ファングーラオ界隈@ホーチミン市
米フルブライト基金により1959年に渡米した小田実は、帰国に際し1枚の航空券と持参金200ドルで世界一周の旅に。
1日1ドルの旅は、現在のバックパッカーの走り(当時は、バックパッカーと云う言葉は無かったが)、その体験記『何でも見てやろう』はべストセラーとなった。この本を読み、無銭旅行で世界を巡るのは僕の大きな夢と成った。
後に、小田実は「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)、「日本はこれでいいのか市民連合」を結成し一時期を築いた。
人生の終末期を迎え、その様な旅は不可能になったが、憧れだけは持続している。
たまに、東京のゲストハウスに泊まったりして疑似体験も愉しい。
タイのバンコックのカオサンストリートは東南アジア最大のバックパッカーの聖地。タイには4回訪ね、1度カオサン通りに行った。5年前頃だが、既に観光地化してお洒落なカフェなども有って、随分変化していた。
ホーチミンのファングーラオ界隈はベンタイ市場やバス乗り場にも近く、東南アジアでも二番目に大きいバックパッカー街として、インドシナを横断するバックパッカーに絶大な支持があるとのこと。
好奇心にかられ、訪ねた。
ファングーラオ界隈はファングーラオ通り、ブイビエン通り、そしてデタム通りの三つの道に囲まれたエリアで、ツアー会社、カフェレストラン、ショップ、ゲストハウス、モーテルなどが集っている。
欧米系バックパッカーが目立ち、日本人はほとんど見かけなかった。
ここを拠点に、ベトナムやカンボジャを旅したいと思った。
米フルブライト基金により1959年に渡米した小田実は、帰国に際し1枚の航空券と持参金200ドルで世界一周の旅に。
1日1ドルの旅は、現在のバックパッカーの走り(当時は、バックパッカーと云う言葉は無かったが)、その体験記『何でも見てやろう』はべストセラーとなった。この本を読み、無銭旅行で世界を巡るのは僕の大きな夢と成った。
後に、小田実は「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)、「日本はこれでいいのか市民連合」を結成し一時期を築いた。
人生の終末期を迎え、その様な旅は不可能になったが、憧れだけは持続している。
たまに、東京のゲストハウスに泊まったりして疑似体験も愉しい。
タイのバンコックのカオサンストリートは東南アジア最大のバックパッカーの聖地。タイには4回訪ね、1度カオサン通りに行った。5年前頃だが、既に観光地化してお洒落なカフェなども有って、随分変化していた。
ホーチミンのファングーラオ界隈はベンタイ市場やバス乗り場にも近く、東南アジアでも二番目に大きいバックパッカー街として、インドシナを横断するバックパッカーに絶大な支持があるとのこと。
好奇心にかられ、訪ねた。
ファングーラオ界隈はファングーラオ通り、ブイビエン通り、そしてデタム通りの三つの道に囲まれたエリアで、ツアー会社、カフェレストラン、ショップ、ゲストハウス、モーテルなどが集っている。
欧米系バックパッカーが目立ち、日本人はほとんど見かけなかった。
ここを拠点に、ベトナムやカンボジャを旅したいと思った。