創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

新・創価学会を斬る-6

2017-10-20 07:48:15 | Weblog

新・創価学会を斬る 藤原弘達 (昭和56/12 ¥500- 日新報道)

                                  ------(P34)---(以下、本文)-------
生死の境から夫への憎悪
 「山田太郎さんの公演会の切符ですが、買って下さい。」
 「商売が忙しくて、とても行かれませんからいりません。」
 「でも学会の命令なんですから、買って下さい」
 「私には関係ありません。」
 「あんたの旦那さんはかわいそうだね。あんたみたいな奥さんをもって。」
 数日後、この学会員とその仲間が、彼女の店の悪口を町中にいいふらしていると聞かされた。
 「あんな店で物を買うと罰が当たる」というのであった。彼女は黙殺した。身を粉にして働く姿と店の繁昌ぶりをねたんで、町のある人たちは彼女を“金の亡者”と呼んでいたから、いまさら何を言われても痛くもかゆくもなかったからである。
 夜中にふと目を醒した彼女は自分の身体の異状さに気づいた。全身が火のように熱いのである。意識がはっきりするにつれ、頭が割れるように痛いのと、自分の足が何処にあるのかすらはっきりわからなかった。そのうちに呼吸がだんだん乱れ、息苦しくなってきた。起き上がれないし、声もうわずって出ない。朝までそんな状態がくり返えされた。
 目覚めた夫は、そんな彼女を見て、
「とうとう、バチが当たったな。」
 といったきり店のほうへでて行ってしまった。あいにくその日は待別な注文が入っていたのだった。こういう夫の態度はいつものことなのである。決して介抱などということはしない。彼女が入信していた頃は、一緒に拝めといって仏壇へ連れて行くのが関の山だったが、いまでは全く知らぬ顔の半兵衛である。
 しばらくして夫が戻ってきた。
「忙しくて間に合わぬ。早く手伝え。」
「苦しくて、とても。」
 と、あえぎあえぎ彼女はいう。
 やにわに夫の手が彼女の髪の毛をむんずと?んだ。間髪を入れず寝床から引きずり出し、のけぞるように顔だけ仰向けにされた。突然の激しい動作で呼吸が一瞬止まる。同時に全身の力が一度にぬけ、くたっと崩れた。生気の消せた口元から糸を引くように赤い血が一筋あごから喉元を抜ける。もう完全に彼女の意識はない。
 頭髮をしっかり握りなおすと、夫はそのまま大股に歩き始めた。ずるずる、ずるずると上半身だけ無理に引き起こされた彼女の体を引きずって…。裾は乱れ、胸元は開かれ放題の失神状態にあった。しかし夫は一度も彼女を見ようともしなかった。死人を運んでいるのと同じだった。
 店の床の間までくると、どすんと投げ捨てるように手を放した。そして自分は後も見ずに店の仕事場ヘサンダルを突っかけて行った。
 しばらくの間、彼女は身動き一つしなかった。ドブ犬のように乱れた姿でうずくまつているだけだった。やがて冷ややかな床の感触を頬に感じ、わずかに意識を取り戻した。彼女にとっていま、自分が何をされたのか、はっきりはわからなかった。ただもうろうとした頭の中で、この人をこんなにさせるのは、あの憎い池田大作だ。人の弱みにつけこみ、馬鹿な人間を自分だけ都合のよいようにあやつる。人間の敵、一家の敵…。
 このときときのことを彼女は一生忘れられないといっている。もしあのとき、そばにビストルでもあったら、そして池田がいたら、夫を殺し池田を射ち殺したに違いないと殺意のあったことをはっきり明言している。
 この事件があって後、竹入が刺傷されたことをテレビで知り、赤飯でも炊こうかと考え、同時にビストルのことを再びはっきり想い出したとも話していた。

不幸は仕事で乗り切ろう
 この頃になってくると、町中でも学会員の家というのが誰にもはっきりわかるようになっていた。というのは、必ずといってよいほど、それらの家では喧嘩が絶えなかったからである。朝でも晩でも喧嘩をしていれば“ああまたやっている”と町の人たちから冷笑を浴びせられていた。
 彼女は少なくとも自分の家だけは、そんな目で見られたくない、特に商売をしているのだからなおさらのこと妙な評判がたっては困る。自分さえ耐え忍んでそれでことが済むならいっさいの犠牲になろう、と深く心に誓った。
 ではこのようなうっ憤を彼女はどうやって解消したのだろうか。すぺてを仕事に打ち込み、忘れよう忘れようと仕事に身を投じたのである。人は往々にして裏切るが、仕事は絶対に人を裏切らないという一種の真理なようなものを自然に体得したのもこの時期であったという。
 仕事だけでは、どうしても心の憂さが晴れないとき、夜遅くになって、いま思っていること、考えていることを文がまずかろうがなんでもかまわず書き綴る。誰に見せるためのものでもない。
 宛先のない手紙であるかもしれない。そして最後にはそれを破いて捨て去るのであった。

