
大好きな瓜の味噌漬け。
私が帰るといっぱい食べてしまうので、熊本滞在期間中おばあちゃんがタッパーに補給してくれます。
これは新しい瓜を干しているところ。
出てきた水分は拭くのだって。
楽団のアンサンブル演奏会も無事に終わり
みんなで音を重ねる楽しさをふわわんと思い出し、休み明けからの練習復帰も見えてきたところで
熊本へ一時避難。(※避暑にはなりません。)
スケジュール帳の帰熊の文字を見るだけでホッとしていた大学五年生の夏休みも、あと二週間です。
よく眠り、よく食べ、よく吹き(、よく学び←フェルソン持ち歩くの重いから実は今度こそ読み終えたいと思うのももう何度目か…)ます。
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どんな場所に行ったとしても
そこで何が起きているのか、理解するように
と言われた。
それをふと思い出したのは、とてもアカデミックな病院でだった。
ただ忙しく立ち働いて「ああしたらこうなったなあ」で終わらせたくなるところを
(それで済ませようとすれば済んでしまうところを)
立ち止まってきちんと評価してくれる人がいたり、
それに追いつかないまでも自分もできる限り考えさせられたりする環境って
とても恵まれていると思うし、私はなるべくそういう所にいたい。
アンサンブルの演奏もいつもレベルの高い人たちとできてそれだけでもある程度のレベルの演奏になるけど、やっぱり先生たちが言う“ひとこと”で完成に思えていた仕上がりがもう一回り豊かなものになるのはなんでかなと思うと、やはり自分の役割の全体の中での位置付け等を理論的に教えてもらえるからだと思うの。そして、フルートにしても朗読にしても本番を経ると必ずステップアップした感覚があるのは、本番を聴きにきては正直な感想を述べてくれる人がいてくれるからだと思うの。
「こう演じるとなんかよく聞こえるなあ、こうしてって言われたけどあってるかなあ」の積み重ね
+
レッスンや本番で修正され納得して改善。
この流れが必要なんだ、私には。
その答え合わせと解説の部分に、面白味を感じるんだ、私はまだ自分で考え尽くすには未熟だから。
だから、尊敬できる科学者が、週に一回くらいはそばにいて欲しい気がする。
それに、私にとっては最初のほんの二年間だけど、相手にする患者さんにとっては人生の一大事だから。
演奏会も、暑い中お客さんが聴きにきてくれているのだから。
余計な葛藤はできれば感じたくないし、自分が鍛えられることと同じくらい、常に最高度のものを提供できていると思えたい。
まあ、つまり…
高慢に聞こえるかもしれないけど正直、指導してくれる立場の人が私より能力低かったらどうしようと思うとすごく不安!
本当にそれが不安なのです。