新・創価学会を斬る 藤原弘達 (昭和56/12 ¥500- 日新報道)
------(P23)---(以下、本文)-------
◆ 女に狂う学会員の夫
実質的に退転した彼女の目標は、商売一筋であった。学会活動を千仞の谷に葬り去ったいま、馬車馬の如く、寝食を忘れて働き出したのである。妹もようやく晴やかな顔を取り戻し、一緒になって精を出した。台風一過の心境である。あまり姉が働き過ぎるので、ときたま妹は心配
し、「姉さん、身体をこわすといけんよ!。」
というのだが、彼女は、
「なあに、あのとき、私は死んでいるんだから心配せんでもいいのよ。」
と笑顔で答える日常だった。
夫は学会活動のついでに店を手伝った。学会のことを除けば、おとなしく、おっとりしているし、酒も飲まないので、彼女には文句がないというより、むしろそんな性格が好きだったのだ。ただ夫婦の対話はなかった。学会でいう“広宣流布”の使命にあたるのが自分だという信念が夫にあるので、どんな話題をとり上げてみても夫婦の話の辻つまが合わないのである。だから何かの調子に、話がもつれると、夫は突然人が変わったようになり、何んとしても妻を従わせようとして手をふり上げた。妻はこんなとき、すぐにあやまる戦法をとった。事の理非はもう別にして、無駄ないさかいを避けるための方便であった。
やがて、「家の中は敵だらけだ。」 と夫が言い始めるようになり、暇をみては他所に行き昼寝をするようになった。女のカンと
して何かが起きているかもしれないと思っても、仕事に追われて詮索する余裕がない。ただそういう関係のところから金の請求が来るので、ははあ、またかと思うぐらいが関の山だったという。
ただ昨年(四十六年)十月にこんなことが起こつた。当時、店で雇っていた従業員の一人に彼女の従姉妹すじに当たる既婚の女性がいた。自分とは親戚関係にあるのだからと安心していたところ、どうも夫との間柄が、単なる主人と従業員のものではなくなってきていた。夫に対するシグサが仕事以上のものなのである。妻としてのカンでは、夫の身の回りの世話をしているなということだった。事実、その頃、夫は家でほとんど食事をせず、全部よそで食事をするようになっていた。この女にはそれなりの計算があり、夫を誘い込めば、金にもなる、いわゆる色と欲との両天秤だったのであろう。
ある日、彼女はその女の家の近くを商用で通った。ちょっと寄り道してその女の主人に会ってきいてみた。
「おかしな関係になって、別れるの何んのといっても知らないよ。私は別れてもいいんだからお金なんか一銭も払わないよ。」
と釘をさしても、その主人はただニヤニヤ笑ってすべてを知っているようだった。そのときこの二人が、普通の関係ではなくなっていることを確実に知った妻は、即座にその女を店から辞めさせた。
だが女の執念は恐しい。十万円くれなければ完全に別れないといって、配達に出る夫を待ち伏せてはつきまとった。いつ、どこそこで二人が歩いているのを見たとか何んとかいう噂が相も変わらず耳に入ってくる日がつづいた。
その一件以来、夫婦としての感情は全くなくなり、夜の営みも途絶えた。彼女は退転以来わが身を責めるように仕事に打ち込んでいたので、二十台という若さでありながら、寝床に臥すとき、肉体はもう綿のごとく疲れ果てていた。
その後、女があまりにしっこく夫を追い回すので、遂に夫が逃げだすようになり、妙な追っかけゴッコの状態がつづけられていたが、いつしか女の姿は町から見えなくなってしまった。
◆ 金を盗む好色女子部員
数日後、夫が十九歳の女の子を連れてきて使ってみょうと言い出した。どうせ学会員に決まっているが、身元がはっきりわかっているし、いくらなんでも信心をしているのだから金銭面は大丈夫だと思い、彼女を雇うことにした。なにしろ日銭商売なので、金銭にルーズなのは絶対に困るのである。
ところがこの子が毎日、毎日の売上げから少しずつごまかしていたときは、そうも気づかなかったが、だんだん慣れるにつれ、まとまった金額をくすねるようになったのである。
早速、この子を呼んで聞いてみると、
「だんなさんが知つてます。」
と言う。またかと、その子の顔を見ながら同性として恥しさを顔から隠すことはできなかった。夫とこの子はもう何回も寝ていたのである。いつ、何処でそういう行為をしていたのか、まるで彼女には思い当たるふしがなかった。しかしこうはっきり言うのだから間違いはない。
黙りこくった彼女の前からその子は勝者のような態度で、部屋から出て行った。その後姿には女として何んとまあだらしない奥さんだろう、女は魅力がなければダメなんだと暗示しているようだった。
遅い夕食のあと、夫におだやかな調子で、彼女は昼間あったことを話した。
「本能だからな。」
と夫は少し照れながら、新聞から目を離さずに答えた。
「でも人間が本能のまま動くんなら犬猫とちっとも変わらないでしょう。人間には理性があるんではありませんか。」
彼女は騒ぐ心を抑えて静かに反ばくしたのである。夫はようやくこちらに向き返り、「信者は夫婦より一心同体なんだ。一心同体なものが関係を結んで何がおかしい。変なヤキモチをやくな。」
と開きなおった。
そうか、そうだったのか、と彼女もようやく気づいた。この論法があるからこそ学会員同士は夫でも妻でも男女関係を平気でむすぶんだ。世間の人が何んといおうとまるで気にしない原因はここにあったのだ。創価学会の麻薬はこれだったのだ。お産のときにひどい目に会ったときは、お産という異常な状態だから仕方がないと張り裂ける胸を押さえて我慢した。だがその後もいろいろとあった。
いったん麻薬の虜になるともう一生治らないといわれるが夫は麻薬患者なのだ、これで夫と学会の関係がはっきりした。
こう悟った彼女はある决心をした。どんなことがあっても、自分は決して先に死なない。どうしても自分が先に死ぬようだったら夫を連れてゆかねばならない。残った人たちにどんな迷惑を掛けるかわからない。自分は雑草のような性質だし、並大抵以上の苦労をしてきたのだからそう簡単に負けない。
しかし他の人たちではダメだ。必ず泣き寝入りになってしまう。世間では心中などとはやしたてるかもしれない。そんなことはかまわない、と悲壮な決意までした。
---------(27P)-------つづく--