秋深し、となりはなにを……。
11月3日、文化の日。明治時代で言うならこの日は天長節、つまり明治天皇の誕生日である。
太平洋戦争以前は明治節と呼ばれ、戦後になって文化の日と呼ばれるようになった。
そぞろ吹く風がなんかしら冷たさを運んでくる頃になった、と思ったとたんに喪中はがき第1号が飛び込んだ。
喪中はがきの枚数が、このところ年々増えてくる。それだけ自分も歳をとっていることを証明しているのだろうか。
最近とんとご無沙汰で、それこそ年に1度の賀状交換だけの音信になってしまった旧い友人からの喪中はがき。
嫁いだ妹さんが65歳という若さで生涯を閉じたとのこと。少し早いお参りは気の毒に思う。
はがきをくれた彼も、肉親の妹さんを亡くして、色々心痛があったろうと想像する。
同じ喪中はがきでも、今回のように、喪に服するべき人が本人とどういう関係か、続き柄などが具体的に記されていると、実に有り難い。
「身内に不幸があったので賀状を欠礼する」とだけしか書いてない場合も少なくない。
そうなると、受け取った側は「誰が亡くなったのか、お香典やお見舞いは必要かどうか」などと心配のタネになる。
どうかすると改めて電話で「どなたが亡くなられたの?」などと尋ねることになりかねない。
そうすると、先方はせっかく忘れかけていた悲しみを改めて掘り起こすことになりはしないか、とまた気をもむ。
こうして、はっきり続き柄を記されていれば、「会うたときに笠を脱ぐ」。
つまり次にあったりした機会にお悔やみを述べればことがすむ。大いに親切な話である、と思うが如何だろうご同輩。
親切の本質というのはなかなかむつかしいものだな~。