創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・公明党をブッた斬る-12

2018-01-11 09:18:07 | Weblog

創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉 ¥1,000
    ------(P77)---(以下、本文)-------

4 創価学会的メンタリティを病理診断する
 最初は少数派被害者意識・怨念のとりこ
◆ 「大石寺はどうなってもいい」
 話を戦時下に戻す。戦局悪化の昭和十八年、政府は宗教団体法により各宗各派の統合を図り、宗教の戦争遂行協力体制をとらせることになった。神道はじめ、仏教、キリスト教、その他、大勢に順応していった。
 この時、牧口の創価学会は、あくまで統合に反対した。日蓮宗の統合とは、身延への統合である。「邪教の本山へ統合など論外だ」と牧口は激しく本山・大石寺の動きを非難した。大石寺の布教監・小笠原慈雲いうのが身延合同の急先鋒だったが、牧口の創価教育学会の若い会員たちは大石寺登山を行なうと、小笠原慈雲の体を担ぎだし、たんぼの中に叩き込んだという。
 昭和十七年版「国民年鑑」で日蓮正宗と日蓮宗の比校をみると──
          (寺院数)      (僧侶数)          (植信徒数)
 日蓮正宗        七五      二一一          八七〇四一
 日蓮宗       四三七七   一四九五六       二七五九七二二
 法華宗        五八〇    一〇三四        五九八七二二
となっている。日蓮正宗は、異端の小宗派である。その中で、創価教育学会は会員数二千とも三千ともいったが、これまた少数派にすぎない。その少数派の創価教育学会は、牧口の指導で本山に“殴り込み”をかけるほど、まさに「強盛」な信徒団体だったのだ。
 十八年に大石寺は僧俗護法会議を開き、“邪宗”の本拠・身延へは絶対合同しないと決定、単独で宗制の認可をとった。同じ頃、“神札問題”が起こった。政府が、学校、職場、隣組を通じ、国民が伊勢神宮の神札(大麻)を拝むよう指導すると、牧口の創価教育学会はこれを拒んだ。会員たちは、「神札などというが、刑務所で囚人がつくったものだ。刑務所で印刷したものに、なんで御利益があるか」と笑い、わざわざ、お礼を焼き捨ててみせた。
 大石寺の御本尊には「南無妙法蓮華経」の下に「天照皇大神」と小さく書かれてある。日蓮正宗は日本の天皇も正宗に帰依する時がくるというものであるから、本尊の他は拝むことはできない、ということだ。
 戦局悪化の中で、会員たちは「日本人が邪教を信じたがため、国が滅亡の危機に立たされた」と教えられた。「国難を救うものは、日蓮正宗の教えだけ」という悲壮感は、牧口から会員たちの中で増幅していったのである。国民生活の窮乏化が進むにつれ、国民の不平不満のハケ口が、牧口の弟子たち会員の場合、神札問題を契機に爆発したわけだ。

