創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・公明党をブッた斬る-22

2018-01-21 07:18:29 | Weblog

創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉 ¥1,000
    ------(P142)---(以下、本文)-------

第二部 公明党は有害無益だ
 公明党は悪質なヤミ行為の温床だ
 公明党は有害無益。百害あつて一利なき組織だ
 公明党は一種のゴキブリかカビである。大掃除が必要
 公明党は政党ではない。一宗教団体の「僧兵」であり「政治出張所」に過ぎない
 公明党は民主政治衰亡のシグナルである

1 公明党は創価学会の「奴隸」勢力
  公明党の“革新”なんて、ちゃんちゃらおかしい
◆ 昨日革新、明日は保守、その日その日の出来ごころ
 公明党なる政党は、まやかし政党であり、未来への展望は総て学会任せ、池田大作任せである。彼らの政治行動は、池田大作追随、革新とか保守とかの次元で論じることすら無意味である。要するに、政党としての「志」は学会任せであるから、学会のリードがなければ、無定見に、生物的カンで動いているに過ぎないゲリラ的徒党集団ということでもあろう。
 昭和初期に、郡司次郎正という大衆作家が「侍ニッポン」を書き、映画化されると大ヒットした。その主題歌がまた大流行したものだ。その歌詞に、「昨日勤王、明日は佐幕、その日その日の出来ごころ、どうせおいらは裏切りものよ……」とあった。公明党をみていると、まるで「昨日革新、明日は保守、その日その日の出来ごころ」で、しかも行動だけはバ力に能動的で、内面的には一種のニヒリズムなのだ。小説や映画の主人公なら、「その日その日の出来ごころ」などと、ちょっと陰鬱な顔をしてニヒリスティックに自嘲するとそれなりにうけるかもしれぬが、ここまで堕落した「奴隸」に、果たして自嘲するだけの“自分の精神”があるのかどうか、という気さえする。
 そもそも、創価学会が政治に進出したのは、昭和三十年の統一地方選挙からである。この地方選挙に先立ち、二十九年元旦の「聖教新聞」社説が、広宣流布の完成はあと二十五年以内と確信すべし、と書いた。第二代会長二戸田城聖の筆である。
 「……この期間に日蓮大聖人様出世の本懐であらせられる弘安二年十二月十二曰の大御本尊に対し奉り日本一同に帰依して国立戒壇建立の御教書が発せられるであろう。否発せさせなければならないのである。御教書とは衆議院に於て過半数の構成を以て発せられるものである故これが獲得の為にも正法弘通の活動は今後新生面が展開されなければなるまい……」(赤字著者)
 いかにも高利貸し的感覚のホラ吹き、戸田ドン・キホーテらしい夢を描いていたものだ。それでも、ビジョンとはいっておこう。この当時の創価学会は、会員十数万世帯である。後に、七八〇万世帯を誇号することを思えば、二十九年のこの夢は、すこぶるネズミ算的な読みだけはできており、誇大宣伝にしても何となく愛嬌があるのだ。この種の夢は、日本国民を教化し国立戒壇建立、即ち日蓮正宗を国教化すべしという日蓮の遺命を、そのまま創価学会の政治使命におっかぶせただけのもの。アナクロニズム(時代錯誤)には違いないが、日蓮自身にも似た誇大妄想的愛嬌だけはあるのだ。
 ところが、これが「聖教新聞」社説にとりあげられると、広宣流布の日は「ある理由により、あと二十五年以内」と、もっと正確な予言めかして書かれる。予言は、日蓮自身もはずれっ放しだったが、戸田のそれも、見事にはずれる。二十五年どころか、十六年目の四十五年に創価学会・公明党は、国立戒壇否定、政教分離を宣言せざるを得なくなったのである。日蓮のはずれた予言がはずれっ放しのままで、今日においても創価学会・公明党を心理的に拘束する呪縛となつたままなのである。

