「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「リセット」

2016年01月11日 | 季節の移ろい・出来事

               
                     獅子舞の向こう、燃え上がるとんど焼き

消防の出初式、各地域のとんどまつり。
こういった年の初めの恒例行事が終われば、いよいよ身も心もリセットが求められる。

境界を接する隣の地区では、「幸運を呼ぶ福獅子舞」が、民俗芸能保存会によって受け継がれており、昔懐かしい獅子舞が新春をいろどる恒例行事となっている。今年も4頭の獅子が、午前中は二手に分かれて地区内をくまなく巡回し、家庭や個人の無病息災を祈る「頭噛み」をして回る。
午後からは、大きな団地公園や介護施設などで4頭が勢ぞろいして、勇壮な舞いを披露する。
そして最後は、小学校で行われる地区のとんど祭りに合流し、とんど焼と獅子舞のコラボレーションでクライマックスを迎える。

半分仕事、半分プライベートで、6歳の孫と訪れ、焼いたお餅やぜんざいの接待を頂いた。
このように、我が家に飾ったしめ縄やお飾りなどを、大きく燃え上がるとんどの炎に投げ込むと、完全に正月気分におさらばして、何かしら新たな気持ちと、少し頼りないながらも今年に賭けるファイトみたいなものが頭をもたげる。
こんな心持を「リセット」というのだろうか。

カレンダーの予定欄を見ても、10日を挟んで、それ以前は予定らしき書き込みは二つしかない。
今日11日からを見ると、何も予定のない日の方が遙かに少ない。大袈裟に言えば、予定欄が黒くなっている感じさえする。
もちろん、公私取り混ぜた行動予定ではあるが、あれこれ色々あるものだ。
いつまでもノンベンダラリとはしていられない。地域社会活動も本格的始動、先ずはその資料作りが待っている。

こうして考えるだけで、やはり元気でいないと何もできないことに気付かされる。
取り敢えずは向こう1年、今の健康を維持し、気力・体力を衰えさせないよう、自らにハッパをかけるしかない。
その一つが「食べ過ぎ注意」であろうか。ついついお腹いっぱいになるまで箸を置かない癖がある。
晩酌のおかず量の手抜きと、手料理の味を落とすようお願いする必要があるのかも。ヘッヘッヘ。

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「有難うカーナビ!!」

2016年01月09日 | つれづれ噺

            
                              関門海峡大橋

正月が明けて初めての三連休。
遠出をする人が多いのかな?それとも、正月にたっぷり遊んだのでこの三連休は休養に当てる人が多いのか?
さてどっちだろうと思いながら、当方は早くからの計画通り、少し遠出をすることにした。

福岡県宗像市の従兄の家を訪問するという、片道220km高速を使って約3時間25分の行程。
これまで一度も行ったことがなく、全く初めての土地、初めての訪問。しかも初めてこの腕で運転するドライブ遠出。
腕に自信あり!とは言い難い昨今の長距離ドライブ。そうばかりも言っていられない。行かなきゃならないのだから。

そこで一案。おっかなびっくりを鎮めるために、手持ちのカーナビで2回もシュミレーションして、大まかな道順を把握。
後は疲れや惰性による謝ったハンドル操作をしないよう肝に銘じるだけ。
ひたすらカーナビを信頼し、カーナビに全てを預けて午前7時出発。

途中何度か休憩をはさんで、見事予定通り10時20分「目的地に到着しました、音声ガイドを終了します」とカーナビが言う。
まさに目指す従兄の家の玄関前である。思わず「ありがとうカーナビ」と頭をなでてやる。
こんなことはこれまでも何度か経験はしてきたが、逆にカーナビの指示通りに走って大失敗したこともある。
それが、今回のような初めての長距離、分かりにくい田舎道を全く無駄なく、一直線に目的地に連れて行ってくれた。

浅学菲才でカーナビのメカニズムなど詳しく知る由もなく、ただ買って、取説を少しひもといて、後はただ使うだけ。
この優れもの、頭脳はどんな構造をしているのだろうと不思議に思う。
誰かが考え、誰かが改良を重ねた結果が、こうして小生のような「ただ使うだけ人間」を助けてくれている。
今日の行程で、もしカーナビが無かったら…などと思うと気が遠くなりそう。
行きつくまでに昼を回っているのに違いない。ありがとうカーナビ!感謝カーナビ!

