『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

翻訳(韓国語→日本語)  僕たち(私たち)の翼1

2022-02-05 16:50:46 | 翻訳

★これは趣味の韓国語学習サークルで取り上げている短編小説です。営利目的はありません。

僕たちの翼1

著者: チョン・サングック(全商国)

    1940年3月24日生まれ。韓国の男性作家。

読む前に:

この作品は呪術師(シャーマン)を絶対的に信じる一つの家族の不運とそのための苦しみを経験する天真爛漫な幼い子供を通して、間違った信仰や信念の体系がもたらしうる悲劇の世界を描いていることに留意して読んでください。

 

 僕が小学校2年の時ツホが生まれた。8歳差の弟を見たわけだ。ツホの出産に、僕達家族だけでなく近い親戚遠い親戚はもちろん、近所の人達まで大騒ぎした。7代の一人息子家系に男の子がまた生まれたというお祝い事で、決してありきたりのことではなかったのだ。しかしこんな思いもよらない喜びの後には、いつもその喜びが何かによって崩れ落ちるような危惧の念がするものだ。恐れは恐れを生むようになって、ついにはその恐れの根を抜いてしまうために神経を逆立てみると、初めの喜びが形もなく消えてしまうのはいつものことだ。

 僕達の家の場合がそうだった。その時まだかくしゃくとした姿で暮らしていた祖母は2番目の孫を見た喜びで町の老人達の前でひょいひょいと踊ってみせた。一日に数十回も部屋を出たり入ったりしながらツホのおむつを替えてその喜びを隠せなかった。それほどツホにたいする祖母の愛情は度を超していた。不浄な人、言ってみれば喪中の家に行った人が家の門の近くに出没しても大騒ぎになった。僕が生まれた時のようにツホも100日間も部屋の敷居を越えることができなかった。頭のてっぺんを触ると短命だと言って3年間一度も頭の垢を洗い流さなかった。産神の祭祀のため、呪術師(シャーマン)が家にしきりに出入りした。ツホの枕をもっていたずらをしていて祖母に厳しく鞭打たれた。鞭打たれて僕が悲しくて泣く度に祖母が言った。

「お前もこのお祖母さんがこうして育てたのだよ。」

 僕が生まれた時はツホの何倍も誇らしかったという話だ。

「お前は福が多いだろうから弟をもらったのだよ。」

 そのくせ、どんなに下の子供が可愛いとは言うけれども、その誇らしさを初めての男孫と比べるのかと、他人の前で僕の自慢をあれこれしゃべる祖母だった。

 しかし、祖母に今の今まで言わなかった言葉を時々くどくど言う癖が生まれた。先祖の霊を悪く言って口にすることだった。

 「けしからんくそじじいだ。何年かもっと生きてから逝けばよかったのに。」

 ツホが生まれた喜びを一人で楽しむ申し訳なさを、何年も前によその土地でなくなった祖父への恨みが混じった、そんな愚痴として表した。5代一人息子だった祖父は、自分の息子が妻をめとって孫を生むまで落ち着かずに、いたずらに家族の女たちだけいじめたのだ。娘一人生んでちょうど10年ぶりに息子を生んだが、その時の祖父の年は38だった。こうしていては孫も見れずに死ぬだろうとぶつぶつ言って、結局父を17歳で結婚させたのだ。そして父は22で僕を生んだ。ところが、一族が代々絶えることを心配し落ち着かなかった祖父は僕が生まれてから人が変わったのだ。60歳を過ぎた人が老いらくの恋に落ちたのだ。女は祖母以外知らなかった祖父が隣村の未亡人と目を合わせてどこかへ行方をくらました。「霊が道を誤らせたのだ。」そのことを心に留めて祖母はわかっていてもわからないと言った。娘一人だけ生んで息子を生めなかった祖母が、妾でも迎えて息子をつくれと言った時は、何を言うのかと跳び上がった人がどうしたのか、難しい孫までつくった後にそんな浮気をしたのか、本当にわからなかったのだ。祖母が占ってみた。自分に難しいことが生まれるたびに、占い料金を包んで占い師を尋ねて行ったのは祖母だった。その度に占いが不思議なほどよく当たった。10年ぶりに息子が生まれた年まで当てた占い師もいた。今回の場合祖父が老いらくの恋に落ち隣村の未亡人と逃げたことを心に留めて、占い師が言った。

 「家を出る運勢だね。」その盲目の占い師が再び言った。「捨てておけばいい。出てしまうのだから。無理に留めて置いたら息子を失う運だ。」要は家族に悪い気運が加わって二人が一つ屋根の下に暮らすようになれば、結局一方の気が折れてこそ家族が平安なわけだから、一人が死ぬしかないと言った。祖母はその占い師の言葉をそのまま信じた。家を出た祖父を恨んだり、自分の運勢の泣き言を言うすべを知らない祖母だった。