◆ クルクルと変わる客寄せ口上
 七百年前の日蓮の時代に果たし得なかった一種の宗教改革を現代社会の条件に強引にあてはめ、宗教改革から政治改革まで夢想し、これをそのまま実行するということなら、イランのホメイニ的次元、現実に世界中で政治的テロが宗教的狂信に民族的対立をからめて続出しているのであるから、そうそう、驚いてばかりはおれまい。この種のアナクロニズムや宗教的予言の呪縛から解放され、信仰としての日蓮正宗、組織としての学会を巣離れしない限りは、一人前の政治集団とはいえない。それでいて、議会政治や政党政洽を前提とするビジョンやプログラムがいかに麗々しく掲げられても、所詮お題目だけの呪文であり、仏壇へ供える献花のようなものなのだ。中世の呪文を唱え続ける公明党が今日でも異質の政党として行動せざるを得ないのは当然の因果応報であり、その日和見主義、現実べッタリの追随路線は、その体質の必然的結果に過きない。「その日その日の出来ごころ」は、総てこの、自らの政治判断をもたないで、なんらかの絶対者ないし擬似絶対者に安易に総てを供託した者の気楽さかもしれないが、「奴隸」としての当然至極な心理状態ということにもなる。
 それでも形式的に政党である以上は、やはり民意の洗礼を受けなければならない。創価学会会員票のみで一定の議席が支えられた段階では、至極簡単であった。初期の創価学会の政治進出が、素人臭さ、アマチュアのもつある種の清新さと謙虚さとして世間の目に映ったのも、当然ではあった。ところが、政党をつくって公明党となり、政権を狙うとなると、唯一の選挙基盤たる創価学会票ではとても足りない。まさに、頭打ちなのだ。議会内政党勢力としての伸びは、もう先が見えてくる。選挙でF票(学会員が掘り起こしてくる同情票)、浮動票(かっては外米と呼んだ)をつかむためには、宗教政党の“素顔”に、柄にもない、色とりどりのお化粧を施す必要がでてくる。
 国立戒壇建立の「御教書が衆議院の過半数の構成を以て発せられるもの」(つまりは公明党単独政権)が、単なる戸田の思いつきで、いかに非現実的なハッタリ的幻想であつたかは、数の上で早くも“現証”された。このことは、言論・出版妨害事件で政教分離を公約する以前、既に幹部たちにはハッキリと自覚されていた。だから、公明党が初めて衆議院進出を果たした四十三年、三十二人が立候補、二十五人が当選した後、公明党は、今度は「中道政治」を強調し始めるのだ。
 中道政治、中道主義なんていうアピールはまこと中身は暖昧で、単なるスローガンどまりのシロモノである。公明党の中道主義の論拠となっているのは、「日蓮信者の中には右翼の大物もいるが、あれらは化けものだ。共産党も話にならん。われわれは、右でも左でもない」といった戸田城聖の言葉くらいのもの。衆議院に政党として進出したとなると、王仏冥合、仏法民主主義では、とてもじやないが“通用”しないことも思い知らされる。ナチスばりの折伏大行進時代のイメージも、自ら払拭する必要に迫られる。
 折伏大行進のさなか、戸田城聖は週刊誌記者に勇ましくブチあげている。
「問 天皇一家の神道を改宗させる、と意気ごんでいるそうだが。
 答 いますぐというわけではないが、あれも邪教だ。天皇ご一家に何の罪もないが、神道である限り、いつかはわれわれの折伏の対象になる」 (「週刊読売」三十年十月三十日号)

 二十五年以内に広宣流布が成る(衆議院過半数を制し、国立戒埴建立)と号令を発した戸田当人としては、当然の答ではあった。
 ところで、創価学会・公明党は、四十二年に「中道主義」を掲げる段階で、国立戒壇建立を否定も肯定もしなくなる。それどころか、この問題にはマトモに触れようともしないのである。中道主義、中道政治のスローガンが出てくる過程において、戸田時代の「二十五年以内に広宣流布達成」の大目標がどのようにして修正されたのかは、全く黙して語らずだ。この中道政治への転換が、その後綿々と続いて今日に及ぶ虚妄と方便、ウソの上塗りの政治的序説に当たるものである。
 “床屋政談”でも外野席からの野次、岡目八目、素人政治批評であっても、時に庶民の鋭い政治感覚、キラリとしたものをもっているものだ。創価学会・公明党から出てくる政治スローガンとなると、そんなものは皆無、あたかも通行人の群を呼び込む客寄せ口上の如きものだ。 左様、寅さん……テキ屋のタンカの方が、はるかにワサビが効いている、とでもいっておこう。
       ---------(151P)-------つづく--

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創価・公明党をブッた斬る-21

2018-01-20 08:28:07 | Weblog

創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉 ¥1,000
    ------(P134)---(以下、本文)-------

  独善的邪教に未来はない
◆ 大衆をなめるな、騙すな
 仏教民主主義、人間性社会主義といったふうに、創価学会・公明党が口にする用語は、きわめて内容が暖昧だ。仏教と民主主義という近代思想概念をいとも簡単に貼り合わせたにすぎないのだから、もともと暖昧なはずである。人間性社会主義にしても然り。これらも、創価学会式ニュースピークの一種である。
 彼らは“人間”を口にしても、その人間とは、先のコメントにいう、個人としてではなく、「集団としての人間」(高木宏夫)であって、学会組織も、正本堂妙壇の如く集団処理の効率優先組織なのである。
 人間にとって、神にせよ仏にせよ、なんらかの絶対的なものを求めようとする渇望は、人間のある限り、形はどうあろうと、存在し続けることだろう。貧困、病苦……諸々の煩悩のみが、神や仏、絶対的なものを求めさせるとは限らない。月世界から帰還した宇宙飛行士は、月世界で「自分の隣りに神を見た!」と告白している。
 宗教の解釈は多様であり、そうあってよいものである。人間が人間らしく、その本来の姿のまま心のゆとりをもつための、いうならば心に栄養を与えるものであろう。宗教は人間の内面世界にこそ、その本来の在り処をもつものである。
 巨大組織を頼み、金力を誇示する創価学会のその拠って立つところは、会員の数以外にない。御供養の大号令をかければ、億単位のカネの調達は易々たるものと豪語するのも、現世利益で洗脳した会員の数の上に成り立つことである。
 しかも、組織の中枢に立つものは、今や池田大作に忠誠を誓う学会“官僚”として、会員大衆に対する支配機構を握っている。既成宗教は無論のこと、新興宗教においては、教団組織などは近代民主主義的組織ではない。宗教教団では、そもそも、下意上達の必要などないのである。上から下へおろしていく、トップ・ダウンでこと足りるし、権威で組織が守られている。
 まだしも、大衆投資家の資産を集める株式会社の方が、形式的にもせよ株主総会があり、開かれた組織だろう。
 こうした宗教教団組織の中で、現世主義、御利益第一主義、政治主義的創価学会の集団処理効率は、まさしく大衆を数としてしかみない徹底した独裁主義そのものである。しかも、本山・大石寺の権威の他に、自らを権威づけるためにさらに限りなく権力を必要とする。権力には、外に対する力と、内に向ける力の両面がある。創価学会・公明党の複合組織においては、外への力としての権力志向が格段に強化された点で、まさにユニークなのだ。外と上への権力志向は、池田大作・創価学会において自己目的化し、極限化しているといってよい。謙虚に宗教の原点、内なる世界にたち戻ることができるか、それとも、あくなき外と上への権力追求の道を突っ走るか--まさに、この組織にとって運命の岐路に立つ日は迫っている。