 本山では牧口を呼び、時局に鑑み神札拒否を撤回することを勧告したが、牧口はこれをハネつけた。本山としては、時局下の保身上からも、牧口を放置できなかったのである。大石寺との神札問題が物別れに終わった帰途、牧口は同行の戸田城聖にいったそうだ。「いまこそ日本を救い、民衆を救うため国家諫詫(政府をいさめて邪教を禁じ、正法が流布するよう訴える)のときなのに、本山はなにを恐れているのだ。もはや、本山が、たとえどうなろうと、それは構わない」
 正法を立てることが第一で、日蓮の教えでは正法がすたれ邪法のはびこる日本はこのままでは罰が当たる--強盛な正宗信者・牧口常三郎の信念は、この時期、まさしく狂信的なまで奔騰していたのである。大石寺がどうなろうと構わぬという確信は、元来は日蓮の元寇に際しての姿勢に通じるものだが、二代・戸田城聖から三代・池田大作へと引き継がれていく間に甚だしく変化し、殊に、戸田城聖死後は俗物的独善性をいたずらに深めることになっただけだと、私はみている。
 神札問題から間もなく、創価教育学会は弾圧を受ける。発端は、東京・東中野のクリーニング業・陣野某、有村某(創価教育学会理事)の二人が流言蜚語で検挙されたことである。近所に子供を病死させた家があり、そこへ折伏にでかけた両人が、「子供が死んだのはバチがでたのだ。今の日本は、正しい宗教に入り大善生活をしなければ、まだまだバチがでる」と説いた。
 悲しみのさなか、バチだと極言されたから、親が怒って警察に訴えでたため、陣野、有村の逮捕となった。両人の折伏の言葉に戦局についての批判があった、という理由だ。
 続いて、伊豆に講習会旅行中の牧口、戸田城聖、さらにその他幹部が検挙されることになった。
 戦前の創価教育学会は、十八年のこの検挙で、殆ど壊滅的打撃を受けた。検挙された者め大半が転宗をした。残った三人、牧口は獄死、戸田域聖、矢島周平は敗戦直前まで獄にいた。矢島周平は戦後、戸田に代わり、一時、理事長になったことがある。
 獄中で一人息子の戦死を知り、牧口常三郎は家族に手紙を書いている。
「ビックリシタヨ。ガッカリモシタヨ……貞子ヨ、オ前ガシッカリシテ居テクレルノデ誠ニタノモシイヨ……私モ元気デス。カントノ哲学ヲ精読シテ居ル。百年前オヨビ其ノ後ノ学者共ガ、望ンデ手ヲ着ケナイ、『価値論』ヲ私ガ著ハシ、而カモ上ハ法華経ノ信仰ニ結ビツケ、下、数千人ニ実証シタノヲ見テ自分ナガラ驚イテ居ル。コレ故、三障四魔ガ紛起スルノハ当然デ、経文ノ通リデス……」
 ビックリシタヨ、ガッカリシタヨと息子の戦死を嘆く父親は、なお獄中から信仰を書き送っている。「……『価値論』ヲ私ガ著ハシ、而カモ上ハ法華経ノ信仰ニ結ビツケ、下、数千人ニ実証シタノヲ見テ自分ナガラ驚イチ居ル」云々の文面には、日蓮正宗信徒というより、価値論についての彼なりの自信が溢れている。
 この手紙は十九年十月十三日付。その一か月後、牧口は老衰と栄養失調で獄死する。

戸田イズムと池田イズムの落差
 『人間革命』という本がある。池田大作著(篠原善太郎という人物の代作説があるが)の『人間革命』ではなく、こちらは妙悟空(戸田城聖のペンネーム)著『人間革命』である。むろん、戦前のものだ。半ば、戸田の自伝風である。
 その『人間革命』の中で、與味ある部分がある。戸田は、あとがきに「小説で表現した、生きた折伏教典である」といっている。それだけに、宣伝臭が強く、小説で表現したというだけに、フィクション部分も多いはずである。しかし、次に掲げる部分は、ほぼ、事実とみてよい。後の、戸田城聖の行動とも整合する。
 小説『人間革命』の中で、牧田城三郎(牧口常三郞)から、主人公の巌九十翁(ガンクツオウと読む。この主人公は戸田城聖の位置にある。厳九十翁は、いうまでもなく巌窟王をもじったものだ)が、大衆小説の出版について示唆を与えられる。大衆小説の出版は儲かると教えられた、なかなかに面白いくだりだ。