「お前がお祖父さんの身代わりだ。」

 祖母が僕の背中を掻いて時々そんな意味のことを言った。祖父が家を出たために家の働き手が消えないようにという意味だった。

 家を出た祖父が戻ってきたのは僕が6歳の時だった。むしろに包まれて戻ってきた。祖父と一緒に逃げた未亡人がアヘン中毒者だったのだ。いくつか水田を売って出てから、その金がすべてなくなるとそのまま乞食になって、あちこちさまよった。最後まで家に戻らないまま他郷で筵まきの死体になった祖父の知らせを始めて聞いた日、祖母は乳を手探りする僕の手を荒々しく振り切った。その時僕をにらんだ祖母の目には敵意のようなものが光ったのだ。そして祖父の葬式を終えて、2年後に母が子供をはらむと祖母は占い師を訪ねていった。

 「息子が生まれるでしょうね。」占い師が再び言った。「しかし息子だと良いことではない。」

 言い淀みながらそう言った。祖母が何の話かと促しても占い師は気が晴れることを言ってくれなかった。ただ赤ちゃんを生むならその出生の日取りを整えてもう一度来なさいとだけ言った。しかし、ツホが生まれてその占い師を訪ねた時には、既にソウルのどこかに引っ越してしまった後だった。他の占い師を訪ねたけれど、特に新しいことが聞けないまま祖母はただ以前のその占い師の言葉だけを心の中で反芻するしかなかった。

 ツホが3歳の時に祖母が亡くなった。僕は母と一緒に祖母の臨終を見守った。父はその時軍隊に入っていて家にいなかったのだ。

 祖母は激しい息の中、室内をきょろきょろ見回した。

 「ツホは外に出ています。お母さん。」

 母が大声で言った。祖母は病床に就いてからツホを嫌がった。嫌がったというよりむしろ怖がるようだった。自分のそばに来させなかった。

 「お祖母さんがどうしてあのようにするの?」

 ソウルから来た、父より10歳上の伯母が母に言った。母が伯母の脇にぴったりくっついて座って言った。

 「私がお姉さんに尋ねたいのです。お母さんがソウルに行って来てから、あんなにツホを憎むのです。」

 伯母が何か思い当たるかのように目をぱちくりさせた。

 「そうだ。お母さんが家に来た時にここの町に住んでいた、その占い師に会ったのだよ。」お母さんの言葉では腕がいい占い師だと言うので。」

 「そうですか。その占い師が家のツホを憎めといったのですか?」

 「まさかそんなはずが!ただその占い師に会ってから、慌てて家に帰って行ったのよ。こんなことを話していたね。ツホは、あの子は子供ではなく魔物だと。」

 「恐らく、それはその時あの子の父親が勝手に軍隊に入ったせいで、言ったことでしょう。」母が言った。

 事実、父は6代一人息子のために軍隊に行かなくても良かった。それなのに、父がすすんで志願して入ったのだ。祖母が頭に鉢巻を巻いて寝込み飲食を絶ってもやめさせようとしても、父は頑として聞かなかった。それですぐにソウルの伯母の家へ行った祖母だった。

 「一体全体その占い師が何と言ったのですか?」

 「それを誰がわかるの、お祖母さんのほかに!」

 その秘密を口外しないまま祖母は亡くなった。祖母の最後に息を引き取る姿が、この上なく恐ろしかった。僕は外に飛び出した。ツホが庭に座って泥んこ遊びをしていて僕に言った。

 「お兄ちゃん、お祖母ちゃん、死んだの?」

 ツホは顔中泥だらけのまま目をきらきらさせて僕を見つめた。僕は急に怖くなった。祖母の最後に息を引き取る瞬間の恐ろしさとは違う、生きている人の狡猾な目のなかで探すことのできるそんな恐ろしさだったのだ。

 父が軍隊を終えて家に戻ってきた。家に戻ってくるとすぐ先祖代々伝えられてきた田畑を処分した。そしてソウルのマグリの近所へ引っ越しした。祖父母が生きていれば予想もしなかったことを父は掌を裏返すように簡単にしてしまった。誰かが制してどうするのかと言う余裕も与えずテキパキ売ってしまった。次に、ソウルへ引っ越ししてから小屋のような家を1軒買って、余ったお金で貨物トラックを買った。農業だけすると決めていた農民がこのように生活環境を変えることはとても普通のことではなかった。母は霊に憑りつかれたように父のいうとおりに従いながらも時々父に食ってかかった。

