐敗とは一応は無縁であろう。絶無とはいわぬが、保守政権党・自民党とは違い、構造汚職との接点もない。
 だが、問題がないわけじゃない。それは、いかに野党といえど、国会議員は立法府という権力機構の一員である。地方議員の末端、町会議員、村会議員すら、権力意識に溺れる。金バッジをつけ、赤じゅうたんを踏んだ人間は、想像以上にこの“権力意識”なる誘惑にかられる。
 参議院議員を経験した作家の野坂昭如が、議員に与えられる特権の数々を、実に感にたえぬ思いとして書いている。選挙運動で頭を下げっばなし、笑顔をふりまき続けるくらい、金バッジと赤じゅうたんを思い浮かべるだけで、苦労に値しないのである。
 権力意識という誘惑が、即、腐敗堕落に結びつくわけではないが、政党の、議員の権力を国政以外に行使するとなると、これは、やはり違った意味での腐敗である。
 公明党委員長・竹入義勝が、息子の医大入学でとかくの噂を週刊誌に書かれたことがある。
 デマであり、名香毀損なら、マスコミ相手に大いに戟うべしだ。どうなつたのか。腐敗というのがそのまま当たらないとすれば、堕落である。なによりもまず、“李下ニ冠ヲ正サズ”の喩を思うべきだ。
 公明党の汚職ならざる堕落が問題になるのは、この党の体質そのものに“病根”がある。

 五十一年、創価学会と創価学会会長・池田大作は、雑誌「月刊ペン」の「創価学会教義批判の一例証として池田大作スキャンダル」という記事を、事実無根の捏造記事として名誉毀損の告訴をした。この時、同記事の筆者=同誌編集長・隈部大蔵は、警視庁で事情聴取も殆どなく逮捕され、警視庁の留置場に二十日以上拘禁の後、東京拘置所へ送られたという。この隈部逮捕に関し、きわめて奇怪な噂が流れた。公明党議員、都議が、隈部告訴に当たり、法務省、検察庁、警視庁幹部らと事前の打合せを行なったというものである。全く、マトモには信じられない噂と思われた。
 ところが、五十六年に、創価学会に対する恐喝事件で逮捕された元学会顧問弁護士・山崎正友が、最高裁第一小法廷に提出した上申書が、右の噂を肯定していた。
「隈部氏を告訴するにあたっては、矢野公明党書記長、大野潔代議士、小谷三郎弁護士、竜年光、藤井富雄、大川清幸各都議らが法務省幹部、検察庁幹部、警視庁幹部とめんみつな打合せをしました。衆、参両議院法務委員長の権限を背景に法務省筋に圧力をかける一方、東京都議会におけるキャスティングボートを握る与党としての力、即ち警視庁予算を左右する力を背景に警視庁に圧力をかけたのであります。
 告訴にあたっての条件は、隈部氏を即刻逮捕すること、及び池田大作氏を法廷に証人として立たせないよう配慮することの二つでありました……」
 この上申書にいう,隈部即刻逮捕,は、事情聴取後逮捕となった。名誉毀損で逮捕というのは理論上はありえても、実際には考えられない。にも拘らず、隅部の逮捕は行なわれた。なお、創価学会、池田大作会長の名誉毀損告訴は、警視庁の搜査二課ならぬ捜査四課であった。
 捜査四課は暴力事件担当部署というから、奇妙な話だ。素人には理解しがたいが、警視庁では“ペンの暴力”だから暴力事件担当が扱ったというのだろうか。学会・公明党筋から圧力がかかったか否か、事前に検察庁や警視庁と打合せの事実の有無。警視庁も公明党も明らかにすべきである。
 山崎は上申書を、問題記事の筆者・隈部大蔵に対して「フェアでない手段で同氏を傷けたこと、心から申し訳なく思っており、ここに事実を明らかにして適正な裁判が行われることを願って」提出したと書いている。公明党からは、これらについて明確な反論、否定も聞かれないとしたら、疑惑を抱かれても仕方がないではないか。
 月刊ペン裁判は、名誉毀損の刑事訴訟である。言論・出版、表現の自由は民主主義社会を保障する基本であるが、同時に“ペンの暴力”は許されてならぬこと、いうまでもない。裁判は現在なお継続中であるから、軽々な批判は慎しむべきであろうが、ただ一つだけ、いっておきたい。それは、月刊ペン事件以外にも創価学会・公明党のゆくところ、裁判沙汰が多発しているということだ。時に原告、時に被告となりながらである。彼らは、裁判の結果が自分たちに不利だとなると、国家権力による“魔”だ、とくるのである。
       --〈公明党衆議院勢力推移・一覧〉--省略--
 いずれにしても、彼らが依然として外からの批判に対し「神経過敏で、寛容さを欠く体質」(池田・お詫び講演における発言)から抜けきっていないことを痛感させられる。そればかりでない。創価学会・公明党の権力意識が、堕落の表現に値するようにどんどん肥大しつつあることを思わせ、まことに憂慮に耐えない。
 学会元教学部長の原島嵩は、その告白手記(「現代」五十七年一月号)で書いている。
「池田氏は、教義上の講義もさることながらその相間々々に私達受講生に政治、経済、教育、官界、司法にいたるまで、広宣流布、王仏冥合のバラ色の未来図を描いてみせた。一言でいえば池田氏の天下取り構想であり、私達はその閣僚、各界の支配者として位置づけられていた」
 創価学会の広宣流布の暁には、池田大作のイキのかかった連中それぞれが、閣潦、各界の支配者を約束されているのである。もちろん、ジョークとしていつているのではない。本気なのだ。池田大作とは、そういう精神構造の持ち主なのである。そんなバ力なことできるものかと笑い飛ばす前に、絵描きになり損ないの陸軍伍長が総統に成り上がった、あのヒトラーのナチス・ドイツを考えてみょう。笑い飛ばす前に、警戒すべきなのである。
 国会議員はじめ地方議員に至るまで、権力への階段をのぼりつつあると意識しても不思議はない。学会と公明党は「一体不二」の関係、「異体同心」だという。彼ら流のこの言葉は、まさしく公明党が創価学会のダミーであり、“僧兵”であり、“親衛隊”であることをいい表わして余りあろう。
       ---------(195P)-------つづく--

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