◆ この創価学会に未来はない
 仏教のみならず、神道、キリスト教、回教……その他、日蓮正宗以外の宗教は総て邪教だとする創価学会の独善性、偏狭性、即ち狂信性は、他に類をみない、すさまじきものである。彼らは、他宗を邪教、インチキ宗教、オガミ屋と、口を極めてののしる。
 南無妙法蓮華経の御本尊を拝み、題目をあげれば病気が治る、カネが儲かる--創価学会だけはインチキでなく、邪教ではないのである。
 御本尊を拝んで御利益があることはリクツでは説明できぬ、体験したものでなければわからないのだ、と強弁する。
 他を邪教よばわりする時、結局は己にそれがハネ返ってくる。そのパラドキシカルな表現を、あくまで否定し続けるのである。天にツバする者の譬えとは、このことだ。
 しかし、私がここでいっておきたいのは、このような創価学会・公明党が、未だに政教一体路線を推し進めている危険な存在だということである。いくたびとなく私は繰り返してきたが、政治と宗教はあくまで別個の領域にあるものとし、厳然と区別されなければならない。これは、近代国家原理の大前提である。

 古代、中世を通じて、宗教は権力にタッチすることで堕落し、人間を幸福より不幸にする機能を果たし、時に大衆を欺き、大衆をマヒさせる阿片ともなつたことは、マルクス主義の宗教観ならずとも、宗教に対する透徹した重要な見方である。
 宗教が権力に近づく時、必ず反動的役割を果たすものである。それ故に、近代社会においては、宗教はできるだけ人間の内面世界で機能するものとしてその領域を確定し、政治と宗教の関係を混同させないようにすることを基本的な建前としている。
 しかるに、創価学会・公明党は、依然としてこの近代社会における大原則をふみにじり、政教一体、政権獲得を夢みるのである。
 十五年前、政教分離を天下に約束した後でも、池田大作は創価学会“奥の院”(公明党議員との懇談会)で放言している。もちろん、形は放言だが、ホンネである。
「少し力をつけて日本中を変えよう。ケンカ学会はじめよう。それでまたたたかれて…静かになって……これをくり返そう。忍従ばかりで、いい顔ばかりしていたら成仏はできない。公明党が眼中になく暴れ回わるのはいいことだ。だいたい日蓮主義というものは元来過激だね。その方が男らしいよ。おとなしいと『みんな日蓮宗ですね』と妙信講あたりがいうよ。
 どうみても日蓮大聖人の仏法ははげしいね。だからへタ読むと気違いになるよ…‥
 またいつかやろう。もう少しガッチリしてきたら。もうそれ以上いかないというとき、いっぺんやろう。こっちは大折伏を号令するから」(段勲編『創価学会・公明党の研究』)
 池田が、「日蓮大聖人の仏法ははげしい、へタ読むと気違いになる」といっているのはまさにホンネだ。
 ところで、創価学会では、“依義判文”という言葉を使う。学会で軍歌を歌うことについて解説するに、依義判文では、「日本男子と生まれてきて、戦の場に立つならば」を、邪宗との戦いの場とする。「散るべきときに清く散れ」は、弾圧にひるむなであり、「御国にかおれ桜花」は、日蓮正宗は桜花のように薰れ、であると解釈するわけだ。“依義判文”は、こじつけには、まことに便利な教えである。
 池田大作=ホメイニ説は内藤国夫も説くところだが、イスラム教シーア派のホメイニ指導する体制を“依義判文”で日本に日蓮正宗政治をもちこもうというに至っては、時代錯誤の狂信と呼ぶ他ない。

