創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・公明党をブッた斬る-18

2018-01-18 09:11:01 | Weblog

創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉 ¥1,000
    ------(P113)---(以下、本文)-------

7 創価学会は信徒団体に徹すべし
  目に余る創価「株式会社」の肥大化
◆ 異常な創価学会の金銭感覚
 創価学会の金権体質は、目的のためには手段を選ばない低劣な体質と、まさに表裏一体をなしている。金権体質と低劣なマキャベリズムは、創価学会流にいえば“一体不二”の関係だ。
 創価学会系の企業、外郭団体として現在活動しているものは数十にのぼるが、その主なところを挙げると「日蓮正宗国際センター」(財団法人)、「創価大学」(学校法人)、「創価学園」(同)、「潮出版」(株式会社)、「第三文明社」(同)、「東西哲学書院」(同)、「鳳書院」(同)、「聖教新聞社」、「公明新聞」、「連合設計社」(株式会社)、「創造社」(同)、「富士白蓮社」(同)、「東洋物産」(同)、「扶桑警備保障」(同)等々がある。学校、出版、建設、葬儀社、警備会社……多岐にわたる。
 ところで、これら企業の社長が池田大作を中心に集まる会に「社長会」(現在は「金剛会」?)というのがある。この「社長会」の記録をみると、至るところで池田が気炎をあげている。内部的な集まりだから、気炎はホンネだ。(『社長会全記録』「継命」編集部より)
     創価学会系団体及び企業一覧(…省略)
     ------(P116)----------
① 「火災保険、健康保険等もやる。石油、石炭、この辺までやれば大丈夫だ。共産党は療養所を利用している。庶民と連携をもっているのが大専だ」
② 「今迄、謗法の作ったものを使っているのは、おかしい。もう十分儲けさせてやったよ。もういいよ。こちらで使う物は和合僧の集団が潤う様にしてゆこう。一連50円の儲けとしても、10年間に1,000万本としても5億だ。年間5,000万円だ、大きいよ」
③ 「熱海の土肥を大学研修所にしょう。4,000坪で四億円。全部で2万2千坪ある。山の上は買った方が良いので、六億円位かかる。私は秀吉だ、スケールが大きいんだよ。そこに金剛会で行こう。社長会のメンバーで無尽で別荘を作ろう。離ればなれに作ろう。霧島1,000千坪位は端坪だからあげるが、あれは遠いからここ(注・箱根)に別荘を作って3~4日泊りに行こう。政教分離だから構わない。見つめていればいい立場だからな」
④ 「民族が生きて行くのは大変だ。それは経済だ。いかにして勝つかだ。会の様に(注・学会のことか)綺麗事は云っていられないよ。満州の塩、撫順の炭鉱、中国の鉄、南洋の石油を絶対に押えよ、そうすれば5,000年位日本は大丈夫だ。アメリカや何かにお世話にならないで対抗出来るとおっしゃった。(注・戸田の言)まるで侵略だ。私はそれに対応して、豪州に移民せよといった。だんだんそうなった。中共貿易もどんどんやらねばならぬ」
⑤ 「今日は皆で歩こう(注・ホテル大倉での社長会のあと、階下のアーケードを歩いたとき、骨董屋の前で)。大分いい物がある。安い。水晶のかたまり500,000万、名古屋にあったあれは100万以上した。僕も気前がいいな(学会本部)」

  目につくまま、ピックアップしたが、いかにも支配者然とした表情がみえる。珠数を作ってるソロバン勘定、簡単に億単位の儲けを口にしているが、マーケットは、幸福の約束を信じる会員たちだ(②)。戸田の言葉を引用しながら「まるで侵略だな」といいつつ、「私はそれに対応して、豪州に移民せよといった」と、自慢する(④)。「霧島の1,000千坪くらいは端坪だからあげる」という時、御供養に励む信者、会員のことは脳裡にあるのか。倨傲とはこのこと、力ネまみれの成り上りである(③)。

