花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

蛤(はまぐり)のはなし

2017-11-03 | アート・文化


「郡山候の君婦人、頗る学問を好み徠翁を尊信され、屡招かれて論語抔の講釈を所望されしに、不得已講釈いたされしが、後度々招かれしかば、女中方には箇様なること別して益なきことなり、女中は唯蛤のくちをあきたるが如くにしてござればよしと申されしとなり。」(蘐園雑話│続日本随筆大成4, p68)

『蘐園雑話』(けんえんざつわ)は、荻生徂徠と門下の言行や逸話を記した江戸期の随筆である。本書には「四つ時を打てば燈を取り寝られたり」、「徠翁は胴の長き人にて」という他愛もない話や、門下を気遣い清濁併せ呑む人間徂徠を偲ばせる挿話が溢れている。
 だが「男子有德便是才、女子无才便是德」(男子徳有れば便ち是れ才、女子才無きは便ち是れ徳)の基本に変わりはない。徂徠著『答問書』で「長所を用い候時は天下に棄物・棄才は御座無く候」と忖度される対象はあくまで男である。「大名の妻ほど埒もなき物はなし。女の第一のわざとするぬひはり(裁縫)もならず。」、「惣ておんなといふものは、男にたよりてならでは居ることもならぬもの也。」、「妻は夫に従ふ事。道也。礼なり。」が『政談』において下される裁断である。
 同じく徂徠著『論語徴』では、『論語』陽貨第十七、「子曰、唯女子與小人、爲難養也。近之則不孫。遠之則怨。」(子曰わく、唯だ女子と小人とを養い難しと為すなり。之を近づくれば則ち不孫。これを遠ざくれば則ち怨む、と。)について、「小人は細民なり。女子は形を以て人に事(つか)ふる者なり。細民は力を以て人に事ふる者也。皆なその志ざしは義に在らず。」との論述がある。「細民」は被支配層、下層階級、「女子は形を以て人に事ふる」とは外貌で仕えるの意である。


166蛤蜊観音(早稲田大学会津八一記念博物館蔵)│白隠禅画墨蹟・禅画篇

白隠慧鶴禅師の「蛤蜊観音」(こうりかんのん、はまぐりかんのん)を拝して、次は観世音菩薩の御加護の話である。法華経の観世音菩薩普門品第二十五(観音経)に謳われた様に、「念彼観音力」(ねんぴかんのんりき)と彼の観音力を念じれば「應以此身得度者、即現此身而為説法」、観世音菩薩は何処へも衆生済度のために応現下さるという。
 『御伽草子』の中「蛤の草紙」の主人公は、天竺・摩訶陀国(まかだこく)のしじらという孝行息子である。海で美しい蛤を釣り上げて何の役に立つと海に捨てるも、移動した先でまた蛤を釣り上げる。最後に船に取り上げた蛤は俄かに大蛤と化し、その中から顕れ出でた美しい娘は尻込みするしじらを説き伏せて押しかけ女房となる。
「此蛤のうちよりも、金色の光三筋さしけり。是はいかなる事ぞやとて、目を驚かし肝を消し、恐れをなして遠ざかりける。此蛤貝二つに開き、其中より、容顔美麗なる女房の、年の齢十七八ばかりなるが出でたり。」(蛤の草紙│御伽草紙(下),p17)
 
しじらの親孝行ぶりは、妻帯すれば心が浮ついて母を蔑ろにすると慮り独身を貫いているという経歴から始まり、さらに毎夜額に載せて寝ている母の御足が軽くなったと、母御の加齢性のサルコペニアに涙する挿話で語られる。
 やがて娘は法華経を織り込んだ金銭三千貫の値の布を織りあげる。そしてしじらが富貴繁盛、不老長寿の七千年の齢を得たことを見届けて天に帰って行く。彼女の本体は童男童女身、南方補陀落世界の観音の浄土より仕わされた御使であった。話の筋書はいわゆる《蛤女房》と同じであるが、男が垣間見て幻滅する《蛤女房》の下世話な件(くだり)は微塵も含まれない。最後は「人にも御読み聞かせあるべし」(広く拡散してね)の文で締められた、親孝行奨励の有難い仏教説話に纏められている。
 この原作にインスパイアされた佳品の橋本修著、樋上公美子画『はまぐりの草紙』は、エスプリ満載の当代の御伽草子である。表紙絵からして、これは一波乱も二波乱もあるに違いないという予感を抱かせて期待を全く裏切らない。


