創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・公明党をブッた斬る-19

2018-01-19 09:50:51 | Weblog

創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉 ¥1,000
    ------(P121)---(以下、本文)-------

 なぜ、創価学会の“平和運動”か
◆ 平和運動はみせかけのデモンストレーションだ
 池田大作は、精力的に海外へでかける。海外各国で政治家と会い、当代一流といわれる学者、文化人と歓談する。各国の政治家、指導的人物、著名文化人と会う池田は、前にも書いたが、これはザコのトトマジリともいえる。だが池田は、ザコのトトマジリくらいで喜んでいるほど単純な男ではあるまい。池田の狙いは、自分を世界一流の人物とサシで話し合える男としてみせる、その演出効果である。
 かって創共協定で、池田は宮本顕治と会談の際、次のようなやりとりをしている。(松本清張・松本メモ)

池田 もし共産党が弾圧をうければ、学会はその擁護に起ち上る。学会が同様な場合には、共産党もそうしてもらいたい。
宮本 その時は党を挙げて擁護のために闘う。
池田 自分は中国でもソ連でも言いたいことを言っている。日本共産党のことも、機会をみ池田大作・いわゆる“平和への旅”一覧〈─省略─〉て、中国にそれとなしに話したい。
宮本 東欧圏諸国のなかでもソ連一辺倒でなく、次第に自主路線が出てきて、日本共産党の方針に対する評価が行なわれはじめている。フランス、イタリアの共産党がそうである。
 朝鮮民主主義人民共和国とも再び友好関係がとり戻されつつある。残念なことに、わが党員はアメリカに行けない(ビザの発行が拒否されている)ので、アメリカ共産党の事情が詳しく分らない。
池田 私がアメリカに行ったら、宮本さんにビザが出るように努力する。
宮本 北ベトナムのハノイにはぜひ行ってごらんなさい。
池田 再来年あたりには行きたい。北朝鮮にも行きたいと思っている。

 民間外交どころか、トップ外交でもやりそうな鼻息である。五十年五月、池田はモスクワでシチコフ・ソ連最高会議議長と会見し、続いて五月二十七日、モスクワ大学から名誉博士号を贈られる。同日付「朝日新聞」では、池田の「日ソ友好と世界平和の貢献が授与の対象になった」と報じている。果たしてそうか。池田が、世界平和について、いつ、いかほどの貢献をしたか、世界の現代史における活躍ぶりを知りたいものだ。ほんとのところは、国際的“売名”巡業にすぎない。海外での虚名を、ステータスとして日本に持ち込み、国内における池田・創価学会に振り向けようというわけだ。
 いま一つ、池田の海外巡業の目的には、例えばアメリカにおけるNSA(アメリカ日蓮正宗)の如く、各国に海外支部をつくるためである。南米諸国にも、その布石を打っているという。
 ところで、海外諸国において池田大作はモテモテだというが、どんな具合なのか。ソ連のコスイギン(故人)から親書をもらった、コスィギンは「私(池田)のことを尊敬すると書いてよこした」などと吹聴するが、ソ連としては、日本人民懐柔のために創価学会の手口と組織を利用するだけのことであろう。池田は「学会系・日ソ友好協会でもつくろう」などといいだす始末だ。
 中国へ出かけて、「いいたい放題のことがいえる」と自慢する〔宮本顕治との会談)が、公明党委員長・竹入義勝が訪中の折、池田の「創共協定」について弁明をしなかったと、逆上したそうだ。
 創価学会海外支部をつくると称しても、実際には、日蓮正宗を名乗っているのだ。四十九年、北条浩副会長(当時)が大石寺で法主に「お目通り」の際の報告書がある。
「国際センターを作ることは、前から会長さんからもきいています。お作りになることは結構です。しかし学会で作ってやって下さい。日蓮正宗には関係なく、創価学会でやって下さい。
 だって、海外に寺院は建てない。坊さんはいらない。追いかえされる。日蓮正宗は関係ないでしよう。之は私の意見だから、いづれ学会にかけ皆さんとも相談し(以下不明)
 *この癸言に対し、海外広布の現状、国によって種々の困難があること、それを会長が現地へのりこんで道をひらいていること、日蓮正宗の信徒がふえることによつて広布が進展し大聖人が喜ばれることではないか、日蓮正宗に関係ないなどどうして云えるのかと反論しました」(段勲編『創価学会・公明党の研究』)

 この後、大石寺法主は、北条の言葉に対し、「創価学会はふえるけれど、日蓮正宗には関係ない」ときめつけている。宗門内では、池田の海外巡業を創価学会の海外進出とみているのである。然り。海外布教というより、海外進出である。現在でも、依然、日蓮正宗の名で海外に出ている。(現・大石寺日顕法主は完全に学会寄りである)
 こうみてくると、世界平和のためと称する池田の海外行脚は、創価学会のデモンストレーションであり、池田大作の海外セールスのイメージだ。海外布教というより創価学会進出のイメージ濃厚となると、平和運動は仮面にすぎない。なにやら、世界統一協会とも似てくる。かたや、韓民族が世界を救うと呼号すれば、かたや、日蓮正宗(創価学会)が世界の平和を実現する世界一仏教思想である。平和運動など、まことに僭称も甚だしい。

