京都西山古道とポンポン山 その3
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倒木地帯を抜けたら
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またしても分岐が現れました。
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この道をまっすぐ降りると 出灰にいたると書いてあります。
京都市大原野出灰町(おおはらのいずりはまち)に出ます。
ポンポン山は 大阪、京都の府境にありその下部一体が大原野出灰町です。
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ポンポン山山頂に到着です。
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跡でわかるのですが この標識も この後知り合いになった地元の常連でボランティアで登山道
整備をしている通称RINさんの作です。
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京都市内は霞んでいてよく見えません。
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ポンポン山の名前のいわれが説明してあります。
京都府の看板ですが ここは大阪京都の府境です。
ここでお弁当を食べていらしたご夫婦に効くと 高槻市の本山時から登ってきたとおっしゃり
「ここは高槻ですよ」とおっしゃっていましたが 京都市でもあるのです。
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ポンポン山の眺望があまり良くなかったので すぐに引き返したのですが その途中地元ー
長岡京市のこの山の常連でもあり 訳20数名でこの山の登山道整備をされている
ボランティアの中の一人 通称RINさんに出会い ここでお昼ご飯をご一緒しました。
このベンチもRInさんが 転がしてきたということです。
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私は当初同じ道をそのまま帰る予定でしたが RINさんが 大沢峠からの帰路を教えて
くださるというので 一緒に大沢峠へ向かいました。途中杉の木から樒ともみの木が生えている
「三兄弟」とRINさんたちが呼ぶ木を見せてもらいました。
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ここに降りてきました。まっすぐの路が大沢山への路で 左右に道がクロスしていて
右前は島本町へいくということです。
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ここから大沢山へ登ります。この標識も木工細工が趣味のRINさんが作ったそうです。
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大沢山山頂に到着です。ここへの路は直登でふみ跡頼りの路でした。
右に見えている方がRINさんです。
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足元は京都市内が見えています。
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望遠で見ると京都タワーがはっきり見えています。
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宇治の方角です。中央の丸い二つの物体は 私が先週走った「京奈和自転車道」の出発点
羽束師橋(はずかしばし)です。
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足元には 長岡京市内の京都縦貫道が見えています。
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先週自転車で登り 楊谷寺から更に登って ベニーカントリークラブの門で引き返した
のですが そのベニカンが足元に見えています。楊谷寺はその向こう側です。
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ベニカンの向こう側は高槻市内です。
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その4へ続く
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