阪神淡路大震災 写真はネット拝借
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分。阪神淡路大震災は起きた。
大都会を襲った大地震は、多くの尊い命と、築き上げてきた多くの財産を、一瞬にして容赦なく奪い去った。
あの日から21年という歳月が流れた。
何年が過ぎようと、私の脳裏に焼き付いている震災直後の、あの忌まわしい光景は忘れ去ることなど決してない。風化などと言う言葉は死語に等しい。
21年前のあの日午前7時半。当時単身赴任の本社勤務を命ぜられていた私は、東京都世田谷区三軒茶屋の社員寮食堂で朝食をとっていた。
取り急ぎ前日のニュースや情報を得るのは、もっぱらNHKテレビのニュース番組である。
その画面には、高速道路の高架は完全に横倒し。町中至る所家屋やビルの損壊の山。
カメラの移動に合わせてモクモクと上がる黒煙は、壊れた街を舐めるように「悪魔のような炎」が広がって行く。
息をのむ、とはこの状態を目にしたときの気持ちを言うのだ、と後で気が付くほど、頭の中は真っ白。
神戸や大阪が大被害ということで、我が家の安否に思いが行ったのはそれからしばらく時間がたってからであった。
相変わらずの満員電車に揺られ、会社に着いてから家に電話を入れたのであったような。
そうして時間の経過とともに入ってくる、被害拡大の悲惨な状況。その時点では何もできない自分にイライラを憶えたような。
今年の成人式参加者は、この阪神淡路大震災は体験の無い人たちである。
それほど「過去のこと」となってしまった感はあるが、これほどの自然災害が身近に起きた事実を忘れてはならない。
もっとも、今年の成人者には、発生からまだ5年という記憶に新しい「東日本大震災」の惨状や哀しみが、胸に刻まれていることだろう。
このように、いつなんどき、とてつもない自然災害が襲ってくるか予測のつかない現実を生きている今、過去の惨状を風化させてなどいられようか。ましてや世はまさに高齢化社会。互いに助け合い、命を守る大切さを改めて考える契機にしたい、と考えてしまう。
「お前に何ができるのか」と問いかけられた時、なんと答えようか。その答えに近いものがあるようなないような・・・。
ただただ、大災害の教訓を忘れないことだけは出来そうである。