◆ 海の向こうからうさんくさい噂がくる
 世界統一協会といえば、教祖の文鮮明は、アメリカにおいて脱税の罪に問われ、刑務所に収監された(現在は保釈中)。文鮮明の故国・韓国の言葉でなんというか知らないが、おそらく、創価学会流にいえば“法難”のように、信者たちは偉大なる文鮮明さまを受難者という。
 脱税とは、宗教者にあるまじきハレンチな始末だが、よその国の話とばかりはいっておられない。日蓮正宗(創価学会)に対するフランス下院の報告が、今年になって発表された。報告書は、「公明党と関係をもつ創価学会」として、「このエセ仏教セクトはフランス仏教会からたえず非難される特殊性をもって」いると述べている。そして、フランス仏教会プラン会長から創価学会インターナショナル・池田会長あての一九八二年二月の書簡を引用している。
「一九八一年六月五日、私はフランスであなた方の組織フランス日蓮正宗の悪評について、危険なものとして確認されているセクトのうちで、仏教の表現をとる唯一のものがあなた方である点は遺憾であると注意を喚起しました」
「今日、私はフランスでのあなた方の組織の金銭に関する『いかがわしい』関係について、あなたに注意を喚起します。三つの点をとりあげましょう。
 一、会員に金を払わさせるための圧力
 二、集めた資金の管理を要求する会員に対する暴力
 三、日蓮正宗欧州協会とフランス日蓮正宗の間の会計上の混同」
      (六十年四月十六日「赤旗」パリ特派員発)
 欧米で、ゼンガクレン、ノーキヨーが名を売ったことがあるが、今度は日本赤軍と並び、ソーカガッカイが悪名を売る番になりそうだ。

 もう一つ、池田大作にとって不本意な話題があった。たしかに、不本意としかいいようがない話だ。池田は、肝胆相照らしたとでもいう如く、歴史哲学者・トインビーの名声を利用したものだが、そのトインビーの孫娘・ポーリーを日本に招待した。ところが、この招かれたお客さんが、痛烈極まる、池田大作評を公表する。
 英紙「ザ・ガーディアン」に、嫌悪感にみちた池田大作の“人物論”を書いた。「週刊新潮」「週刊文春」がこれをとりあげ、記事にしている。
「私たちの招待者(注・池田大作)の話し方は尊大で、人に警戒心を抱かせるものだった。予期しない意外な言葉がしっかと見すえる目つきとともに話され、理解できぬ冷たさが感じられるのみだった」(「週刊文春」五十九年六月七日号)
「私たちは次第にこの人物を研究する余裕を持ち始めた。彼はオーダーメイドの靴のつま先まで世俗的に見えた。もし彼の職業は何かと尋ねられたら、宗教家と答えられる人はほとんどいないだろう」(同)
「私は池田氏ほど絶対的な権力の雰囲気をにじみ出させる人間を見たことがない。彼は長年あらゆる自分の気まぐれを満足させ、あらゆる命令に従わせ反論や摩擦から守られてきた人物のように思われた。私は少々のことでは驚かないが、彼の中にある何かに背筋が寒くなるのを覚えたものである」(同)

 せっかくの海外巡業で、世界的なアーノルド・トインビー博士と対談した池田大作のイメージを損なうこと、おびただしいものがある。もっとも、トインビーと対談したことが“勲章”だというにも当たるまい。創価学会離反の元支部・婦人部長にいわせれば「おみやげ(力ネか、モノか?)をあれだけたくさん届ければ、誰だって相手になりますよねェ」となる。
 トインビーの孫娘・ポーリーが「靴のつま先まで世俗的に見え……彼の職業……宗教家と答えられる人はほとんどいないだろう」と書き、原島嵩は、脂ぎった池田を「彼がテーブルにてのひらをのせると、そのあと、べっとりと脂のあとがつく……」と書く 。第一次世界大戦の後、ドイツの諷刺画家ゲオルグ・グロッス描くところの資本家は、総て腹がつき出て、脂ぎった顔で葉巻をくわえていた。典型的な類型化だ。私は、池田大作批判に、劇画化やことさらなる卑小化は不要だと考えるのだが、池田スキャンダルをはじめとして、彼に関する証言は、巧まずして池田の戯画を作り出している。等身大の池田大作像となると、もちろん戯画的要素はあるにしても、単なる卑小化ではすまされない。
 宗教的権威と政治的権力を合わせもとうとする野望の組織である創価学会・公明党の象徴としての池田大作なのである。
 ここで私は、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』という小説を連想するのである
       ---------(129P)-------つづく--

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