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読書感想271  捕らわれた鷲

2019-11-06 01:05:32 | 時事・歴史書

 読書感想271  捕らわれた鷲

著者      ウラジミール・コスチェンコ

出身地     ウクライナ

出版年     1955

邦訳出版年   1977

邦訳出版社   原書房

翻訳者     徳力真太郎

☆☆感想☆☆

本書は日露戦争で日本海軍と戦ったバルチック艦隊の新型戦艦アリョール(鷲)に乗艦していたウラジミール・コスチェンコが記したバルチック艦隊壊滅の顛末である。コスチェンコは、同じくアリョールに乗艦していたノビコフ・プリボイが記した「ツシマ」の中でワシーリエフの名前で登場していた機械科将校である。コスチェンコは階級を越えて下士官のプリボイと反体制派の同志になった。コスチェンコは、海軍機関学校造船科に1900年に入学し、1904年に卒業すると、造船にかかわっていた新型戦艦アリヨールに、機械科将校として乗船することになった。新型戦艦についての技術的な知識を持っている将校はアリヨールのなかでコスチェンコしかいなかった。艦長は帆船を操縦していた豊富な経験を持っていたが、新型戦艦の指揮ははじめてだった。同じバルチック艦隊のことを記したプリボイとの違いは、造船技師としての専門性の有無だろう。これが、捕虜を経て、ロシアに帰ったときに、海軍技術委員会議長ラトニク海軍中将の指名でツシマ海戦報告を海軍の建艦部門の専門家100名のまえで講演することにつながった。これは、バルチック艦隊の司令官ロジェストウェンスキーのツシマ敗戦の原因を新型戦艦の性能の欠陥によるものだという見解に真っ向から反論するものだった。ロジェストウェンスキーによると、建艦当初から過重のため安定性が不十分であり、装甲の構造が劣悪でまた榴弾に対して火災が発生しやすい等の欠点があったという。新型戦艦は「ボロディノ」「アレクサンドル3世」「スウォーロフ」「アリョール」の4隻で、アリョールだけが撃沈を免れた。最終的にロジェストウェンスキーの司令官としての無能ぶりが軍法会議で明らかにされたが、コスチェンコはロシア政府首脳の責任を追及しなかったことを見せかけの責任追及に過ぎないと述べている。息詰まる海戦の場面だけでなく、長い航海を慰めるオウムや猿のエピソードもある。そのなかでもとりわけコスチェンコという人の優秀さが際立っている。彼はウクライナで医師の父とフランス語教師の母の間に5人兄弟の長男として生まれた。両親は70年代ロシアの進歩的インテリゲンチャの間にひろまっていた人民主義の社会思想に共鳴して民衆の文化水準を高めるために辺鄙な農村で働くことを使命と考えていたという。こうした両親の下で受けた豊かな家庭教育には目を瞠るものがある。フランス語や古典文学のほかに、ピアノや本格的な絵画まで習っている。8年制の中学校を卒業するときには優等の金メダルを授与されている。士官学校は貴族の子弟が入学し、海軍機関学校は平民出身者が入学するところだそうだ。ロシア海軍でも科学技術の力が重視される時代になって、テクノクラートの力が従来の貴族の身分に匹敵するようになってきている。そんな端境期が日露戦争だったのだろう。 


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