 「ハノのお父さん、本当にこうしてもいいのですか。」

 しかし、父は肩で風を切るだけで母の言葉を聞くふりもしなかった。

 父がこのような人間に変わったのは軍隊生活3年、そこで学んだ運転技術だと言えた。父は軍隊に入ってすぐに運転教育隊で自動車運転を学ぶようになったのだ。ハンドルを握る最初の日父はこれこそ自分が望む新しい世界の扉だと強く感じた。一言で運転が父の適性に合っていたのだ。その苦しいという軍隊生活が父にはただうきうきとするものだっただけだ。父は運転マニアになった。彼は時間さえあれば自分が運転する車にくっついて内部を隅から隅まで知ろうとした。そしてハンドルを握って輸送用ジープについて国道を走る時、彼はこみあげてくる笑いを押し殺すことができなかった。その巨大な怪物を動かしている自分の見えない何らかの力を感じることができたのだ。それで父は自分が配属されていた輸送中隊で最も模範的な運転兵として認められた。しかしある日、輸送の責任を担当した選任下士が運転兵を集めて言った。「昨夜、俺の夢見が良くなかった。お前たちの中でのことだ。俺の夢見の厄払いに自信がある者は出てみろ!」いつも冗談がわからなかった彼が、そんな冗談のようなことを言うと、みんな面食らった。おい、俺は3代一人息子なのだ。」彼は少しぎこちなく笑いながら続けた。「俺はまだ息子も一人も作っていないのだ。今うちのワイフの腹で動いているけど・・・こんな状態で俺が死ねるか?要は夢見が悪い自分を誰が乗せて行くかという話だった。運転兵は互いに顔色を窺った。運転する人たちの心に我知らず宿っているタブーのためだった。「お前たち、俺が一つ聞いてみるが、お前たちのなかに一人息子が誰もいないか?」選任下士が運転兵を見回した。」しかし、誰も手を上げなかった。その時初めて父は自分が6代一人息子だという思いがとっさに浮かんだ。「お前、俺を乗せて行く自信があるか?」手を上げた父に向って選任下士が尋ねた。「自信があります!」父は自分も分からない間にそう叫んだ。しかし、その日父が事故を起こしたのだ。国道を走りながら横に座った選任下士が出発前に言った言葉が頭の中からずっと離れなかった。凶夢、坊や、更に異常なことは選任下士が語った故郷にいる妻の腹の中に入っている子供の顔が見えることだ。赤ちゃんの顔ではない3つか4つになった子供の姿だった。ふいにそれがツホの姿に重なって現れたりした。山裾の曲がり角の坂道を走っていた。最近の真昼のカンカン照りの太陽にアスファルトが柔らかく溶け出た。限りなく無力感に陥るそんな時間だった。そんな時運転する人たちは時々目を開けたまま、うとうとすることもあるのだ。父がまさにそうだった。気を引き締めると道の真ん中に子供が一人立っていた。父は自分でも知らないうちにハンドルを曲げた。そして気を失った。気がつくと、断崖に追突した車の中で選任下士が死んでいた。父は自分の体に傷が一つもなくきれいなことに気づいた。「そうだ、その道のなかにいた子供はどうなった?」父から話を聞いた人の一人が尋ねた。「ところが、それが妙だが俺ははっきり子供を見たのだが、俺の車の後ろをついて来た運転兵によれば、そんな子供はそこにいなかったのだ、結局俺が幻を見たわけだよ。」

 言わば、父が農業を放り出して田畑を売ってソウルに上京した直後に貨物トラックを買ったのは、軍隊で選任下士を死なせたその事件によって父の胸に負けん気が噴き出したためだと言えた。それは罪の意識とは隔たりがある思いだった。たとえ、人を殺したといえども、その日の非現実的な様々な要素が父の好奇心に火をつけたのだ。選任下士の夢、選任下士の故郷、彼の妻の腹の中の子供、そして道の真ん中に立つことで車をひっくり返したその幻の子供・・・・。

このすべては父の意志とは無関係に起こり、父の意志ではどうすることもできないそんなことだったのだ。今まで父はその巨大な怪物を自分の力で動かしている喜びでハンドルを握ってきたが、その事故以後から彼は運転席に座って新しい世界を体験する気分だった。それは知らない何らかの力との喧嘩を意味した。除隊すると父は喜んでその喧嘩を始めることにしたのだ。

