創価学会・公明党をブッた斬る 藤原弘達
--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
…S60/10=1985年…〈日新報道〉 ¥1,000
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◆ ジグザグ路線が現実政治といえるか
それでは、公明党の現実追随路線が果たしてホンモノの現実的政策をもっていたのか。公明党の「安保」と「沖縄問題」への取り組み方を中心に分析してみょう。
まず、安保「段階的解消」だ。池田大作は「現時点においては、七○年安保の自動延長はやむをえない。しかし、その後は期間を縮めるとかして漸減にもってゆき、やがて安保撤廃の平和体制とする」と述べた(「文藝春秋」四十三年二月号)。
創価学会・公明党の安保に対する基本的な態度は、「段階的解消」であった。
段階的解消は、四十五年、公明党第八回大会において、「七十年代早期に解消されるべきもの」と、具体的に時期を明示することに変わった。抽象論から一歩前進というべきである。そのプログラムをみると、日米安保体制段階的解消の前段階として安保体制の実質的形骸化があり、一九七○年代に解消し、そして完全中立に至ろうとするものである。
では、安保形骸化とは具体的には何をさすのか。その点について、--
① 在日米軍基地の撤去、
② 事前協議事項の厳格な実施、
③ 防衛力増強義務の拒否、
④ 日本国とアメリカ合衆国との相互防衛援助協定(MSA協定)の廃棄、
⑤ 国連軍の地位に関する協定ほか失効、
⑥ 沖縄の即時無条件返還要求、の六項目をあげていた。
ところで、公明党のこの主張では、歴史的には安保体制が日本を守る上で一定のメリットがあったと評価しながら、他面において、それ以上に日本を戦争に巻き込む危険性がある、といういい方をしていた。また、安保の解消を主張しながら、各国等の反応を考慮し、急激には否定しないという。中間政党としての特徴である微温的な、中途半端さがそのまま出ているのが特徴であった。
ただ、「一九七九年十二月までに段陪的解消が不可能な場合でもこれを廃棄する」と明言しているのは注目されたが、これとても、その発想は、民社党の解消論と社共両党の即時廃棄論を、いわば足して二で割り、継ぎ木したようなものだともいえる。
私もかって再三論じたのだが、日米安保条約は、たしかに史上空前の屈辱的条約といえるかもしれない。いかなる国といえども、殆どその構成も系統も真相も知らされない他国の戦略体制の中に、総ての国家利益と生存の権利まで委任しながら、しかもこれを甘んじて受けているなどとは、およそ独立国の名にふさわしくないものといわざるを得ないからである。
いかに集団安全保障の時代であろうと、自からの国家主権放棄にも等しい条約を最大の屈辱として受け取るのが、われわれ主権者として当然であり、また、義務であるというべきなのである。
ところで、安保条約を考える時、百余年前、日本にとって本意ならざる開国を強要し、それによつて歴史的に一つのエポックを画する役割を担ったぺリーの言葉を思い出す。
「われわれの動機の利己性、日本との通商関係が利益であると考え、これを求めたことを承認するにやぶさかでない。それは知力ある国家すべてが、他国と友好関係をうちたてようとする動機であると信じている。ナショナル・インタレストを無視して、一つの国家が他の国家と純真で私心のない友好関係を持つというようなことをいって、世界を欺瞞しょうとする人たちの単純さに対しては、われわれは、ただ微笑しうるだけなのである」
こういう国家としてのエゴイズムを前提に安保をリアリスティックにみつめる限り、われわれは安保条約というものに対して、なんらかの姿勢をとらざるをえないわけだ。創価学会・公明党の安保段階的解消も、あながち非現実的とはいえなかった。しかし、等距離完全中立、アジア、太平洋不可侵・不干渉の国際環境の樹立など、口あたりのいい、キレイごとの羅列で、安保解消の軍事・政治・経済にわたる具体的な見通しを示さないところに、この党のいい加減さがあるといわざるを得ない。
◆ 右旋回で失速すると、今度は左旋回
そのいい加減さで、四十七年十二月選挙において、一挙に十八議席を失った。選挙直後の中央委員会は「反自民、反権力闘争強化、各種民主的諸団体と連携強化」を決める。“左旋回”である。
翌四十八年には「安保即時廃棄」が党大会で採択される。即時廃棄は、次にまた「合意廃棄」、さらに「当面存続」と二転、三転したことは、前にみた通りである。
沖縄返還についてはどうだつたか。--
① 施政権の即時全面返還と本土化、
② 核基地撤去、
③ 通常基地の撤去を行なった上、沖縄産業振興と日本経済への復帰のために、
沖縄経済総合開発銀行の設立。
さらに「施政権返還にいたる過渡期の体制づくり」としては--
① 自治権を拡大して国政参加を実現する、
② 産業の振興を図り日本経済への復帰を促進する、
③ 教育格差を解消、
④ 社会福祉の増進。(「公明党の歩み」より)
沖縄返還問題について公明党の右のような構想は、羅列的であって、野党各党の主張と大同小異、いくばくの径庭もなかつたものだ。
およそ条約改正や領土問題など外交交渉は、相手のある仕事である。相手がある以上、社会党、共産党のように即時無条件返還を主張しただけでは実現できるものではない。即時無条件返還ができないということになれば、沖縄返還は遅れることになる。交渉の中から解决の糸口を見出していく他はないのである。いたずらに原則論、公式論を振り回して即時無条件返還などとワメクだけでは、解決にならないのである。
四十六年十一月、国会における沖縄返還協定審議で、公明党は初め社共両党と審議拒否に回った。そして終盤に至り、一転、「沖縄米軍基地の縮小整理についての決議案」を条件に、自民、民社とともに賛成についたのである。結果的に公明党は、自からの還択を正しかったとするのであろう。
しかし、沖縄返還のために公明党のやったことは一体なんであったか。安保条約改正のため具体的にやったことはなんであつたか。そういう沖縄返還、安保問題というものを、党勢拡大に利用し、政府与党に対する反抗のエネルギーとして利用したに過ぎないという思惑が、その行動様式の中に明らかに存在しているといわなければならないのである。この点でも公明党の政策に対しては大きな不信感と疑惑を抱かざるを得ない。公明党が是々非々で現実政治に取り組むか否か以前の問題なのである。
---------(184P)-------つづく--