 創価学会は信教の自由の下で、かくも巨大な教団を組織し得た。わが国憲法では、宗教に対する国家公権力の保護、援助、支配、統制を厳しく排除している。憲法第二十条、第八十九条で政治と宗教の分離をハッキリ規定している。即ち、信教の自由の裏づけである。
 創価学会の独善性、排除の論理は、自ら信教の自由をふみにじり、ただただ権力そのものにとりつこうとする。既に、政教一体路線で、公明党の最近の動きは権力の一角に食いこむ手立て(自民党との連合論)をとり始めたとみなければならない。政教一体路線の学会・公明党が権力志向で突っ走る今、彼らの果たす役割は最も反動的で狂信的勢力としての「主役」以外にはない。これぞ、まさしく、ファシズムへの道である。
 私が繰り返してきた創価学会・公明党による政教一体路線がもつファシズムの危険性は、全世界に狂信とテロの嵐が吹きまくる現在、いかに強調しても強調し過ぎるということはない。
 ファシズムが、ヒトラー、ムソリーニのような制服姿で進軍してくるとは限らない。ナチの抬頭について、『ヒトラーとは何か』(セバスチャン・ハフナー著、赤羽龍夫訳)の中に、次のような記述がある。
「……ヒトラーは决してそう簡単に極右に組み入れるわけにはいかないのである。むろん彼は決して民主主義者ではなかった。彼は人民主義者だったのだ。つまり自分の権力をエリートにでなく、大衆に依拠する人間だった……彼の最も重要な支配の手段は大衆煽動のデマゴギーだった。 そして彼の支配の道具は、决して組織された階層秩序ではなく、相互の調整もなく、先頭に立つ彼という人物によってただ一緒にまとめられている無秩序な大衆組織の束だったのだ……」
 政教一体の実働部隊、創価学会の政治出張所となつている公明党の「僧兵」的役割については、第二部において究明しなければならない。
       ---------(141P)-------つづく-

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創価・公明党をブッた斬る-20

2018-01-20 08:25:28 | Weblog

創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉 ¥1,000
    ------(P130)---(以下、本文)-------

  不吉なる近未来小説
◆ 小説『一九八四年』は何を描いたか
 G・オーウェルの小説『一九八四年』について、今さら改めて内容紹介をするまでもなかろう。これは小説の形をとり、諷刺、文明批判をつきつけている。未来小説というより、近未来小説であった。近未来小説であったというのは、この小説が発表されたのは一九四八(昭和二十三)年であり、題名は四八を逆にして八四としたものの、既にその一九八四年はすぎている。しかし依然、近未来小説である。
 小説『一九八四年』に描かれた近未来は、作者・オーウェルの予言だったわけではない。したがって、今日、『一九八四年』の予言が的中したか否かを読みとろうとしても無意味なのだが、『一九八四年』で描かれている世界が、創価学会・公明党のつくりだす世界と奇怪なまでの類似性を感じさせるのだ。
 三十七年前の一九四八年、この小説が発表されたのは第二次大戦後、東西両陣営の対立、冷戦のきざしが濃くなつた時代だが、ソ連ではまだスターリン神話は崩れていなかった。発表当初は、スターリン体制下のソ連を寓意する反共小説という読み方もされた。しかし、今日読んでみると、なるほど、小説に登場する“偉大なる兄弟”をスターリンに、“人民の敵・ゴールドスタイン”をトロッキーにみたてた寓意はみえる。しかし、私には今、別の発見がある。いうまでもないが、私には、柄にもない小説談義をやる趣味も時間もない。『一九八四年』が反共プロパガンダ小説という以上に興味があるのは、権力者が権力維持のためにいかなる手段を生み出していくか、独裁的権力機構の現代社会における運動法則の共通性なのである。
 創価学会・公明党と『一九八四年』の奇妙な類似性といったのは、この故なのだ。
 “偉大な兄弟”はスターリンではなく、永遠の大聖人・日蓮である。これに対し、“人民の敵・ゴールドスタイン”はトロッキーならで、邪宗、謗法者の類いである。さらにいうなら“偉大な兄弟”は、日蓮の生まれかわり、池田大作である。創価学会では、もちろん“偉大な兄弟”とは呼ばない。「会長先生はお父さんのような方です」という。池田より年上の幹部連中にとっても「お父さん」なのだ。
 小説『一九八四年』に出てくる“憎悪の時間”がある。テレスクリーンに映し出されるゴールドスタイン(人民の敵)を見せられる人民は、憎悪をかきたてられ、狂気を示すのだが、創価学会のもつ“憎悪の哲学”もまた、会員を狂気に駆りたてているではないか。テレスクリーンは、人民洗悩用であると同時に、監視用装置だ。創価学会から脱けようとする者は、仲間から絶え間ない波状攻撃を受け、ノイローゼ状態に追い込まれるという。
 
 創価学会には、学会用語がある。仏教上の特殊なものだが、『一九八四年』の中に出てくるオセアニア国公用語=ニュースピークと照応する。ニュースピークは「イングソックの熱狂的な支持者に固有な世界観や精神的慣習に対して一定の表現手段を与えるばかりでなく、イングソック以外のあらゆる思考方法を可能にするということ」であつた。(新庄哲夫訳『一九八四年』早川書房)
 四十七年、大石寺正本堂が完成した時、朝日新聞文化欄では「……建築費二百八十三億かけた巨大性と人間本位につくられた内容の点で、他の新宗教系のものを圧倒し……」と書いた。
 同時に、二人の人物のコメントが載っていた。
 「正本堂の巨大性は威圧的権威主義の象徴だ。(中略)世界の百三十五力国から石を集めて妙壇の下に埋めたという正本堂には、わが国の宗教界はもとより、アジアの全仏教国もその翼下に納めようとの盟主的発想がひそんでいるように思う」(中濃教篤日蓮宗現代宗教研究所長)
 「正木堂の人間本位は、個人でなく集団としての人間のためだ。集団処理の効率優先に設計されている妙壇の話を聞くと、その感が深い。もともと個人としての人間解放を目ざした宗教の役割が、ここでは、集団の中に埋没することによって、自分の所属に安心感を得る形に変ったのだろうか」(髙木宏夫東洋大教授)

