『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

読書感想196  日本列島の大王たち

2016-05-03 22:11:15 | 時事・歴史書

読書感想196  日本列島の大王たち

著者      古田武彦

生没年     1926年~2015年

出身地     福島県

出版年     1985年

出版社     朝日新聞社

 

☆感想☆☆☆☆

日本の古代史について、本書は5点にわたって従来の通説に反論している。

第1点は、戦前の皇国史観を受け継いだ万世一系の天皇制、つまり日本列島には古代において天皇家が唯一の支配王朝だったという見方を否定し、九州にも関東にも王朝が多元的にあったという立場をとる。中国の史書である「漢書」の中に倭国の名が初めて出てくる。同じ「漢書」の中に倭国のさらに東に当たる東テイ(魚+是)国の名も出てくる。この東テイ国も日本列島にあった国と考えている。

第2点は、戦前の皇国史観を否定する立場から日本書紀と古事記の記述を捏造と決めつけながら、万世一系の天皇制については否定しなかった津田左右吉氏の見方に反対している。著者は継体天皇で大和朝廷が交代したと考えている。それで古事記は前王朝の記録であり、日本書紀は継体天皇から元正天皇(日本書紀成立期の天皇)に至る現王朝の正当化の書であるとする。古事記は神代から23代顕宗天皇の説話で終わっているが、23代顕宗天皇の説話は実質的には24代仁賢天皇の逸話であり、25代武烈天皇は中国の殷王朝の紂王と見まがうかのような暴虐淫乱の説話が日本書紀に記載され、26代継体天皇に引き継がれている。非道極まりない武烈天皇の逸話こそ簒奪者継体天皇の反逆の正当化なのであり、古事記が実質24代仁賢天皇の説話で終わっている理由であるとする。さらに、古事記には全く記載がなく、日本書紀にのみ記載された九州討伐や朝鮮半島の任那や百済や新羅との関係、高句麗との戦いは、捏造ではなく、実在した九州王朝の事績を大和朝廷の事績として挿入したものだとする。日本書紀の大義名分は万世一系の支配者である天皇、つまり大和朝廷以外の支配者を日本列島の中で認めないという立場から、ほかの王朝、とりわけ九州王朝の存在を抹殺し、その事績をみずからのものとしたのだという。日本という国名を唐に告げたのは、白村江の戦いの後6,7年たったころで、唐との関係が修復した後、中大兄皇子は天皇の位についている。

第3点は、倭国と日本の関係である。倭国は大和朝廷ではなく、九州の博多を中心とした王朝だと指摘している。倭の5王として中国の南朝に朝貢し、朝鮮半島の南部で高句麗と覇を競った倭国は博多を拠点とする九州王朝だと述べている。4世紀末から5世紀初に高句麗の好太王と戦ったのはこの倭の5王の中の賛だと考えられている。

第4点は、江上波夫氏の「騎馬民族説」を否定している。津田左右吉の「記紀説話造作説」の上に万世一系の天皇制の起源を大陸に求めたものであり、もしこれが本当だったら、記紀に伝承されないわけがないと批判している。また朝鮮半島側の資料、百済とか高句麗の伝承に全くないというのが、そういう事実がない証拠だとする。

第5点は中国の吉林省集安の鴨緑江の北岸に建てられた高句麗の好太王碑について、李進熙氏によって明治17年に日本陸軍の酒匂大尉によって改竄され、拓本化されたものが世間に流布したと主張された。この好太王碑には倭が高句麗と戦ったという記載がある。しかし、現地で拓本つくりを家業にしている中国人や日本人研究者の調査、さらに北朝鮮や中国の研究者によっても改竄はなかったと確認されている。

本書で使われている資料は、好太王碑の金石文や新羅が記述した三国史記、中国の各王朝の史書である。そして古事記と日本書紀、風土記。考古学的発掘や地名も参考にしている。

本書は30年以上前に書かれたものだが、初めて古田武彦氏の研究に接し、目から鱗が落ちる思いがした。朝鮮半島や中国の王朝との交渉は九州という立地がものをいう。九州王朝の存在は納得ができるが、証拠を固めるのが難しそうだという印象がある。 

にほんブログ村 写真ブログ 東京風景写真へ
にほんブログ村

にほんブログ村 写真ブログへ
にほんブログ村



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。