これに気をよくして今度は、四国高知県「坂本龍馬記念館」などを、この腕でドライブしてみたい。
くれぐれも体調管理と眠気防止を最優先に。

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「仕事始め」

2016年01月07日 | つれづれ噺

             

気忙しい中にも、何かを期待して年が改まるのを待った年末。
食傷気味の「バカ騒ぎ紅白」を見るともなしに見て、やがて除夜の鐘が響く大晦日。
そしてご来光と共に新年が明けた、と思ったら早くも1週間が過ぎようとしている。歳のせいなどとは思いたくないが、やけに時の流れを早く感じる。

大人数の賑やかな正月も楽しんだ。初詣でも滞りなく、神社をはしごして柏手を打った。
趣味としているエッセイの新聞投稿も、正月特集欄に一応名を連ねた。そこには、ささやかながら一つの目標も記されている。
いつまでも、のんべんだらり正月気分に浸っているわけにもいくまい。

庭の片隅にしっかり根付いている季節の花「寒アヤメ」が、日陰育ちながらこの冬もしっかりと清楚な姿で癒しをくれる。
本来なら、その名の通り、寒に向かって、薄紫のきれいな花を付けるのであるが、いかんせんこの冬の暖かさ。
何を思ったのか、暮から咲き始めて、小寒や七草を迎えた昨日今日はまさに百花繚乱、数多くの花を見せている。
やはりこの冬の暖かさは異常であり、地中に根を張る花でさえ咲く時季を狂わせてしまうのであろうか。

そんなけなげな寒アヤメを見ていると、さてそろそろ一仕事・・・と思い立たせる。
出向いた先は、小さな街角の小さな出来事や、たとえ小さくても一生懸命なグループ活動などに、ホンのひとすじの光を宛てる、タウンリポーターという、半ば自己満足的な仕事を一つこなしてきた。

正月早々なので、やはり地域の子どもたちを集めて、昔ながらの遊びに誘うイベントが多い。
どこで何があったのかは、新聞を見ていただくとして、子どもたちと保護者を合わせると40人が集まった会場には、将棋を指す音、囲碁を打つ音、かるたを取り合って歓声を上げる女子のグループなど、賑やかこの上ない。子どもたちのはしゃぐ声には、何かしら元気をもらう思いがするのは不思議である。

このようなイベントが実施される舞台裏では、地域のいくつかの活動団体が、物心両面の支援をしていることを忘れてはならない。
子どもたち自ら集まって遊ぶことが極めて少なくなった昨今。社協だの自治会だの伝統行事保存会だの、およそ高齢者の団体が、公共の助成金や賛助会費などを当てて、子どもを集めて遊ばせ、お土産を持ち帰らせるという構図である。

それを今さらどうこういうつもりはないが、「このようにしたらみんなが集まって楽しく遊ぶことができるんよ」といった、方法や上級生は下級生の面倒を見るくらいの、共同生活様式を、おぼろげながら教えて行く必要を感じてならない。
「その一日の数時間を楽しませた」という単なる一過性の遊びに終わっている。いったい、どんな効果があるのだろう。

などと、効果や結果を求めてはいけないのだ。大人は黙々と、子どもは嬉々と、その時間を過ごせばいいということかな。

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「10人のお正月」

2016年01月03日 | 家族・孫話

           

ワイワイガヤガヤ、賑やかこの上ない正月を迎えたのは何年振りだろう。
嫁いだ長女一家が5人。長男一家が3人。そして引き受けの我が家が2人。総勢10人が2日の夜に集まった。
その内訳の第1は、男が6人、女が4人。次に大人が6人、子どもが4人。
大人は男女それぞれ3人ずつ。子どもは男が、中三・中一・年長さんの3人。女の子はまだ2歳半が1人だけ。子どもの割合からしても、エネルギー有り余る元気な様子がうかがえようというもの。