はまぐりの草紙

ところで古来、蜃気楼は大蛤(おおはまぐり)が海上に吹き出す気であるとされた。『史記』天官書、「海旁蜃気象楼台、広野気成宮闕然。」の記載を踏まえて、鳥山石燕著『百鬼夜行拾遺』《蜃気楼》には以下の一文が添えられている。
「史記の天官書にいはく、海旁蜃気は楼台に象(かたど)ると云々。蜃とは大蛤なり。海上に気をふきて、楼閣城市のかたちをなす。これを蜃気楼と名づく。又海市とも云。」(蜃気楼│画図百鬼夜行全画集 今昔百鬼拾遺, p136-137)

なお李時珍著『本草綱目』第四十六巻に掲載の「車螯(しゃごう)」はシャコガイ科の二枚貝のシャゴウガイ(車螯貝)、学名はHippopus hippopus、異名が「蜃」、「昌蛾」から得られる薬である。薬性・薬味は寒、甘・鹹、帰経が肺・脾経で、効能は清熱解毒・消積解酒(熱毒や酒毒の邪を取り除き、発赤・腫脹などの炎症所見を改善する)である。
 一方「蜃」は「蛟蜃之蜃」、竜の一種の蛟(みずち)とする説もある。沈括著『夢渓筆談』二十一巻《異事》では「海市」(蜃気楼)が蛟蜃(みずち)に起因することを否定している。
「登州海中時有雲氣、如宮室、臺觀、城堞、人物、車馬、冠蓋、歷歷可見、謂之「海市」。或曰蛟蜃之氣所為、疑不然也。」(異事372│夢渓筆談 巻二十一, p208)


今昔百鬼拾遺 蜃気楼│画図百鬼夜行全画集

「海市蜃楼」(かいししんろう)は蜃気楼の意とともに、空しく虚ろな架空のもの、考えの比喩として使われる。大蛤が吐き出した蜃気楼はやがて虚空に消え失せる。数多の世にありふれた蛤の息遣いもかくの如き儚きものだろうか。いいやそうではない。口を開けているだけの蛤など、この世の何処にも棲息しない。天地が活物ならば、蛤もまた活物である。


東海道張交図絵・那古浦蜃楼 四日市│風景版画の巨匠・広重

参考資料:
森銑三, 北川博邦編:続日本随筆大成4, 吉川弘文館, 1979
今中寛司, 奈良本辰也編:荻生徂徠全集 第六巻, 河出書房新社, 1973
平石直昭校注:東洋文庫811 政談 服部本, 平凡社, 2011
金谷治訳註:ワイド版 岩波文庫 論語, 岩波書店, 2001
荻生徂徠著, 小川環樹訳註:東洋文庫575 論語徴1, 平凡社, 1994
朱熹著, 土田健次郎訳註:東洋文庫858 論語集注4, 平凡社, 2015
芳澤勝弘監修:白隠禅画墨蹟―禅画篇・墨蹟篇・解説篇, 花園大学国際禅学研究所, 2009
市古貞次校注:岩波文庫 御伽草子(下), 岩波書店, 2017
橋本治著, 樋上公美子画:はまぐりの草紙, 講談社, 2015
楢崎宗重監修:東海銀行創立50周年記念 風景版画の巨匠・広重, 東海銀行, 1991
鳥山石燕著:角川ソフィア文庫 画図百鬼夜行全画集, 角川文庫, 2005
沈括著:唐宗史料筆記 夢渓筆談、中華書局、2015


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