 「真理省は--新語法ではミニトルーと呼ばれるが、視界に入るどの建築物よりも眼を見張るほど異なっていた。巨大なビラミツド型建築で、白いコンクリートの肌がきらめき、屋根が幾層にも重なつて三百メートルの空中にそそり建っている。ウィンストンの佇む場所から、その白い壁面にエレガントな文字で刻みこんである党の三つのスローガンが辛うじて読みとれる。

     戦争は平和である
   自由は屈従である
 無知は力である」(新庄哲夫訳『一九八四年』)

 G・オーウェル『一九八四年』が発表された一九四八年当時、創価学会の活動は、もっぱら講演会、座談会、教義研究会であった。折伏も縁故や講演会聴衆を対象の、地味なものだった。その創価学会が、あたかも小説『一九八四年』のまねびを思わせる現状にあるのは、まことに不吉な符合といえよう。
       ---------(134P)-------つづく--

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創価・公明党をブッた斬る-19

2018-01-19 09:50:51 | Weblog

創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉 ¥1,000
    ------(P121)---(以下、本文)-------

 なぜ、創価学会の“平和運動”か
◆ 平和運動はみせかけのデモンストレーションだ
 池田大作は、精力的に海外へでかける。海外各国で政治家と会い、当代一流といわれる学者、文化人と歓談する。各国の政治家、指導的人物、著名文化人と会う池田は、前にも書いたが、これはザコのトトマジリともいえる。だが池田は、ザコのトトマジリくらいで喜んでいるほど単純な男ではあるまい。池田の狙いは、自分を世界一流の人物とサシで話し合える男としてみせる、その演出効果である。
 かって創共協定で、池田は宮本顕治と会談の際、次のようなやりとりをしている。(松本清張・松本メモ)

池田 もし共産党が弾圧をうければ、学会はその擁護に起ち上る。学会が同様な場合には、共産党もそうしてもらいたい。
宮本 その時は党を挙げて擁護のために闘う。
池田 自分は中国でもソ連でも言いたいことを言っている。日本共産党のことも、機会をみ池田大作・いわゆる“平和への旅”一覧〈─省略─〉て、中国にそれとなしに話したい。
宮本 東欧圏諸国のなかでもソ連一辺倒でなく、次第に自主路線が出てきて、日本共産党の方針に対する評価が行なわれはじめている。フランス、イタリアの共産党がそうである。
 朝鮮民主主義人民共和国とも再び友好関係がとり戻されつつある。残念なことに、わが党員はアメリカに行けない(ビザの発行が拒否されている)ので、アメリカ共産党の事情が詳しく分らない。
池田 私がアメリカに行ったら、宮本さんにビザが出るように努力する。
宮本 北ベトナムのハノイにはぜひ行ってごらんなさい。
池田 再来年あたりには行きたい。北朝鮮にも行きたいと思っている。

 民間外交どころか、トップ外交でもやりそうな鼻息である。五十年五月、池田はモスクワでシチコフ・ソ連最高会議議長と会見し、続いて五月二十七日、モスクワ大学から名誉博士号を贈られる。同日付「朝日新聞」では、池田の「日ソ友好と世界平和の貢献が授与の対象になった」と報じている。果たしてそうか。池田が、世界平和について、いつ、いかほどの貢献をしたか、世界の現代史における活躍ぶりを知りたいものだ。ほんとのところは、国際的“売名”巡業にすぎない。海外での虚名を、ステータスとして日本に持ち込み、国内における池田・創価学会に振り向けようというわけだ。
 いま一つ、池田の海外巡業の目的には、例えばアメリカにおけるNSA(アメリカ日蓮正宗)の如く、各国に海外支部をつくるためである。南米諸国にも、その布石を打っているという。
 ところで、海外諸国において池田大作はモテモテだというが、どんな具合なのか。ソ連のコスイギン(故人)から親書をもらった、コスィギンは「私(池田)のことを尊敬すると書いてよこした」などと吹聴するが、ソ連としては、日本人民懐柔のために創価学会の手口と組織を利用するだけのことであろう。池田は「学会系・日ソ友好協会でもつくろう」などといいだす始末だ。
 中国へ出かけて、「いいたい放題のことがいえる」と自慢する〔宮本顕治との会談)が、公明党委員長・竹入義勝が訪中の折、池田の「創共協定」について弁明をしなかったと、逆上したそうだ。
 創価学会海外支部をつくると称しても、実際には、日蓮正宗を名乗っているのだ。四十九年、北条浩副会長(当時)が大石寺で法主に「お目通り」の際の報告書がある。
「国際センターを作ることは、前から会長さんからもきいています。お作りになることは結構です。しかし学会で作ってやって下さい。日蓮正宗には関係なく、創価学会でやって下さい。
 だって、海外に寺院は建てない。坊さんはいらない。追いかえされる。日蓮正宗は関係ないでしよう。之は私の意見だから、いづれ学会にかけ皆さんとも相談し(以下不明)
 *この癸言に対し、海外広布の現状、国によって種々の困難があること、それを会長が現地へのりこんで道をひらいていること、日蓮正宗の信徒がふえることによつて広布が進展し大聖人が喜ばれることではないか、日蓮正宗に関係ないなどどうして云えるのかと反論しました」(段勲編『創価学会・公明党の研究』)

