没後55年 藤田嗣治展 @笠間日動美術館
2023年9月30日~12月17日
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画家の藤田嗣治(1886~1968)の「没後55年 藤田嗣治展」が笠間日動美術館で開かれている。
藤田と交流のあった日動画廊・笠間日動美術館をはじめ「平野政吉コレクション」(秋田)「軽井沢安東美術館」(長野)や、個人コレクターなどから出品の協力を得た油彩、水彩、版画など約60点が展示されている。
日本人の画家で海外での名声を得た作家は数少ないが、エコール・ド・パリの寵児として名を馳せた藤田嗣治は稀である。
近年、再評価されることも多く世界的な名声を得そうな勢いがあり、タイムリーな企画展だ。
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第1章 藤田と5人の妻たち
創作のインスピレーションを与えた美神(ミューズ)たち
生涯5人の妻を娶った。
最初は;女学校の美術教師であった鴇田登美子(ときたとみこ)と大恋愛をして、1912年に正式に結婚した。単身で渡仏したゆえ、日本に残した妻と離婚した藤田は、現地で公私に渡るパートナーを見つけた。
それが2番目の妻となるフランス人モデルのフェルナンド・バレエでした。
フェルナンドという現地人の協力者を得たことで、藤田はシェロン画廊と契約を結ぶことができ、初めての個展も開催された。
第2章 ポートレート女性を描く
第3章 ポートレート時代を描く
1920 年代には「素晴らしき乳白色」と称される画風 を確立してエコール・ド・パリの寵児として名を馳せた。
第二次世界大戦中の戦意高揚を図るためのポスターなども展示された。
戦争に協力したとして批判され、それが原因で日本を離れ二度と故国の土を踏むことはなかったが、戦時下において己の考えを貫き通すことが出来なっか時代に藤田を非難して済むだけではない。
水戸徳川家13代当主徳川圀順(くにゆき)との交友
「猫」(軽井沢安東美術館蔵)を特別展示。
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戦後はフランスに帰化して、レオナール・フジタと改名した。
今展は、藤田の名品の所蔵で知られる平野政吉コレクションをはじめとする国内各地の美術館、及び個人コレク ターにご出品をいただき、フランスにおける藤田の作品を中心に展観されてある。
また、茨城県と友好関係を結ぶエソンヌ県(フランス共和国)に関連画像をご提供いただき、藤田が終の棲家としたヴィリエ=ル=バクルのアトリエや同県の様子についても紹介される。
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笠間日動美術館・長谷川徳七館長独演会
「没後55年 藤田嗣治展 FOUJITA in Paris & Villiers-le-Bacle」の関連企画として「館長 長谷川徳七と副館長 長谷川智恵子による対談会」の内容が変更され、 長谷川徳七館長の独演会が11月18日の14:00~15:00まで開催された。
画商ならではの眼で見た藤田嗣治の裏話はパリ・東京にとどまらず、世界各地に及ぶ内容で、1時間があっという間に過ぎた。話ならOKでも文章にしたら問題か?というようなことが多々あった。副館長 長谷川智恵子さんも同席されてはいたが、話すことなく聞き役だった。
お二人での対談ならば2時間以上は必要だったでしょう。
私の敬愛する故山上鎭夫さんが藤田嗣治の母方の従兄という話を聞いた。
嗣治から絵が入った手紙を拝見したこともある。
山上さんの叔母に当たる方は嗣治が2歳の時に亡くなられ、後妻である継母との折り合いも悪く幼少期の体験がその後の人格形成に障ったようだ。
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閉会後、長谷川智恵子副館長とツーショット写真を撮らせていただきました。
アンディ・ウォーホルの『C夫人の肖像・Chieko』(1975年・笠間日動美術館蔵)は48年前の作品ですが、当時と変わらぬ美しさです。
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*『FOUJITA』2015年製作/日本・フランス合作/配給:KADOKAWA
藤田嗣治の半生を、オダギリジョー主演で映画化。「泥の河」「死の棘」の小栗康平監督が10年ぶりに手がけた長編監督作で、画家の晩年まで寄り添った5番目の妻君代を演じた中谷美紀、共演は加瀬亮、岸部一徳など。
*エコール・ド・パリ(パリ派)
1920年代パリで制作活動をしたアーティストたちの一群。
特定の流派や様式、芸術運動を伴わない外国人芸術家たちのゆるやかなまとまりを指す。その多くはモンマルトルもしくはモンパルナスに居住する東欧出身もしくはユダヤ系の作家たちであった。