◆ 宗教法人をかたる営利集団
 同じように、カネ、カネ……というにしても、初代・牧口がいった時は、まだしても救いがあった。「四六版(単行本出版)は儲かるよ」と、牧口常三郎は戸田に教える。創価教育学会を維持していくためにはカネが必要だ、四六版で稼げ、というわけだ。そういって教えた牧口を、後に戸田は、「牧口先生はカネ儲けはゼロだ。おれがやらなきゃ、どうにもならなかった」といっている。
 カネ儲けは、創価教育学会のため、手段であった。また、カネ儲けのスケールにしても、牧口の教えたところのものは、なんともまあ、素朴なもの。創価教育学会の“牧歌”的時代だ。
 牧口にカネ儲けを教えられた戸田城聖が戦後になって口にしたことは、「宗教は儲かるぞ、税金がかからん」というのである。もっとも、その前に、戸田は東京建設信用組合事件でコケている。「東京建設信用組合」は、創価学会員対象に預金を勧誘していた。戸田が事件にひっかかったのは、信用組合の不正融資、背任の疑いである。この事件で、戸田は学会の理事長を退いた。戸田以外の理事も辞職し、矢島周平が戸田に代わった。他に、小泉隆、柏原ヤス、原島茂らが理事として登場する。無キズの人間で学会の組織を守らなければならなかった。一説には、矢島周平は理事長の椅子をカネで買ったことになっている。矢島は、後に理事からも追われ、僧侶になったが、晩年、失意のうちに世を去った。
 戸田は学会理事長を辞任すると、一時、戸田城聖から戸田城正と改めたが、二十六年五月、学会に復帰した。「戸田先生は法難にあわれた。戸田先生をつまずかせた罪は、他の旧理事にある」と、戸田復帰運動が起こり、その波に乗ったのである。戸田の復帰反対派もあり、大石寺法主に手を回したものもあったが、結局、復帰運動は実を結んだ。
 戸田は、理事長ではなく会長として返り咲く。当時、創価学会に会長職はなかった。理事長でなく会長に就任した戸田は、「会長に就任しないでやってきたから、バチが当たった」といってのけ、今度は折伏大行進を号令した。信用組合事件を“法難”と称したが、今度は「バチが当たった」という。こうした詭弁は、一種の変節というより、でまかせの強弁の類いで、その点、戸田は徹底していた。
 法華経の教えにもとる生き方をすると、てきめんに罰が当たるという。しかし戸田は、会長を空席にしていたからバチが当たったと、こうである。同じパチが当たるにしても、弟子どもやヒラの会員とは意味が違うのだ。
 戸田は、牧口会長にカネ儲けを教えられたが、牧口のことを「カネ儲けは全くダメだった」と評する。その戸田を、三代目会長になった池田は、「失敗の多かった戸田をカバーしたのは自分だ」といっている(内部的会合の席で)。なにやら、面白い図式ができそうだ。牧口初代がドン・キホーテなら、戸田がサンチヨ・パンサ。二代目戸田は、池田からすればドン・キホーテで、サンチヨ・パンサは池田の役だ。三代目池田には、ドン・キホーテという自覚はない。もはや、サンチヨ・パンサを必要としない全能者、絶対者のつもりなのだ。戸田は小さな儲けを大事にした男で、池田は、戸田先生だったら、いいところ、会館の十軒ぐらい、それも木造平屋の一千万くらいのものだろう」と、軽く片づける。戸田ドン・キホーテの下で育った池田は、牧口初代の理想主義、戸田二代の空想主義を即物主義の野望にふくれあがらせた。
 広宣疣布のためなら木っ端を札束にしてみせるという戸田流が、空想ではなく、今の創価学会ではありのままの姿勢ということになる。
 
 私は宗教家ではないし、専門の宗教研究者でもない。しかし、「宗教とは何か」という点については絶えず考えており、宗教と社会の関係、宗教が及ぼす政治的、社会的影響、その功罪については、一個の人間として勉強もし、考えてもいる一人である。
 日蓮正宗信徒団体として、創価学会がたとえ八百万世帯、一千万世帯にふくれあがろうと、信教の自由の下では、目の力タキとすべきものじやない。批判は大いに行なわれるべきだが、とかくの権力による干渉や政治圧力が加えられてはなるまい。しかし、今や創価学会は肥大化した組織をもて余し、本来の宗教活動から全く逸脱している。南無妙法蓮華経を「幸福製造機」として売りつける無限連鎖商法の破綻を免れるためには、宗教活動では間に合わない。まさに、量から質への転換が起こっているのだ。
 宗教法人の名を藉り、カネの力を過信し、組織の大衆動員力を背景に無軌道なままに突進している。その危険なファッショ的体質はいよいよ露骨であり、既にみてきた創価学会の“犯罪行為”も、その顕証に他ならない。大石寺との争い、宗門内での争いなど、いってみればコップの中の嵐なのだが、これに公明党が一種の〝僧兵〟として動く政治的波動は、もはや看過すベからざる段階にきた。権力による強者の外的誇示のためには、今や宗教者本来の謙虚さなど、ミジンもなくなっている。これを宗教として聖域視する必要があるのか。織田信長なら、こういう胸クソの悪い連中をどう処理したろう……そんな連想すら頭をよぎる。
       ---------(120P)-------つづく--

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