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江戸期の薬商、随筆家、雑学者である山崎美成著『世事百談』に、その意はなんやようわからんで始まるも初夢の回文歌についての詳細な考察が記されている。
「正月二日の夜、はつ夢とて家ごとに、宝船の絵を枕にしくこと、むかしよりのならはしなり。その宝船の絵に、
なかき夜のとをの眠(ねぶり)のみなめざめ波のり舟のおとのよき哉
といふ回文の歌をかけり。この歌もその意何ともわきまへ解しがたし。柳亭翁(柳亭種彦)の説に、この歌は九月頃の詠吟なるべきを、いつのほどよりか初夢にして、宝船には書きくはへけん。歌のこゝろは、長き夜すがらに十府(とふ)にねふるとなり。十府は、十府の菅薦(すがごも)などふるき詞にて、十府の枕といふこともあり。舞の伏見常盤に、とふのうらなしといふことも見えたり。かくあるによればすべて敷くものをいへるか。みなめざめは回文なればしひて説くべからず。なみのり船は、船のつくりやう常とは別(こと)なるか。俳諧世話焼草の附合(つけあひ)に、戸といへるになみのり船とあり、かゝれば、波よけに戸などある船などもあるべし。この歌仮字(かな)づかひの訛(あやま)り、詞のことわりなくとゝのはざるは、回文なればなるべしといへり。」
(世事百談│日本随筆大成18, p52)
「十府の菅薦」(十符の菅菰)は菅(すげ)を編み込んだ十筋の網目がある敷物で、「十府」(十符)はみちのくの歌枕である。『奥の細道』には「かの画図にまかせてだどり行けば、おくの細道の山際に、十符の菅有。今も年々十符の菅菰(菅薦)を調へて、国守(仙台藩主伊達氏)に献すと云り。」の記述がある。松尾芭蕉研究家でその足跡を踏破した簑笠庵梨一(さりゅうあんりいち)は、『奥細道菅菰抄』において「おくの細道は、名所に非ず。十符の里は、名所也。」と記し、以下の三首の歌を挙げている。
見し人もとふの浦かぜ音せぬにつれなく消る秋の夜の月
新古今和歌集 橘為仲
水鳥のつらゝの枕ひまもなしむべさへけらし十符のすがごも
金葉和歌集 藤原経信
みちのくのとふの菅菰七ふには君を寐させてみふに我がねん
名所方角抄
参考資料:
日本随筆大成 第1期 第18巻「世事百談, 閑田耕筆, 閑田次筆, 天神祭十二時」, 吉川弘文館, 1976
荻原恭男校注:岩波文庫「おくのほそ道 付 曽良旅日記 奧細道菅菰抄」, 岩波書店, 1991
富山奏校注:新潮日本古典集成「芭蕉文集」、新潮社, 1978