 父は貨物トラックを運転して何でも引き受けていた。タムシムリの伯母の家が大きな米屋をしていたので父は初めその米屋に納める穀物を集めるために田舎に車を走らせた。その次は引っ越し荷物を運んだり、家を作る時に使う資材を運ぶかと思うと、砂利採取場でその下請けを引き受けたり実に忙しく走った。父はいつも得意だった。体も見目好くふくよかで顔もつやつやしてきれいだった。「やあ、ハノや、お前の兄ちゃんが行く。」僕の友達たちがそうからかったりするほど父は若かった。しかし、母は父と違った。父のように若くはなかった。父より2歳年上であっても最近のように干からびて老けた母の顔を見るのはあまり気分の良いものではなかった。

 それは父が車の運転をするからだった。母は昔田舎で祖母がしたように占い師を訪ねて行った。父が車で初めて出かけた日は口寄せ巫女まで家に招いて祭祀をした。祭祀の餅を村に配りながら母は父の無事を祈った。父が遅く帰って来る日は路地まで出て父を迎えようと、いつも寝そびれた。祖母がそうだったように母もいつもくどくど言った。昨夜の夢見が落ち着かないので今日はこのまま家で休んだらとか言いながら父の様子をうかがったりした。しかし、父は母の言葉を聞き流した。そんな日は一日中母の顔は暗かった。父が車で出かけた後、僕たち兄弟が少し喧嘩しても、大声ではなくまっとうなことを言っても、母は声を高めた。僕たちは道で石も勝手に拾ってくることができず、家の中の物をむやみに移すことも駄目だった。父が運転するために家にはタブーが多かったのだ。

 しかし、当事者である父は母とは全く違った。母が始めるそんな落ち着かないことをたしなめないが、大体無関心に笑って過ごした。「あんたの夢は悪かったかもしれないが、俺の夢はとても良かった!」このように笑って過ごした。そうだとしても父が母のすることを全く無視したのではなかった。

 「ツホのお母さんが家で祈ってくれるから俺が無事だと全部わかるよ。」このように母を慰めた。母はその一言が有難く涙をほろりと流した。そして次の日になるとまた腕がいいという占い師を張り切って訪ねた。父に対する占いの結果がいつも良くなく出ると、母はタプシプリの伯母に話しているのを何回も聞いた。母はその良くない占いの結果を厄除けしようと、人の目を避けてありとあらゆる異常なことを祈ったりした。お膳の上に米を33握って置き、その上に刃物を立てるかと思えば、糸を7尋半測って切ってから、その糸で異常な結び目を作って天井の中に入れたりもした。そして父の靴の中や枕の中にはいつもお守りが入っていた。そうした母の厄除けに邪魔者が一人いた。6歳になるツホがまさに邪魔者だった。ツホは母のそんな厄除けをこっそり隠れて見ていて、母が席を立つとすぐに走って行ってお膳の上に置いてある刃物を取って板の間につきたてるかと思えば、母が天井の上に秘密にした糸結びを首に巻いて回るのが日常だった。父の靴の中、あるいは枕や服の中のお守りもいつもツホの袋から出てきた。そのことによって母はひどく腹を立てた。ツホを鞭で打つ母の目に僕は殺意を見た。母はぶるぶる怒りで震えて容赦なくツホを殴りまくった。しかし、ツホのそんな意地悪な癖は簡単になくならなかった。ツホは相変わらず母がすることの邪魔をした。

 一度は母がツホの首に刃物を突き付けて、お前が死んで私も死のうとした時があった。父がトラックを買って運転してから始めてであり最後になる事故を起こした、まさにその2日前だった。母は少し過激な厄払いをした。その晩、僕は猫の鳴き声を聞いて外に出てみた。母が家の猫の首に紐を巻きながら何かぶつぶつ言っていた。何か数を数えているようでもあった。母は猫の首に紐をかなり何遍も巻いた。猫はじたばたしていた。タムシムリの伯母の家の米屋にいた猫の中の一匹をツホがもらって飼っている、かなり大きい猫だった。ツホのものだった。母がその猫の首に紐を巻いて掴んで裏庭に回って行った。裏庭に練炭を入れておく物置があった。母はその練炭物置の垂木に猫の首を吊るした。猫は空中でもがきながら短く切羽詰まった鳴き声を出した。母はその猫を真ん中に置いて正確に38回ぐるぐる回った。38は父の年だった。父はその時砂利採取場に泊まりながら車を走らせていた。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私たちの翼 (nishinayuu)
2022-02-07 23:49:56
あちこちお出かけしていらっしゃるのに、勉強のほうもばっちりですね。何もしない日はないのですか。私はほぼ毎日、何もしないうちに過ぎていきます。
私たちの翼 (マリーゴールド)
2022-02-10 11:02:09
韓国語が覚えられないので翻訳をブログにアップしています。なんとかモチベーションを維持しようと思っています。だいたいいつもだらだらしています。

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