「先春梅記」碑のこと@水戸市南町
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/7f/0fbe0ce64dd326aa83b83959080d368f.jpg)
烈公/撰文・書「先春梅記」拓本(弘道館蔵)
旧水戸藩時代、水戸市黒羽根町(現・水戸市南町)の岡崎朝堅の屋敷に佐竹時代からの巨大な梅の古木が在り「先春梅」と呼ばれていた。
その梅花を愛でに水戸藩六代藩主治保(1751-1805・文公・水戸藩中興の祖と言われる)が訪れ詩を賦した。その後、烈公はその出来事を記念し自ら撰文・書の碑を建立した。
明治になって富田誠三の所有となり、ここに中崎本介が料理屋「先春館」を開業したが1918(大正7)年の奈良屋町の大火で碑も梅も焼失した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/9f/0c2e562ee81a9004e92a694102b57762.jpg)
長山家が所持し弘道館に寄贈された拓本が唯一のもの。
弘道館作成のチラシを知人のIさんより頂いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/da/8d6ea5b02a2208c7cf9e5d7db84931b0.jpg)
水戸城下絵図・長久保赤水(長久保均氏寄贈)
享保元年(1716)~宝暦9年(1759)
中央の南丁(町)の「岡崎」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/95/ca0154925345f81620238e94b597a867.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/10/3d95ae2b8d84aa6aec25e01338a257cc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/92/071375d0474f60d2f9829e988f401816.jpg)
現在の南町スクランブル交差点に近い「伊勢歯科」のところになる。
*参考文献『明治大正の水戸を行く』(前田香徑・1959年・茨城新聞社)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/7f/0fbe0ce64dd326aa83b83959080d368f.jpg)
烈公/撰文・書「先春梅記」拓本(弘道館蔵)
旧水戸藩時代、水戸市黒羽根町(現・水戸市南町)の岡崎朝堅の屋敷に佐竹時代からの巨大な梅の古木が在り「先春梅」と呼ばれていた。
その梅花を愛でに水戸藩六代藩主治保(1751-1805・文公・水戸藩中興の祖と言われる)が訪れ詩を賦した。その後、烈公はその出来事を記念し自ら撰文・書の碑を建立した。
明治になって富田誠三の所有となり、ここに中崎本介が料理屋「先春館」を開業したが1918(大正7)年の奈良屋町の大火で碑も梅も焼失した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/9f/0c2e562ee81a9004e92a694102b57762.jpg)
長山家が所持し弘道館に寄贈された拓本が唯一のもの。
弘道館作成のチラシを知人のIさんより頂いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/da/8d6ea5b02a2208c7cf9e5d7db84931b0.jpg)
水戸城下絵図・長久保赤水(長久保均氏寄贈)
享保元年(1716)~宝暦9年(1759)
中央の南丁(町)の「岡崎」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/95/ca0154925345f81620238e94b597a867.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/10/3d95ae2b8d84aa6aec25e01338a257cc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/92/071375d0474f60d2f9829e988f401816.jpg)
現在の南町スクランブル交差点に近い「伊勢歯科」のところになる。
*参考文献『明治大正の水戸を行く』(前田香徑・1959年・茨城新聞社)