花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

夏期特別講習会2014「万能綰一心事」│大和未生流の花

2015-07-08 | アート・文化


毎年7月、華道、大和未生流の夏期特別講習会が奈良新公会堂で開催される。午前中が御家元の御講義で、午後からは副御家元の御指導による実技講習が行われ、最後に御家元の総評を伺った後に散会となる。本年は、京都府耳鼻咽喉科専門医会(京耳会)夏季セミナーおよび京耳会創立100周年記念講演会・祝賀会参加と重なった為、医業の本業優先でやむなく欠席した。昨年の平成26年度の講習会を振り返れば、「日本人と自然」を主題に、桂離宮古書院の月見台や笑意軒の土庇のお話から始まり、限られた本数の役枝で自然を凝縮体現する、生け花が有する象徴性に関して、さらには長谷川等伯「松林図屏風」の画中の余白、生け花の役枝と役枝の間の空白の持つ意味についての御講義があり、午後からの実習は、桔梗と矢筈芒を用いた暑中一陣の涼風を感じる盛花であった。また毎年の実技講習に際して、御家元監修のその年の花器が頒布されるのだが、平成26年度は、全面に黒い貫入が走る哥窯青磁をさらに薄手に清楚に仕上げた印象の趣のある水盤であった。

何も描かれていない余白、何も挿されていない空白の持つ意義に関する御講義の中で、御家元は花鏡「万能綰一心事(まんのうをいっしんにつなぐこと)」の中の一文を引用なさって御説明下さった。その全文を改めてここに書き写し残し置くことで、自らの今後の戒めとしたい。

「万能綰一心事」
 見所の批判に云はく、「せぬところが面白き」などいふことあり。これは、為手の秘するところの安心なり。
 まづ二曲をはじめとして、立ちはたらき・物まねの色々、ことごとく皆、身になす態なり。せぬところ申すは、その隙なり。このせぬ隙は何とて面白きぞと見るところ、これは、油断なく心をつなぐ性根なり。舞を舞ひやむ隙、音曲を謡ひやむところ、そのほか、言葉・物まね、あらゆる品々の隙々に心を捨てずして、用心をもつ内心なり。この内心の感、外に匂ひて面白きなり。かやうなれどもこの内心ありと、よそに見えては悪かるべし。もし見えば、それは態になるべし。せぬにてはあるべからず。無心の位にて、わが心をわれにも隠す安心にて、せぬ隙の前後をつなぐべし。これすなはち、万能を一心にてつなぐ感力なり。「生死去来、棚頭傀儡、一線断時、落々磊々」。これは生死に輪廻する人間の有様をたとへなり。棚の上の作り物のあやつり、色々に見ゆれども、まことには動くものにあらず。あやつりたる糸の態度なり。この糸切れん時は、落ちくずれなんとの心なり。申楽も色々の物まねは作り物なり。これを持つものは心なり。この心をば人に見ゆべからず。もしもし見えば、あやつりの糸の見えんがごとし。かへすがへす、心を糸にして、人に知らせずして、万能をつなぐべし。かくのごとくならば、能の命あるべし。総じて即座に限るべからず。日々夜々、行住坐臥にこの心を忘れずして、定心につなぐべし。かやうに油断なく工夫せば、能いや増しになるべし。この条々、極めたる秘伝なり。稽古有緩急。
(新潮日本古典集成『世阿弥芸術論集』田中裕校注 新潮社1976)

 観客の批評に、「あへて何もしないところが面白い」というのがある。これこそ、演者が身につけるべき境地である。
 基本の舞と歌を始め、様々な仕草や演技は、すべて身体で演じるわざである。「何もせぬところ」というのは、そのわざとわざの切れ目である。その間隙の部分がなぜ面白いのかと考えてみると、わざにわざをつなぐのではなく、わざに心をつないで次のわざにつないでいる、そこには切れ目のなく続く内心の緊張があるからである。一つの舞を舞い納め、あるいは音曲を謡い終わった後の狭間、その他の台詞、演技、ありとあらゆる外的表出の切れ目においても決して緩めることなく、緊張した心の働きを持ち続けることが大切である。この内的充実が、匂うが如くそこはかとなく外に顕れたときに、観客を感じ入らせることになるのである。
 しかしながら観客に、その様に仕掛けているなと見えてしまう様では駄目である。気配を悟られたならば、それは他の様々なわざと違いがない。何もしていない時というのは何もせずぼうっとしているのではない。自分の心を自分自身にも隠して無心の境地に入り、わざとわざの間に心をこめてつながねばならぬ。これが一心に万能を綰ぐ事、あらゆるわざを心ひとつにつなぎとめるということである。
 「生死去来、棚頭傀儡、一線断時、落々磊々」の偈は、輪廻転生の人間の有様を例えたものである。舞台の上のあやつりは色々のわざを見せてくれるが、所詮あやつる糸のわざに過ぎない。もし糸が切れたならば崩れ落ち、それでお終いなのである。
 能楽も色々の仕草や演技は作り物である。これを動かしているのは心である。そしてこの心を観客に見せてはいけない。心を糸にしてあらゆるわざをひとつにつなぎとめねばならない。これらは舞台の上だけの要諦ではなく、日夜、生活のあらゆる場面において、この心を忘れずに貫かねばならない。この様に油断なく工夫精進してゆけば、芸があやつりの様にくずおれることはない。ますますその輝きを増して行くことだろう。(拙訳)


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