「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「野球に相撲に」

2016年11月06日 | 家族・孫話

孫三男坊の悠雅君が通う小学校には、相撲連盟公認の土俵がしつらえてある。
その土俵で毎年1回、全校児童による相撲大会が開かれる。兄ちゃんもカー君もこの土俵を踏んで、小学校を卒業していった。
今度は二人の兄ちゃんに代わって、1年生になった悠雅君が土俵に上がる番である。

豊太閤官許天下御免「田浦(でんぼ)相撲大会」といういかめしい名前の付いた、伝統ある相撲大会。
地元の民俗芸能保存会相撲部会という、これまた仰々しい名前の付いた保存会が準備から運営を取り仕切る。
今年で415年くらいの伝統を誇り、今回が第436回目ということである。

例によって、学年ごと男女別に予選を行い、クラスの代表になった男女一人ずつが土俵に上がれる。
悠雅君は1年1組男子の代表となった。対戦の組み合わせがちょっとややこしいので説明をつけうわえると。
2年生はひとクラスしかないため、男女とも代表はクラスから2人ずつ出される。
土俵上の1回戦は、1年生悠雅君と2年生の一人が当たる。もう一人の1年生代表が2年生のもう一人の代表と当たる。
その勝者が優勝戦を戦う。つまり悠雅君は1回戦2回戦ともに、2年生と戦って両方とも勝ち抜いたことになる。
身体こそ決して大きくはないが、持ち前の瞬発力と粘り強さが奏功したのかな。

初めての土俵で、呼び出しに名前を呼ばれると緊張はピークに。クラス仲間の大声援に背中を押されて、いざ立ち合い。

   
 呼び出しの声に、やや緊張    1回戦、2年生の代表との立ち合い。右側、悠雅君   一瞬危うかったが残った
    
顔を真っ赤にしてがんばって    辛うじて勝ち名乗り。2回戦へ

途中で目を覆いたくなる場面を何とか持ちこたえて、1回戦勝ち名乗り。担任教師も仲間も拍手喝采。
次は優勝をかけてもう一人の2年生と当たる2回戦。低学年の部の優勝決定戦である。
  
背の高い相手に、立ち合いの差し手争い。左側、悠雅君。 最後の力を振り絞って押し出し。 優勝を決めて最敬礼。
 
低学年・中学年・高学年、男女優勝者勢ぞろい  優勝記念の梵天(御幣)を手に、笑顔満面の悠雅君

今からおよそ415年前、無謀にも豊臣秀吉が朝鮮征伐に打って出た歴史がある。
その時、朝鮮に向けて出発する兵士を激励するために、九州に向かう折、風待ちのため通津の浦に一時上陸した。
その間、兵士の士気を高めるため、各部署の力自慢に相撲をとらせた、その場所が田浦(でんぼ)という地名であったことから、現在も田浦相撲として継承されている。他にも神楽部会や奴道中部会などがある。

このような田舎の小学校には、田舎であるが故のいろんな歴史や伝統に直接触れる学びの場もある。
それにしても、昨日はソフトボール、今日は相撲大会。大忙しの悠雅君ではある。

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「新人戦」

2016年11月04日 | 家族・孫話

 
  ネキストバッターサークルで順番を待つ。        残念ショー! あえなく空振り三振!!

長く一緒に戦ってきたソフトボールチームから、間もなく6年生が巣立っていく。
そうなると、6年生以外の新人でチームを再編することになる。その新チームによる「新人戦大会」がおこなわれた。
悠雅君のチームは全部で12人しかいない。そのうち6年生が5人もいた。だから強かった。

ところがこのたびは、6年生が5人も抜けるとチーム編成にはならない。
1年生の悠雅君を入れても7人。なんとか最低2人は確保しなければならない。
そこは監督さんの肝煎りで、3人の新人を連れてきた。人数だけは合計10人にはなった。

初めてグラブに手を入れる子もいる。バッターボックスでは「こうやってピッチャーの方を向いて・・・」と指導がいる始末。
それでも、人数不足で棄権するよりはまし。なんとか人数を揃えて、いざ参戦。
早朝6時10分に集合し、試合会場へ移動。6時40分にはグラウンドのあちこちで自由練習が始まる。

9チームが勢ぞろい。それぞれ3試合を戦う。午前8時には開会式。間もなく試合開始。
悠雅君はもちろんセカンド、7番バッターで先発。今日ばかりは背番号も12番から4番に格上げ。
3試合トータルで8打席。2フォアボール。6打数1安打2三振、あとはフライを打ち上げた。
そんなにいつもかもうまくいくわけがない。6年生のいない分、余分な力が入ったような。

打撃はいかにも不満げであったが結果がすべて。さらに練習するしかない。
守備では見るべき場面が数回あった。少なくとも3度はスライディングキャッチのファインプレー。
ちっこい体を丸めて捕球、素早く1塁へ。アウト!!監督やコーチからハイタッチを求められご満悦。
ユニフォームの膝小僧はすぐに破れる。パットを当ててもすぐに次のパットがいるほどボロボロに。

かくして新人戦に名乗りは上げたものの、戦う体制までには今少し時間がかかりそう。
結果は3戦で1勝2敗。まあ一つ勝てただけでもオンの字。
寒い冬も、かじかむ手に息を吹きかけながら、キャッチボールは欠かせないのだろう。ア~~ア、思いやられる。

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「喪中はがき第1号」

2016年11月03日 | 季節の移ろい・出来事

                        
 秋深し、となりはなにを……。
11月3日、文化の日。明治時代で言うならこの日は天長節、つまり明治天皇の誕生日である。
太平洋戦争以前は明治節と呼ばれ、戦後になって文化の日と呼ばれるようになった。

そぞろ吹く風がなんかしら冷たさを運んでくる頃になった、と思ったとたんに喪中はがき第1号が飛び込んだ。
喪中はがきの枚数が、このところ年々増えてくる。それだけ自分も歳をとっていることを証明しているのだろうか。

最近とんとご無沙汰で、それこそ年に1度の賀状交換だけの音信になってしまった旧い友人からの喪中はがき。
嫁いだ妹さんが65歳という若さで生涯を閉じたとのこと。少し早いお参りは気の毒に思う。
はがきをくれた彼も、肉親の妹さんを亡くして、色々心痛があったろうと想像する。

同じ喪中はがきでも、今回のように、喪に服するべき人が本人とどういう関係か、続き柄などが具体的に記されていると、実に有り難い。
「身内に不幸があったので賀状を欠礼する」とだけしか書いてない場合も少なくない。
そうなると、受け取った側は「誰が亡くなったのか、お香典やお見舞いは必要かどうか」などと心配のタネになる。
どうかすると改めて電話で「どなたが亡くなられたの?」などと尋ねることになりかねない。

そうすると、先方はせっかく忘れかけていた悲しみを改めて掘り起こすことになりはしないか、とまた気をもむ。
こうして、はっきり続き柄を記されていれば、「会うたときに笠を脱ぐ」。
つまり次にあったりした機会にお悔やみを述べればことがすむ。大いに親切な話である、と思うが如何だろうご同輩。

親切の本質というのはなかなかむつかしいものだな~。

 

 

 

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