色仕掛に負ける学会パン屋
「奥さん、今日はパンをどれくらい置くかね。」
 学会員のパン屋が注文を聞きにきた。
 この男は先妻と別れ、再婚している。現在の妻は学会関係で知り合った女子部員である。夫がこの男に、彼女を再び入信させるよう話をしてほしいと内密に頼んでいることもチャンとわかっていた。そこで彼女の頭に夫への対抗心と、“少しばかりいたずらをしてやろう”という考えが浮かんだ。
「あらご苦労さん。」
 と言いながら男の近くに歩み寄り、男の目をじっと見つめた。男の目は初め何事かというような疑いの光を浮かばせていたが、やがていつもとは少し違うなという動きに変わった。
 彼女は静かに足を運び、ビタッと男の身体に身を寄せると、そっと手持ちぶさたにしている男の手を握ると、ささやくように声を落とした。
「パン少し多く置いていったら。」
 男の顔がゆるみ、にやっとした表情になった。
「わかってるよ。」
 男は黙って手を握りかえした。
 こんなことが何回もつづいた後で、彼女は夫にハッキリこういった。
「今日もパン屋のあの人が来たから、私が手を握ってやったら、二十個も多く置いていったんですよ。それだけ儲かったネ。やっばり同じ信心者でもこういうことを平気でするんだね。」
 夫は不機嫌な顔つきで黙ってたち上がった。
 それからしばらくして、パン屋はあちこちでたてられる町の噂に、耐えかねたかのように町から立ち去ってしまつた。

毎月書替える遺書
 夫が大石寺登山へ行った日、いちばん親しくしている叔父に来てもらった。
 「叔父さんこれを預っておいて下さい。」
 「なんだ遺言じゃあないか。どうしたんだ。ガンにでもなったのか。」
 いぶかしがる叔父に一部始終を話した。うすうす知っていた叔父は快よく承知してくれた。
 遺言の内容は、彼女が死んだら店は誰も後をつぐな。つげば必ず赤字になる。すぐに売り払うこと。土地は二人の子供と妹弟に、どこをどう割り当てるかを書き残す。その土地を処分して子供の教育費にあててもらいたいということである。
「お前も、苦労してここまでなったのだし、もう土台もできたことだから、少し自分の身体を考えてゆっくり暮らしたら…。」
 と叔父は忠告してくれた。
 しかし彼女は毅然として答えた。
「私は夫、いいえ学会と闘わねばならないのです。夫を正すことは、学会をなくすことだと気づいたのです。私の一生の間にできるかどうかわかりませんが、むこうが使命なら、こちらは宿命です。」
 遺書書をそのつど書き直すということが、彼女を精神面で非常に落着かせた。死に直面した、そして死をすでにのんでしまった者の一種の悟りのようなものができ上った。こうなると自分にほれてこそこそ学会活動をし、金をくすねて寄付をつづけている夫の行動が何かアワレに感じられ始めてきた。そしていままで学会のために悩んできた時間が、それが毎日の大半であったことが、とても惜しかったように思えてならなかった。何故あのとき、別のことを勉強しなかったのか。それ以上に学会のために自分の唯一つしかない人生まで変えようとしたことがまるでバカげたことのように思えた。あの頃の自分が、いま考えると、まるでどこか他人であったことのように思えるのであった。
 薄暗い馬小屋から、日本晴れの戸外へ出て、青空をのびのびと仰いだ心境とは、こんなものではないかとも感じたのである。

嘘つき学会サヨウナラ
 そうだ学会へ名前を書いてあったままになっている。あれを返してもらおう。学会員が何百万人いるかしらないが、その中の一人として籍だけでも残っているのは面白くない。
 早速、横手の寺へ彼女は出掛けた。用件をいうと、寺の人は怒ったように、「あんたは一生の幸せを断わるんですか、棒にふるんですか。」
 と言った。そこで彼女は風呂敷を取り出してこう答えた。
「じゃあその一生の幸福とやらをいただいていきます。この風呂敷いっばいに。どこにあるのですか。」
 いとも真面目な顔をして……。困ったように考え込んでいた寺の人は、
「一生の幸せを約束しておきながら、自分のほうから捨てることはないでしょうに-。」
 と答えた。
 寺からの帰り道、初めて、ここへ夫に連れられてやって来たときのことを想い浮かべて一人で笑いだしてしまった。
 あのとき、寺に近づいたところで、夫は彼女に釘をさすように言ったものだった。
「ほんとうの信心者でないと、お寺に入った途に、腹が痛くなって転げ回るんだからな。」
 彼女は寺で拝むときにためしにと思ってぺロリと舌を出してみたが、なんでもなかった。
 彼女はいままた新たな計画を思いついている。それは自分のできるかぎりの金を出してもよいから、池田大作の私生活のすべてを調べてもらい、日本中の週刊誌に発表しょうということだという。凄まじいばかりの反学会執念というほかあるまい。

 ともかく夫の庫之助は、妻からも診断されているように典型的な狂信者である。池田大作がこの悲痛な読物を読めば、むしろしてやったりとホクソ笑むのかもしれない。狂言一家に育て当然こういう人間が生まれてきても何んの不思議もないわけである。私はともかくこの女主人公の一連の告白のなかに強固な意志をもって、学会と心の闘いを始めた人間の原型をみる思いがした。表現は稚拙かもしれないが、真実がこもっている。多くの学会員が一日も早く彼女のように目覚めて退転し、晴天の青空の下に出て来てもらいたいと心から願う気持になったものだ。

 このほかこも、全国から毎日のように不幸に泣く人々の声が寄せられているが、この不幸を脱するか否かの鍵は、まず自らの意志で脱会し、どんなイヤガラセにも負けず、頑張り抜く決意を固めることである。それには、いわゆる“御本尊”をふくめて非学会員と積極的に交際することも一つの方法である。インチキ教義、インチキ講話の類はいっさい、ドブ川へでもどこへでもさっさと捨て去ってしまうことである。
       ---------(43P)-------つづく--

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