 この後、大石寺法主は、北条の言葉に対し、「創価学会はふえるけれど、日蓮正宗には関係ない」ときめつけている。宗門内では、池田の海外巡業を創価学会の海外進出とみているのである。然り。海外布教というより、海外進出である。現在でも、依然、日蓮正宗の名で海外に出ている。(現・大石寺日顕法主は完全に学会寄りである)
 こうみてくると、世界平和のためと称する池田の海外行脚は、創価学会のデモンストレーションであり、池田大作の海外セールスのイメージだ。海外布教というより創価学会進出のイメージ濃厚となると、平和運動は仮面にすぎない。なにやら、世界統一協会とも似てくる。かたや、韓民族が世界を救うと呼号すれば、かたや、日蓮正宗(創価学会)が世界の平和を実現する世界一仏教思想である。平和運動など、まことに僭称も甚だしい。

◆ 海の向こうからうさんくさい噂がくる
 世界統一協会といえば、教祖の文鮮明は、アメリカにおいて脱税の罪に問われ、刑務所に収監された(現在は保釈中)。文鮮明の故国・韓国の言葉でなんというか知らないが、おそらく、創価学会流にいえば“法難”のように、信者たちは偉大なる文鮮明さまを受難者という。
 脱税とは、宗教者にあるまじきハレンチな始末だが、よその国の話とばかりはいっておられない。日蓮正宗(創価学会)に対するフランス下院の報告が、今年になって発表された。報告書は、「公明党と関係をもつ創価学会」として、「このエセ仏教セクトはフランス仏教会からたえず非難される特殊性をもって」いると述べている。そして、フランス仏教会プラン会長から創価学会インターナショナル・池田会長あての一九八二年二月の書簡を引用している。
「一九八一年六月五日、私はフランスであなた方の組織フランス日蓮正宗の悪評について、危険なものとして確認されているセクトのうちで、仏教の表現をとる唯一のものがあなた方である点は遺憾であると注意を喚起しました」
「今日、私はフランスでのあなた方の組織の金銭に関する『いかがわしい』関係について、あなたに注意を喚起します。三つの点をとりあげましょう。
 一、会員に金を払わさせるための圧力
 二、集めた資金の管理を要求する会員に対する暴力
 三、日蓮正宗欧州協会とフランス日蓮正宗の間の会計上の混同」
      (六十年四月十六日「赤旗」パリ特派員発)
 欧米で、ゼンガクレン、ノーキヨーが名を売ったことがあるが、今度は日本赤軍と並び、ソーカガッカイが悪名を売る番になりそうだ。

 もう一つ、池田大作にとって不本意な話題があった。たしかに、不本意としかいいようがない話だ。池田は、肝胆相照らしたとでもいう如く、歴史哲学者・トインビーの名声を利用したものだが、そのトインビーの孫娘・ポーリーを日本に招待した。ところが、この招かれたお客さんが、痛烈極まる、池田大作評を公表する。
 英紙「ザ・ガーディアン」に、嫌悪感にみちた池田大作の“人物論”を書いた。「週刊新潮」「週刊文春」がこれをとりあげ、記事にしている。
「私たちの招待者(注・池田大作)の話し方は尊大で、人に警戒心を抱かせるものだった。予期しない意外な言葉がしっかと見すえる目つきとともに話され、理解できぬ冷たさが感じられるのみだった」(「週刊文春」五十九年六月七日号)
「私たちは次第にこの人物を研究する余裕を持ち始めた。彼はオーダーメイドの靴のつま先まで世俗的に見えた。もし彼の職業は何かと尋ねられたら、宗教家と答えられる人はほとんどいないだろう」(同)
「私は池田氏ほど絶対的な権力の雰囲気をにじみ出させる人間を見たことがない。彼は長年あらゆる自分の気まぐれを満足させ、あらゆる命令に従わせ反論や摩擦から守られてきた人物のように思われた。私は少々のことでは驚かないが、彼の中にある何かに背筋が寒くなるのを覚えたものである」(同)

