『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

翻訳  朴ワンソの「裸木」71

2014-07-13 00:39:56 | 翻訳

 

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翻訳  朴ワンソの「裸木」71

 

                            251頁~254頁 

 

               16

 

 私は大門を開けた母の手を取らなかった。一人で暗い中門と中庭を通り過ぎた。

 

 母は昨夜の娘の行方を心配している気配が全くなかった。私も母の昨晩に無関心であることにした。母は既に私に無関心がどんな形の憎悪よりも過酷であるということを教えてくれた。それで私も母にそんな無関心な同居人として接しようと決心した。

 

 母は私にキムチ汁さえ省略したキムチだけのお膳を持ってくると、あらかじめ敷いておいた席に横たわってしまった。

 

「先に食べたの?」

 

「いや、体が少し良くなくて」

 

 母は、敷布団の下に入れておいたご飯茶碗を力なく押し出して、気乗りしないように言った。

 

 色があせた正月の金銀で刺繍した高級な布団の上に力なく載せた、ざらざらした手に、静脈だけが異なる生命体のように、肥大して突き出て見えた。

 

 私は母の手に触れて見た。温かかった。頭に手を当てた。かなり高い熱があると推測した。こめかみが速く打っているように見えた。

 

「熱があるのね。どこがどういう具合に悪いの?」

 

「風邪だろうね」

 

 彼女は煩わしい他人のことのように言って寝返りをうった。

 

 だらしなく解けた所から、黒いかんざしがずり落ちて、古いまくらの隅に斜めにひっかかっていて、ぱさぱさに立った灰色の髪の毛の中に、実際の頭が小さすぎて痛々しかった。

 

 私は食事を終えてからもしばらく母の横にぼんやりと座りながら、母の熱が高かったことに信じられない気持ちだった。もう一度頭に手を当てた。母は面倒くさそうに顔をしかめてまっすぐに横たわって、

 

「お膳はそこにおいて、行って寝なさい」

 

 母はその短い声をまるで汽車が険しい丘を登るように、のろのろとあえぎながら言った。言い終わってからも、母の胸は分厚い綿の布団を大きく波打たせるほど、高くあえいでいた。

 

 母の憔悴した顔はまるで鼻だけのようで、鼻の両方の鼻翼が恐ろしくひくひくしながら、苦しい呼吸を際立たせて速くくりかえしていた。

 

 私はお膳を持って出て、ちぇっと舌を鳴らした。母のつらい咳の音が台所まで聞こえた。

 

 私はまっすぐに向かいの部屋へ行って横になった。咳の音はひっきりなしに繰り返した。いつも耳慣れた木の器を叩くような空虚な音ではない、濁って苦しい響きだった。

 

 私はその咳の音を聞きながら、とうてい寝ることはできなかった。咳の音の合間合間に、ぜえぜえ痰がつかえる音までも6間の広い板の間を越えて、向かいの部屋まで決まったように聞こえた。それだけ、患っている音だったのか、うわごとだったのか、そんなことは聞こえなかった。

 

 私は息を殺して、母が私を呼ぶのを待った。せめて水をくれとか、苦痛を訴えるとか、言うために娘を呼べばいいのに。しかし肉声なんてアイゴーの声一つ聞こえなかった。

 

 私は待ちきれずに台所へ行って麦茶を用意して火鉢の上に載せて街へ出た。薬局はかなり遠くにあった。今まさに雨戸を閉めようとする時間だった。薬局の主人は年配の男で少し安心した。

 

「薬をちょっと作ってください。風邪薬を…」

 

「風邪もいろいろあるけれど、症状がどうですか?…」

 

「熱が高くて、とても重症です。たぶん40度くらい、ひょっとすると、もっとひどくなるかもしれません」

 

「それで?」

 

 薬屋がにっこり笑った。

 

「かなり咳もして、息が切れているようで、喉から変にぜいぜい音がするんですよ」

 

「ほう、それで?」

 

「それで、胸がこれぐらいずつもり上がって下がって息が切れて、鼻がひどくひくひくして」

 

「ほう、それで?」

 

 にこにこ笑っていただけの薬屋がようやく真顔になって、私の話を注意して聞く顔つきだった。

 

「それだけです。そんな症状が全部ひどいんです。咳の音だけ聞いても、喉がどんなにか痛いようで声が割れています」

 

 私は眉間にしわを寄せて訴えるように彼に言った。

 

「坊やが何歳なんですか?」

 

「坊やですって? 老人なんですよ。私の母なんですよ」

 

「そうですか。 おいくつですか?」

 

55歳です」

 

「良かったですね」

 

「何がですか?」

 

「十中八九は肺炎のようですが、年齢が幼すぎたり、老衰した方はちょっとむずかしいんですよ。55歳であれば絶頂期ですから」

 

「でも、そうでもないです。実際には60ぐらい…いいえ、70ぐらい。その気力しかないでしょう。

 

 彼がまたにこにこ笑った。そして薬を調剤し始めた。カプセルに入れた薬と、黄ばんだ粉末を別々にくれながら、粉末は食後に、カプセルは4時間に二つずつ、2時間に合わせて服用させて、経過を観察しなさいと親切に言ってくれた。

 

 私はその薬を受け取って家へ駆けた。火鉢には麦茶が蓋をかたかたと鳴らして沸いていた。母は依然として喉からぜいぜい音を出して、まっすぐ寝ていた。唇が高熱ですっかり焼けて見えた。私は麦茶をふうふう冷ましながら母を揺さぶった。

 

「少し薬を飲んで。えっ? 薬」 

 

「薬はどんな…」

 

 母は意外に意識が明瞭だった。私は、漠然と母が意識不明であると思っていたので、びっくりした。もう一度母が〈偶然に女の子だけ残していったのか〉とぼんやりした目に深い恨みがこもったようで、どきっとして怖かった。しかし、母の目は高熱で朦朧と充血しているだけで別に違う意味は持っていなかった。

 

 私は母の上半身を起こしてカプセルを勧めた。彼女は素直に口を開けて二つの薬をごくりと飲み込んでは、私を振り切ってどっと横になり、

 

「行って寝なさい。どんな幸運があっても、死ぬ病気になるわけがないよ」 

 

 口元にわけのわからない微笑までかすかに浮かんだ。

 

 私はこっくりと居眠りをしていても、ぱちっと目覚めて母の病状をいらいらして見守った。速く時間がたって、薬が体の中で溶けて、いろいろな器官に流れて、また薬を飲む時間が来るのを望んだ。

 

 どこにそんな生気が隠れているのかと思うほど、母の胸は疲れを知らないように高く上がり下がりを繰り返していた。

 

「ああ、胸だけは」

 

 母の乾いた木の枝のような手が自分の胸をむしりながら、初めて苦痛を訴えてきた。

 

「どこに行くの?」 

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