2023年9月30日~12月17日
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画家の藤田嗣治(1886~1968)の「没後55年 藤田嗣治展」が笠間日動美術館で開かれている。
藤田と交流のあった日動画廊・笠間日動美術館をはじめ「平野政吉コレクション」(秋田)「軽井沢安東美術館」(長野)や、個人コレクターなどから出品の協力を得た油彩、水彩、版画など約60点が展示されている。
日本人の画家で海外での名声を得た作家は数少ないが、エコール・ド・パリの寵児として名を馳せた藤田嗣治は稀である。
近年、再評価されることも多く世界的な名声を得そうな勢いがあり、タイムリーな企画展だ。
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第1章 藤田と5人の妻たち
創作のインスピレーションを与えた美神(ミューズ)たち
生涯5人の妻を娶った。
最初は;女学校の美術教師であった鴇田登美子(ときたとみこ)と大恋愛をして、1912年に正式に結婚した。単身で渡仏したゆえ、日本に残した妻と離婚した藤田は、現地で公私に渡るパートナーを見つけた。
それが2番目の妻となるフランス人モデルのフェルナンド・バレエでした。
フェルナンドという現地人の協力者を得たことで、藤田はシェロン画廊と契約を結ぶことができ、初めての個展も開催された。
第2章 ポートレート女性を描く
第3章 ポートレート時代を描く
1920 年代には「素晴らしき乳白色」と称される画風 を確立してエコール・ド・パリの寵児として名を馳せた。
第二次世界大戦中の戦意高揚を図るためのポスターなども展示された。
戦争に協力したとして批判され、それが原因で日本を離れ二度と故国の土を踏むことはなかったが、戦時下において己の考えを貫き通すことが出来なっか時代に藤田を非難して済むだけではない。
水戸徳川家13代当主徳川圀順(くにゆき)との交友
「猫」(軽井沢安東美術館蔵)を特別展示。
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戦後はフランスに帰化して、レオナール・フジタと改名した。
今展は、藤田の名品の所蔵で知られる平野政吉コレクションをはじめとする国内各地の美術館、及び個人コレク ターにご出品をいただき、フランスにおける藤田の作品を中心に展観されてある。
また、茨城県と友好関係を結ぶエソンヌ県(フランス共和国)に関連画像をご提供いただき、藤田が終の棲家としたヴィリエ=ル=バクルのアトリエや同県の様子についても紹介される。
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笠間日動美術館・長谷川徳七館長独演会
「没後55年 藤田嗣治展 FOUJITA in Paris & Villiers-le-Bacle」の関連企画として「館長 長谷川徳七と副館長 長谷川智恵子による対談会」の内容が変更され、 長谷川徳七館長の独演会が11月18日の14:00~15:00まで開催された。
画商ならではの眼で見た藤田嗣治の裏話はパリ・東京にとどまらず、世界各地に及ぶ内容で、1時間があっという間に過ぎた。話ならOKでも文章にしたら問題か?というようなことが多々あった。副館長 長谷川智恵子さんも同席されてはいたが、話すことなく聞き役だった。
お二人での対談ならば2時間以上は必要だったでしょう。
私の敬愛する故山上鎭夫さんが藤田嗣治の母方の従兄という話を聞いた。
嗣治から絵が入った手紙を拝見したこともある。
山上さんの叔母に当たる方は嗣治が2歳の時に亡くなられ、後妻である継母との折り合いも悪く幼少期の体験がその後の人格形成に障ったようだ。
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閉会後、長谷川智恵子副館長とツーショット写真を撮らせていただきました。
アンディ・ウォーホルの『C夫人の肖像・Chieko』(1975年・笠間日動美術館蔵)は48年前の作品ですが、当時と変わらぬ美しさです。
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*『FOUJITA』2015年製作/日本・フランス合作/配給:KADOKAWA
藤田嗣治の半生を、オダギリジョー主演で映画化。「泥の河」「死の棘」の小栗康平監督が10年ぶりに手がけた長編監督作で、画家の晩年まで寄り添った5番目の妻君代を演じた中谷美紀、共演は加瀬亮、岸部一徳など。
*エコール・ド・パリ(パリ派)
1920年代パリで制作活動をしたアーティストたちの一群。
特定の流派や様式、芸術運動を伴わない外国人芸術家たちのゆるやかなまとまりを指す。その多くはモンマルトルもしくはモンパルナスに居住する東欧出身もしくはユダヤ系の作家たちであった。