私が家だと記憶している家はほとんど風から自由ではなかった。そのせいか風の音が今も聞こえてこなければ、かえって眠れなかった。3年5か月前に大通りの端の10階建てのアパートの10階のこの家に引っ越しするようになったのは、ひょっとすると風の音に導かれてなのかもしれなかった。私は2年6か月間窓を開け、だいたい10分ぐらい日光に当たりながら耳を傾けてやっと風の音だと聞こえる、とても穏やかなアパートに住んでいた。フアンと6か月、彼なしで2年、その家に住んだ。風の音のない死のように穏やかな、その家に閉じこもって2年過ごしたのは、所々にフアンの息遣いがしみ込んでいたからだった。その家からせいぜい1ブロック離れた大通りの端の10階アパートの10階に引っ越ししながら私はフアンに一抹の罪責感を感じた。3年5か月をどうやってすごしたのかわからなかった。湿気とカビと亀裂が深刻だが、私は新しい家に愛着を持った。大通りの端の10階アパートの10階は死のように穏やかな時間がなかった。新村と光化門とソウル駅とヨドンポを行き来する、すべての種類のバスの音と近所の癌センターを出入りする緊急救急車の音、触れることもなく北から迫ってくる風の音、そこで日光が砕ける音まで。私はこの家で始めて、窓に降り注ぐ光がどれほどうるさいかがわかるようになった。招かざる客がやってきてから、私はしばしばこの都市を離れる夢を見たりした。私が家を離れなければ家が私から離れるという荒唐無稽な夢も見た。どうして家にしがみついて離れないようにしたのか、夢から覚めてみれば私の体はベッドの端に辛うじてかかっていて、ベッドの上は喧嘩の跡のようにすべてが荒々しくもつれていた。私は夜明けの薄暗い中で夢の現実を直視しようと目を見開いた。1万メートルの虚空の闇の中で広がる映像が、夢なのか見分けることができないほど、朦朧として回った。子供が長寿カナブンを飼って、ときおり光の中に姿が見えたフアンがヤドカリのように手を振る姿が消えた家は、この世界のどこにもなかった。<o:p></o:p>