花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

南天竹子(なんてんちくし)│ナンテン

2019-12-28 | 漢方の世界

二十二 奈ん天ん│「四季の花」冬之部・壹, 芸艸堂, 明治41年

南天竹子は、別名、南天実(なんてんじつ)、メギ科ナンテン属の常緑低木である南天、学名Nandina domestica Thunb.の実から得られる生薬である。薬性は酸、甘,平、帰経は肺経、効能は斂肺止咳、平喘である。「南天竹葉」は葉から得られる生薬で、薬性は苦、酸,澀、効能は清熱利湿、瀉火、解毒である。ナンテンは難を転ずるの「難転」に通じ縁起が良い木とされる。「南天の花」「花南天」は夏、「南天の実」「実南天」は秋の季語である。

東郷隆著の歴史小説「南天」は史料に基づき、大石内蔵助とは進退を共にせずに吉良上野介を上杉の本領、羽州米沢の国境で討たんとした、元赤穂藩末席家老、大野九郎兵衛の鬼気迫る最期を描く。落城と共に播州赤穂を一族共々逐電したという大野九郎兵衛は不忠臣と世に流布され、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」では奸臣の大悪党、斧九太夫として登場する。本年南座での「當る子歳・吉例顔見世興行」、昼の部最後の演目が祇園一力茶屋の段であった。高師直(吉良上野介)に内通した九太夫は、韜晦する大星由良之助(大石内蔵助)の真意を探らんと忍び込んだ縁の下で無様に果てる運命を辿る。

誉れある四十七義士に名を残さなかった旧赤穂藩士は、命果てるまで如何なる思いを抱えて生きたのだろう。何時の世にも、時代に彩られて輝く飾石があれば、黙して人知れず僻隅に消えゆく捨石がある。物事の筋目の立て方は百人百様である。上面を眺めて性根を見透かした気分になろうとも、所詮は分かろうはずもない相手の肚をおのれの理屈で撫で回したに過ぎない。



 九郎兵衛は鉢金を脱ぎ、鎧通しを抜くや己が元結に手をかけ、ざくりと切った。
「我らはここで討死する。せめてこのような者も世におったと人にしらせたい」
 大童の姿で仁王立ちする九郎兵衛は、返り血を頬に受け、今や一匹の老鬼であった。
「上州碓氷の磯部村に上原市右衛門と申す者がいる。我が志を知るただ一人の者じゃ。これを」
 白髪の毛を手渡し、不動明王の献花棚から赤い実のついた小枝を取って添えた。冬場のことであたりに花も無く、色どりとしてこれを差したものだろう。
「南天に実が付いたぞ」
 九郎兵衛は笑った。
「わしも雪中に赤く実をつけて、小さいながら人目をひく南天のごとき者にならんとしたが、事ここに到っては是非もなし」
 せめて、大野九郎兵衛が武士たる事を知る磯部村の名主に最後の様子を伝えてくれ、頼むと頭を下げた。
 元助は無言でそれを受けた。

(東郷隆著:講談社文庫「南天」, 講談社, 2013)