「『はじめに先生が、四六版は財産になるよ、大衆小説の時代がきっとくると仰言った時、実は、わたくし、よく嚥みこめなかったんです……ところが、支那事変が処理されないで次第に国民生活に行詰りが見えはじめ、娯楽が少くなるから、大衆小説の時代がくると仰言ったことが形になって現われてきました。先生、この調子では、巖は大金持になるかもしれません』
 巖さんが小火鉢のふちへ手を置いてそういうと、牧田城三郎は真面目に睨むように巌さんを見て力強くいつた。
 『巌君、大いに儲けたまえ。そして、その財力で価値を発見し、価値を創造するがよい。獲得した価値を遠慮なく生活の上に実現して、真の幸福を掴みたまえ』」
 牧田城三郎(牧口常三郎)が巌九十翁(戸田城聖)に、大衆小説出版でカネ儲けを教える。
 大いに儲け、財力で価値を発見し、価値を創造せよ、その価値を遠慮なく生活の上に実現して真の幸福を掴め、という言葉の中の「価値」をカネと置き換えてみると、まことに単純明快、わかりやすい現世の人生哲学ではないか。
 戸田城聖は、「大道書房」の名で、子母沢寛、長谷川伸、江戸川乱歩などの作品を出版し、利益をあげた。やがて、出版から金融、食品製造業に手をのばすが、戦時下、統制経済の中で、情勢は厳しい。
「……嶮しい波がひたひたと、身辺へ寄せてくる感じだ。誰かの眼に狙われているような昨日からの気持は薄らいではいなかった。(九州の炭鉱と大阪の油脂工場を手に入れようとしている矢先に……)
 牧田先生の指導ではじめた出版を基礎にして縦横に活躍して築きあげた財力、その力をもって事業の大道を堂々闊歩していこうとしている自分を阻むものは、なにか……」
 創価教育学会が弾圧される直前の、巌九十翁(戸田)が悩む部分である。牧口の右腕にされた戸田だが、この時期は、信仰より事業、カネ儲けで牧口のために働いたのだ。信仰のことは、戦後になる。ともかく、戦時中に戸田は、三百万とも五百万ともいうカネを掴んだという。まさに、牧口のいう価値の創造である。牧口創価哲学を実践した戸田イズムだ。妙悟空著『人間革命』は、その戸田イズムで貫かれる。価値の創造はカネの力。幸福とは価値の創造である。この単純明快な哲学は、敗戦後の焼跡で、大衆へのダイレクトな吸引力を発揮する。貧しく、飢え、病み、希望を失った底辺大衆には南無妙法蓮華経のお題目が、そのまま価値創造、つまり、ほしくてたまらないカネ、そして幸福につながると教えたのだ。

 ところで、もう一つの『人間革命』だが、これは戸田の『人間革命』の戦後版を意図したというより、池田・創価学会史である。今の学会においては、創価学会正史の扱いだ。戸田『人間革命』は生きた折伏教典を狙ったというが、池田『人間革命』は戸田城聖の弟子・池田大作を中心にした、いわば池田・創価学会のサクセス・ストーリーだ。こちらも小説と銘打っているから、フィクション部分は当然としても、主人公の美化、絶対化はいささか滑稽にすぎる。
 もし、これが池田大作の筆になるとしたら、類い稀なるナルシストというほかない。
 池田の会長辞任と時を同じくして副会長をやめさせられた福島源次郎などは、池田『人間革命』を現代における「御書」であるともちあげている。本仏論者らしい言葉である。さて、その池田“本仏”は小説では、山木伸一なる二枚目ふうの名で登場する。改名前の池田太作、改名後の池田大作と比べると、いかにも二枚目イメージだ。
 主人公・山本伸一が創価学会入信当時、座談会の席上、「我れ地より湧き出で……」と詩を作ったことになっている。創価学会元教学部長で、学会を離脱した原島嵩は、これを否定する。
 山本伸一(池田)が「我れ地より湧き出」の詩をつくったくだりは、学会幹部をして池田が入信前、「地湧の菩薩」を知っており、「池田先生は、日蓮大聖人の生まれ変わりなのです……」と会員指導の教材にしているのだ。
 ところが、原島嵩はこういつている。
「小説『人間革命』の代作者である篠原善太郎氏(東西哲学書院取締役、創価学会参事)から、『この“我れ地より湧き出”の詩は、池田氏が、後に作ったものである。しかし、これを入信の場面と結びつけたのだ』と聞いている」(「池田大作の欲望と支配」『文藝春秋』五十七年一月号)
 ここまでくると、山本伸一(池田)は、まるで、お釈迦様が生まれた時、天上天下唯我独尊といったほど伝説的で、現代の小説としては、まさに噴飯ものだ。戸田『人間革命』で、カネ儲け即価値の創造、価値を生かして真の幸福を掴めと励まされ頑張った巌九十翁と、お釈迦様みたいに自分を美化したがる山本伸一(池田)の『人間革命』に、戸田イズムと池田イズムの大きな落差がみえる。
 それは、なにも戸田城聖の人間臭と池田大作の傲慢さの違いを示すものではない。異端の少数派だった、かっての創価教育学会、焼け跡の創価学会と、肥大化した創価学会イズムの落差をそのまま象徴しているのである。
       ---------(86P)-------つづく--

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