気忙しい中にも、何かを期待して年が改まるのを待った年末。
食傷気味の「バカ騒ぎ紅白」を見るともなしに見て、やがて除夜の鐘が響く大晦日。
そしてご来光と共に新年が明けた、と思ったら早くも1週間が過ぎようとしている。歳のせいなどとは思いたくないが、やけに時の流れを早く感じる。
大人数の賑やかな正月も楽しんだ。初詣でも滞りなく、神社をはしごして柏手を打った。
趣味としているエッセイの新聞投稿も、正月特集欄に一応名を連ねた。そこには、ささやかながら一つの目標も記されている。
いつまでも、のんべんだらり正月気分に浸っているわけにもいくまい。
庭の片隅にしっかり根付いている季節の花「寒アヤメ」が、日陰育ちながらこの冬もしっかりと清楚な姿で癒しをくれる。
本来なら、その名の通り、寒に向かって、薄紫のきれいな花を付けるのであるが、いかんせんこの冬の暖かさ。
何を思ったのか、暮から咲き始めて、小寒や七草を迎えた昨日今日はまさに百花繚乱、数多くの花を見せている。
やはりこの冬の暖かさは異常であり、地中に根を張る花でさえ咲く時季を狂わせてしまうのであろうか。
そんなけなげな寒アヤメを見ていると、さてそろそろ一仕事・・・と思い立たせる。
出向いた先は、小さな街角の小さな出来事や、たとえ小さくても一生懸命なグループ活動などに、ホンのひとすじの光を宛てる、タウンリポーターという、半ば自己満足的な仕事を一つこなしてきた。
正月早々なので、やはり地域の子どもたちを集めて、昔ながらの遊びに誘うイベントが多い。
どこで何があったのかは、新聞を見ていただくとして、子どもたちと保護者を合わせると40人が集まった会場には、将棋を指す音、囲碁を打つ音、かるたを取り合って歓声を上げる女子のグループなど、賑やかこの上ない。子どもたちのはしゃぐ声には、何かしら元気をもらう思いがするのは不思議である。
このようなイベントが実施される舞台裏では、地域のいくつかの活動団体が、物心両面の支援をしていることを忘れてはならない。
子どもたち自ら集まって遊ぶことが極めて少なくなった昨今。社協だの自治会だの伝統行事保存会だの、およそ高齢者の団体が、公共の助成金や賛助会費などを当てて、子どもを集めて遊ばせ、お土産を持ち帰らせるという構図である。
それを今さらどうこういうつもりはないが、「このようにしたらみんなが集まって楽しく遊ぶことができるんよ」といった、方法や上級生は下級生の面倒を見るくらいの、共同生活様式を、おぼろげながら教えて行く必要を感じてならない。
「その一日の数時間を楽しませた」という単なる一過性の遊びに終わっている。いったい、どんな効果があるのだろう。
などと、効果や結果を求めてはいけないのだ。大人は黙々と、子どもは嬉々と、その時間を過ごせばいいということかな。