 せっかくの海外巡業で、世界的なアーノルド・トインビー博士と対談した池田大作のイメージを損なうこと、おびただしいものがある。もっとも、トインビーと対談したことが“勲章”だというにも当たるまい。創価学会離反の元支部・婦人部長にいわせれば「おみやげ(力ネか、モノか?)をあれだけたくさん届ければ、誰だって相手になりますよねェ」となる。
 トインビーの孫娘・ポーリーが「靴のつま先まで世俗的に見え……彼の職業……宗教家と答えられる人はほとんどいないだろう」と書き、原島嵩は、脂ぎった池田を「彼がテーブルにてのひらをのせると、そのあと、べっとりと脂のあとがつく……」と書く 。第一次世界大戦の後、ドイツの諷刺画家ゲオルグ・グロッス描くところの資本家は、総て腹がつき出て、脂ぎった顔で葉巻をくわえていた。典型的な類型化だ。私は、池田大作批判に、劇画化やことさらなる卑小化は不要だと考えるのだが、池田スキャンダルをはじめとして、彼に関する証言は、巧まずして池田の戯画を作り出している。等身大の池田大作像となると、もちろん戯画的要素はあるにしても、単なる卑小化ではすまされない。
 宗教的権威と政治的権力を合わせもとうとする野望の組織である創価学会・公明党の象徴としての池田大作なのである。
 ここで私は、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』という小説を連想するのである
       ---------(129P)-------つづく--

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創価・公明党をブッた斬る-18

2018-01-18 09:11:01 | Weblog

創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉 ¥1,000
    ------(P113)---(以下、本文)-------

7 創価学会は信徒団体に徹すべし
  目に余る創価「株式会社」の肥大化
◆ 異常な創価学会の金銭感覚
 創価学会の金権体質は、目的のためには手段を選ばない低劣な体質と、まさに表裏一体をなしている。金権体質と低劣なマキャベリズムは、創価学会流にいえば“一体不二”の関係だ。
 創価学会系の企業、外郭団体として現在活動しているものは数十にのぼるが、その主なところを挙げると「日蓮正宗国際センター」(財団法人)、「創価大学」(学校法人)、「創価学園」(同)、「潮出版」(株式会社)、「第三文明社」(同)、「東西哲学書院」(同)、「鳳書院」(同)、「聖教新聞社」、「公明新聞」、「連合設計社」(株式会社)、「創造社」(同)、「富士白蓮社」(同)、「東洋物産」(同)、「扶桑警備保障」(同)等々がある。学校、出版、建設、葬儀社、警備会社……多岐にわたる。
 ところで、これら企業の社長が池田大作を中心に集まる会に「社長会」(現在は「金剛会」?)というのがある。この「社長会」の記録をみると、至るところで池田が気炎をあげている。内部的な集まりだから、気炎はホンネだ。(『社長会全記録』「継命」編集部より)
     創価学会系団体及び企業一覧(…省略)
     ------(P116)----------
① 「火災保険、健康保険等もやる。石油、石炭、この辺までやれば大丈夫だ。共産党は療養所を利用している。庶民と連携をもっているのが大専だ」
② 「今迄、謗法の作ったものを使っているのは、おかしい。もう十分儲けさせてやったよ。もういいよ。こちらで使う物は和合僧の集団が潤う様にしてゆこう。一連50円の儲けとしても、10年間に1,000万本としても5億だ。年間5,000万円だ、大きいよ」
③ 「熱海の土肥を大学研修所にしょう。4,000坪で四億円。全部で2万2千坪ある。山の上は買った方が良いので、六億円位かかる。私は秀吉だ、スケールが大きいんだよ。そこに金剛会で行こう。社長会のメンバーで無尽で別荘を作ろう。離ればなれに作ろう。霧島1,000千坪位は端坪だからあげるが、あれは遠いからここ(注・箱根)に別荘を作って3~4日泊りに行こう。政教分離だから構わない。見つめていればいい立場だからな」
④ 「民族が生きて行くのは大変だ。それは経済だ。いかにして勝つかだ。会の様に(注・学会のことか)綺麗事は云っていられないよ。満州の塩、撫順の炭鉱、中国の鉄、南洋の石油を絶対に押えよ、そうすれば5,000年位日本は大丈夫だ。アメリカや何かにお世話にならないで対抗出来るとおっしゃった。(注・戸田の言)まるで侵略だ。私はそれに対応して、豪州に移民せよといった。だんだんそうなった。中共貿易もどんどんやらねばならぬ」
⑤ 「今日は皆で歩こう(注・ホテル大倉での社長会のあと、階下のアーケードを歩いたとき、骨董屋の前で)。大分いい物がある。安い。水晶のかたまり500,000万、名古屋にあったあれは100万以上した。僕も気前がいいな(学会本部)」

  目につくまま、ピックアップしたが、いかにも支配者然とした表情がみえる。珠数を作ってるソロバン勘定、簡単に億単位の儲けを口にしているが、マーケットは、幸福の約束を信じる会員たちだ(②)。戸田の言葉を引用しながら「まるで侵略だな」といいつつ、「私はそれに対応して、豪州に移民せよといった」と、自慢する(④)。「霧島の1,000千坪くらいは端坪だからあげる」という時、御供養に励む信者、会員のことは脳裡にあるのか。倨傲とはこのこと、力ネまみれの成り上りである(③)。

