創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

新・創価学会を斬る-14

2017-10-28 08:40:18 | Weblog

新・創価学会を斬る 藤原弘達 (昭和56/12 ¥500- 日新報道)

        ----(P89)---(以下、本文)---
⑯ 会員欺しの詐欺行脚
 昭和四十年十二月八日、千葉県市川市のキャバレー・ホステス田路節子(33)は総額千七百三十四万七千五百円の詐欺、窃盗で神戸地検へ送検された。田路は学会の地区担と教学部講師であった。
 田路は大島つむぎをタネに、月二割の配当を出すということで信者仲間三十八人から金を集め、遂には夜逃げをし、東京に来たのであった。
 田路はさらに東京に来てもバーのホステス相手に「安いクリーニング屋を知っている」と偽わり、洋服を預っては入質していたのである。

⑰ 欺した金で女子部員と豪遊
 四十年十月二十八日には、富山で同じく学会員仲間から一千六万円をだましとつた学会員詐欺漢が富山県高岡署に捕まった。
 男は元三井生命高岡支部出張所長森田義雄(50)で私文書偽造、同行使詐欺、有価証券偽造、同行使詐欺、偽証横領、保険募集取り諦りに関する法律違反などの罪名である。森田はこれらだましとった金で、高岡市末広町のバー、料理店など、毎晩ニ万円の豪遊を重ね、さらに学会員仲間にバーのホステスが多いことから、彼女らをつれて宇奈月温泉や、姫川温泉を泊り歩いていた。

⑱ ニセ弁護士で念書偽造
 梶原富作夫妻(山梨県富士吉田市上吉田二二七三)は突然の強制立退租置を法務官から示達され、この世のなかが真暗闇になるように感じた。ときに昭和四十五年六月のことである。
 梶原さんは渡辺ようという近所に住んでいる人から「息子が大学を卒業するまで、土地と家を貸す」という口約束で、現住所を借り受け、個人営業の土建業や乳牛飼いで生計をたてていた。家賃や地代を一度も延滞納したこともないし、まだ渡辺さんの息子が大学を卒業するまで二年もあるので、すっかり安心していたわけである。
 もろちん、強制執行のお触れはあった。かなり前に花園企業という横浜の会社会長から催告書が届いていた。内容は、実際の家屋、土地の所有主は自分であり、あなたとは賃貸契約を結んでないので、即刻、明け渡してもらいたいというものであった。もろちん梶原さんはすぐに渡辺さんのところへ、事の次第の説明を求めに行った。ところが渡辺さんは「すべては私が取り仕切っているのだから心配ない、そんなものはすっぽらかしておけばよい」という返事なので、梶原さんは安心していた。
 ところが結局は、相手側が四人の弁護士をつけ本裁判にもち込み、山梨地裁で梶原さんは敗訴した。この裁判で渡辺さんが原告側に有利な証言をしたことはいうまでもない。梶原さんは東京高裁にまで控訴にでたが、ここでも敗訴になり、昭和四十七年三月二十四日に精神的、経済的損失を受けて立退かざるをえなくなったのである。

 裁判で敗訴になった大きな原因が梶原さんが昭和四十四年十月十八日に書いた“誓約念書”(後記)にあったことは論をまたない。
その日、梶原さんは創価学会堀内清太郎を初めとする二十数人の全く知らぬ人間たちに囲まれていたのだった。この連中は口々に梶原さんをなじり、貸してもない土地、家屋を勝手に不法占拠しているのだから、直ちにその非を認め、立退くよう念書を作り印を押せと迫った。このとき、何処から持ってきたのか、警察の車らしきものを庭先に置いたり、弁護士と称する人間もそのなかにいた。しかしこれはその後になって二セ弁護士であることがわかった。
 いずれにせよ、さまざまな精神的脅迫を加え、無理矢理に念書を書かせ、拇印を押させたのである。文面もあらかじめ用意されてあった通りに書き写しさせられた。

  誓約念書
 富士吉田市上吉田字堰林弐弐七参番地に居住しておりますが、該地は私が居住する権利のない事を認めました。
 付きましては今後所有者に対して御迷惑は掛けません。尚家族の立ち退きは昭和四拾四年拾壱月末日にする事とし念書差入れて誓約致します。
 但し現在居住しておる既設建物は私方に無償提供して下さる事を了承しました。
  昭和四拾四年拾月拾八日
                          梶原富作
                      立会人 堀内清太郎
                                   (原文のまま)

 その後、裁判が進行すると、創価学会のメンバーが、あらゆるところにデマを流し、梶原さんの味方になるような人たちに妨害を加え、梶原さんの借地を、期限前に勝手に処分したりした事実が明白になったが、いずれも裁判という公的な面には出てこない陰湿な方法をとっていたので、どうにもならず、全く卑怯きわまる行動であった。

⑲ 学会墓地は必要ない?
 昭和四十七年三月三日のヒナ祭りの夜、午後六時半頃、日蓮正宗高尾墓園の墓石をメチャメチャにひっくり返している男がいた。墓園の近くの会社員の通報により八王子署員がかけつけたときは、すでに三百八十基の墓石が倒されており、場所は墓園の西側部分に属するところであり、卒塔婆や花立てなども引き抜かれて散乱していた。ここは多摩丘陵のすぐ北側で、約一万平方メートルの墓地内に創価学会員の墓、約五千基があるところ。
 犯人は元大阪市職員松木保(21)で、松木は先月末ぶらりと家を出たままということだった。
 松木は「太陽がゴウゴウと鳴り大地がゆれ動き、そのとき、墓石に手を掛けたら軽く倒れていった」と一般の人が聞いたら、どうにも見当のつきかねることを口走っていたが、これは、学会員が強度のノイローゼになったときの発言態度、内容に酷似している。松木は現在、精神病院へ拘禁されている。
 墓園は国分寺市にある同宗の寺院が管理、近くにも管理事務所があった。
 同墓園は四十五年一月にも初代会長牧ロ常三郎、二代会長戸田城聖らの墓を含む約七十基が倒されたが、犯人はまだ見つかっていない。

   ---------(94P)-------つづく--

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