ここ数年、孫兄ちゃん二人は冬休みと同時に、遠方へスキーの強化合宿に出かけていた。
そのために、こうしてみんなが集まるお正月はないに等しかった。
それが、受験と暖冬による雪不足でスキー合宿は今年は無しに。そのうえ、倅の勤務状態も正月に合わせて休みが取れた。
そんな偶然や必然が重なって、久しぶりの大人数正月となった。

二人っきりの生活が定着し、静寂ともいえる高齢者夫婦の生活様式。そこへ、ひっちゃかめっちゃかの大騒ぎ。
かなり時間をかけて受け入れ態勢も整えてはいたが、時間とともに、何でもかんでも引っ張り出してはおおはしゃぎ。
こしらえたオーダーメイドおせち料理が予想以上に、みんなのおなかに収まる様子は壮観でさえある。

中でも2歳半の一番おちびちゃんが、3人のいとこの口に食べ物を運んだり、カラオケマイクを手放さなかったり。
さっすが女の子、と驚かされるほど甲斐甲斐しく男の子にお愛想を振りまく。
笑い声は絶えない、お互いの名前を大声で呼び合う。マイクからは「となりのトトロ」や「愛は勝つ」などが流れる。
こんな時間があまりにも長く続くと脳みそがどうかなりそう。
などと思いながらも、受験生にとっては大切な小休止であり、いとこ同士の滅多にない交流と、目をつむり耳を抑える。

少なくとも小生の子ども時代の正月はまさにこの状態であった。
それがいつしか核家族になり、正月は勝手な所に旅をして、別個に楽しむ中流階級意識が強くなった。
でもやはり、正月くらいはこうして大人数が集まって、命の洗濯をするのは価値のあることに思える。

年末年始のニュースに、帰省ラッシュやUターンラッシュが報じられるのを見ると、まだまだこういった正月風景が大切にされていることが確認されるようで、なんとなくうれしくなる。
そして、彼や彼女のために、我々が来年も元気で受け入れ態勢を作ってやれるよう頑張らなくっちゃ、と思ったりする。

やっぱり大切な、年に一度の年初め行事。来年もできることを当面の目標に掲げ、元気に過ごそう・・・と思う年の初めである。

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「謹賀新年}

2016年01月01日 | 地域活動

       
                       謹 賀 新 年    2016年 元旦  7時25分(撮影場所:灘山中腹)

新年明けましておめでとうございます。
皆様におかれましては、ご家族お揃いで明るく元気な新年をお迎えのことと存じます。 
瀬戸内海の向こうから昇る、見事なご来光と出会わさせて頂きました。このご来光の如き、穏やかで明るい一年になることをお祈りしたいものです。
拙いブログですが、今年もゆるやかにのんびり発信させて頂きます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

  “  信ずれば 平時の空や 去年今年  ”            三橋 敏雄
    (しんずれば へいじのそらや こぞことし)
「平時の空」の元旦である。めでたい。平時とは能天気な、と思う人もいるだろうが、今朝はやはり、互いに「おめでとう」を言いたい。
今日の句の「信ずれば」は、平和を信じれば、人の心を信じれば、などの意味だろう。
    毎日新聞、季語刻々  坪内念典の解説引用

例年のご来光撮影は、我が家から5分ばかりの海の公園からが定位置となっておりました。
今年は、少し高い場所から海を臨んでみようと思い立ってクルマで15分走り、400m級の山がひしめく灘山連山の中腹まで足を延ばしました。
写真の巧拙はともかく、皆さんに少しでもご来光の様子を味わって頂けたらそれだけで十分です。 

幸い今年は、寒さが和らいで、カメラや三脚を扱う手もさほどかじかむこともなく、楽しむことができました。
このように向こう1年、『緩やかに楽しむ』ことを基本に据え、何事もゆったり構えてみたい。
そんな願いを込めて、ご来光に柏手を打つ元旦となりました。  

 

 

 

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