◆ 宗教法人をかたる営利集団
 同じように、カネ、カネ……というにしても、初代・牧口がいった時は、まだしても救いがあった。「四六版(単行本出版)は儲かるよ」と、牧口常三郎は戸田に教える。創価教育学会を維持していくためにはカネが必要だ、四六版で稼げ、というわけだ。そういって教えた牧口を、後に戸田は、「牧口先生はカネ儲けはゼロだ。おれがやらなきゃ、どうにもならなかった」といっている。
 カネ儲けは、創価教育学会のため、手段であった。また、カネ儲けのスケールにしても、牧口の教えたところのものは、なんともまあ、素朴なもの。創価教育学会の“牧歌”的時代だ。
 牧口にカネ儲けを教えられた戸田城聖が戦後になって口にしたことは、「宗教は儲かるぞ、税金がかからん」というのである。もっとも、その前に、戸田は東京建設信用組合事件でコケている。「東京建設信用組合」は、創価学会員対象に預金を勧誘していた。戸田が事件にひっかかったのは、信用組合の不正融資、背任の疑いである。この事件で、戸田は学会の理事長を退いた。戸田以外の理事も辞職し、矢島周平が戸田に代わった。他に、小泉隆、柏原ヤス、原島茂らが理事として登場する。無キズの人間で学会の組織を守らなければならなかった。一説には、矢島周平は理事長の椅子をカネで買ったことになっている。矢島は、後に理事からも追われ、僧侶になったが、晩年、失意のうちに世を去った。
 戸田は学会理事長を辞任すると、一時、戸田城聖から戸田城正と改めたが、二十六年五月、学会に復帰した。「戸田先生は法難にあわれた。戸田先生をつまずかせた罪は、他の旧理事にある」と、戸田復帰運動が起こり、その波に乗ったのである。戸田の復帰反対派もあり、大石寺法主に手を回したものもあったが、結局、復帰運動は実を結んだ。
 戸田は、理事長ではなく会長として返り咲く。当時、創価学会に会長職はなかった。理事長でなく会長に就任した戸田は、「会長に就任しないでやってきたから、バチが当たった」といってのけ、今度は折伏大行進を号令した。信用組合事件を“法難”と称したが、今度は「バチが当たった」という。こうした詭弁は、一種の変節というより、でまかせの強弁の類いで、その点、戸田は徹底していた。
 法華経の教えにもとる生き方をすると、てきめんに罰が当たるという。しかし戸田は、会長を空席にしていたからバチが当たったと、こうである。同じパチが当たるにしても、弟子どもやヒラの会員とは意味が違うのだ。
 戸田は、牧口会長にカネ儲けを教えられたが、牧口のことを「カネ儲けは全くダメだった」と評する。その戸田を、三代目会長になった池田は、「失敗の多かった戸田をカバーしたのは自分だ」といっている(内部的会合の席で)。なにやら、面白い図式ができそうだ。牧口初代がドン・キホーテなら、戸田がサンチヨ・パンサ。二代目戸田は、池田からすればドン・キホーテで、サンチヨ・パンサは池田の役だ。三代目池田には、ドン・キホーテという自覚はない。もはや、サンチヨ・パンサを必要としない全能者、絶対者のつもりなのだ。戸田は小さな儲けを大事にした男で、池田は、戸田先生だったら、いいところ、会館の十軒ぐらい、それも木造平屋の一千万くらいのものだろう」と、軽く片づける。戸田ドン・キホーテの下で育った池田は、牧口初代の理想主義、戸田二代の空想主義を即物主義の野望にふくれあがらせた。
 広宣疣布のためなら木っ端を札束にしてみせるという戸田流が、空想ではなく、今の創価学会ではありのままの姿勢ということになる。
 
 私は宗教家ではないし、専門の宗教研究者でもない。しかし、「宗教とは何か」という点については絶えず考えており、宗教と社会の関係、宗教が及ぼす政治的、社会的影響、その功罪については、一個の人間として勉強もし、考えてもいる一人である。
 日蓮正宗信徒団体として、創価学会がたとえ八百万世帯、一千万世帯にふくれあがろうと、信教の自由の下では、目の力タキとすべきものじやない。批判は大いに行なわれるべきだが、とかくの権力による干渉や政治圧力が加えられてはなるまい。しかし、今や創価学会は肥大化した組織をもて余し、本来の宗教活動から全く逸脱している。南無妙法蓮華経を「幸福製造機」として売りつける無限連鎖商法の破綻を免れるためには、宗教活動では間に合わない。まさに、量から質への転換が起こっているのだ。
 宗教法人の名を藉り、カネの力を過信し、組織の大衆動員力を背景に無軌道なままに突進している。その危険なファッショ的体質はいよいよ露骨であり、既にみてきた創価学会の“犯罪行為”も、その顕証に他ならない。大石寺との争い、宗門内での争いなど、いってみればコップの中の嵐なのだが、これに公明党が一種の〝僧兵〟として動く政治的波動は、もはや看過すベからざる段階にきた。権力による強者の外的誇示のためには、今や宗教者本来の謙虚さなど、ミジンもなくなっている。これを宗教として聖域視する必要があるのか。織田信長なら、こういう胸クソの悪い連中をどう処理したろう……そんな連想すら頭をよぎる。
       ---------(120P)-------つづく--

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