花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

東山魁夷著「白い馬の見える風景」

2018-10-06 | アート・文化

緑響く│「白い馬の見える風景」

東山魁夷画伯の画集『白い馬の見える風景』は十代に自ら購入した最初の画集である。おこずかいを貯めてようやく入手出来た日、ひねもす眺めていたことを思いだす。駅前再開発に伴う自宅や医院の移転に伴い、数多くの書籍を処分した中で現在まで携えてきた中の一冊である。この秋に開催された「生誕110年 東山魁夷展」に伺い、東山画伯がお描きになる風景に「白い馬」が出現した時期が、唐招提寺、森本孝順長老からの御影堂障壁画と御厨子内部装飾の御依頼を正式にお受けになった1971年(昭和46年)の翌年であったことを知った。展覧会からの帰宅後に本棚から取り出して本書を改めて紐解けば、これまで読み飛ばしていた前書きの中に風景に点じられた白馬についての記述があった。この「白い馬」の出現は『東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画』の<障壁画制作のノート>においても記されている。

「ある時、一頭の白い馬が、私の風景の中に、ためらいながら、小さく姿をみせた。するとその年(1972年)に描いた十八点の風景(その中には習作もあるが)の全てに、小さな白い馬が現れたのである。」
(「白い馬の見える風景」)

「ここで不思議なことが起こった。この一年間は二つの仕事を繋ぐ中間の、いわば、制作上の上では空白と言うべき期間である筈であったのだが、これらの画廊展へ、どのような構図の作品を描こうかと漠然と考えている時に、突然、思いがけなく白い馬が小さく姿を現す風景が浮かんだ。すると次から次へ、どの作品にも白い馬が姿を見せるようになった。元来、私の風景がには点景を描き入れないのであるが、この年に描いた全部の制作や習作だけに。一頭の小さな馬が、ある時は佇み、歩み、走っているのが見える。しかも、これらの小さな白馬は、遠慮がちに風景の中に添えられているが、白馬が主題であって、風景は背景の役目なのである。白馬は切実な私の心の祈りであるが、それが何を象徴するかは、見る人の自由にまかせた。これらの作品は、翌年「白い馬の見える風景」として画集が出版され、一堂に纏めて展覧会も開かれた。」
(第5章・揮毫の決意│「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画」)


綿雲│「白い馬の見える風景」

「白い馬」は点景ではなく主題であり、「白い馬」を描く事自体が祈りであると東山画伯は明言なさっている。祈りとは人智を越えたものに対する嘆願や帰依であり、崇敬、畏敬、感謝の念を含んでいる。御発心の御心に思いを巡らせて風景に現れた白馬の意味を窺うことは、私風情に到底叶うまじきことではないと知りつつ、この度「この画集を見る人の心にまかせたほうが良い」との御言葉に甘えてみた。「白い馬」は東山画伯の御心に偶発的に浮かび上がった情趣的な心象ではなく、微塵の懈怠なく精進を重ねてこられた画業の嶮しい道程において必然的に立ち現れた確かな形象である。画中の白馬を拝すれば、常歩(なみあし)あるいは速歩(はやあし)の姿で、決して風景の中をあらわに疾駆する奔馬ではない。あるいは静かに佇んで草や水の匂いを嗅いでいる。白は染まらず汚れずの不染汚(ふぜんな)の色である。ひとつの色もない無色であるとも言える。「白い馬」は馬の形を取りながらも外的世界の事物としての白馬ではない。内に限りないダイナミズムを孕み、寸時も塑性変形に堕することのない、生々躍動、自由無礙の一切の事物を包蔵している。そして画かれた風景から白馬の形象が消える時、群青と緑青で荘厳に彩られた障壁画の山水が顕現する。<障壁画制作のノート>終章は以下の御言葉で締められている。

「南大門の基盤の上で、いつものように振り返り、金堂を眺めた。四年前の開山忌の日を想い出した。私の唐招提寺への道は、現在、ここまで辿り着いても、なお、遥かな感じがする。それは、結局、どこまで行っても終わりのない道であろう。金堂は巨大な屋根の両端に力強い鴟尾を載せて、遠く遠方に、厳然と聳え立っている。」
(17章・唐招提寺---終章---│「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画」)

参考資料:
東山魁夷著:「白い馬の見える風景」, 新潮社, 1973
東山魁夷, 森本孝順, 谷川徹三著:「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画」, 日本経済新聞社, 1975


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